「美空ひばりは何歳で亡くなったの?」
「美空ひばりが亡くなった原因は何だったの?」
美空ひばりについて、このような疑問を持っている人もいるのではないでしょうか。
美空ひばりは昭和という時代を代表する歌手です。亡くなってからすでに30年以上の時が過ぎていますが、今でも彼女の歌声は多くの人の心に残り、愛され続けています。
亡くなった当時、あまりにも早すぎる死は多くの人に驚きを持って受け止められました。そして驚きのあまり、さまざまな憶測で彼女の死が語られました。そこで今回は、なぜ美空ひばりは亡くなったのか、その死をあらためて振り返ってみます。
彼女の死を振り返ることで、その歌声が一層私たちの心に染み入ってくるかもしれません。
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美空ひばりの死因とは
1937年に生まれた美空ひばり、本名・加藤和枝は横浜市磯子区の出身です。1989年に52歳という若さで亡くなりましたが、「愛燦燦」、「川の流れのように」などそれまでとは違う幅広い世代に訴えかける楽曲を打ち出し始めたところでした。そのため、多くの人がその死を悼み、惜しんだのです。
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直接の死因は「特発性間質性肺炎」という病気
美空ひばりが亡くなった直接の原因は「特発性間質性肺炎」という病気で、呼吸ができない状態になったためです。
この病気が進むと、肺が固く縮んで呼吸ができなくなります。普通の肺炎は適切な治療を受ければ回復が望めますが、特発性間質性肺炎は治療が難しく、難病に指定されています。美空ひばりがなぜこの病気になったのか、原因は不明だと言われています。
しかし、この病気になった時に、すでに美空ひばりは重い病を抱えていました。体調が悪化しても、もともとの病のせいだと考えられ、特発性間質性肺炎のことは見落としていたのかもしれません。
以前からさまざまな病を抱えていた
52歳で亡くなる前から、美空ひばりはさまざまな病と戦っていました。日本の歌謡界を牽引する立場と自らの持つイメージを熟知していた美空ひばりにとって、病と戦う姿はあまり人に見せたいものではなかったのかもしれません。
それに病を呼び込む原因となったのは、自らの家族に次々と降り掛かってきた不幸でした。大スター美空ひばりには、グチをこぼすこともできなかったのでしょう。
大腿骨頭壊死
美空ひばりが最初に身体の異変を訴えたのは、1985年5月、自らの誕生日を記念したゴルフコンペでのことでした。ゴルフのプレー中に腰を捻った際、両足の内側にひきつるような痛みを感じたのです。この時から美空ひばりは原因不明の腰痛を訴えるようになりました。
痛みを周りに悟られることなく、歌手としての活動を続けていましたが、ついに1987年には耐えられなくなり入院、そして特発性大腿骨頭壊死の診断が下されたのです。この病気の原因として考えられるのは、ステロイド剤の服用や、アルコールの摂取のしすぎなどですが、美空ひばりには、アルコールの摂取のしすぎが当てはまると思われます。
実は同じ時に明らかになった美空ひばりのもう1つの病がそれを裏付けています。
肝硬変
特発性大腿骨頭壊死と診断された時に、同時に診断された病気が肝硬変でした。美空ひばりの肝臓は硬く変質してしまった状態で、その機能は著しく低下していました。肝臓には再生能力があると言われていますが、肝硬変になってしまうともとに戻ることはありません。
肝臓の機能が低下した状態ではさまざまな症状が現れます。美空ひばりも倦怠感や疲労感、食欲不振などに悩まされていたのではないでしょうか。
大腿骨頭壊死と肝硬変、この2つの病に関わってくるのがアルコールだったのです。
美空ひばりが病気になった原因
何よりも家族を大切にしていた美空ひばり。しかし、1970年代に入り、暴力団と関係していた弟が起こした不祥事により、美空ひばり本人もバッシングを受け、芸能活動ができないほどになります(時代的に芸能活動には、暴力団の庇護が必要だったとも言われています)。
大きなヒット曲にも恵まれず1980年代に入ると、今度は次々に家族が病に倒れ、この世を去ってしまうのです。
酒とタバコがやめられなかった
美空ひばりの人生の中で、最も大きな困難が1980年代の相次ぐ親しい人たちの死でした。
1981年には母・加藤喜美枝が脳腫瘍により68歳で死去しました。母と2人3脚で歩んできた芸能活動だっただけに、美空ひばりの心中を思うとやりきれないものがあります。1983年と86年には、2人の弟たちも死去した上、親友だった江利チエミの急死なども影響して、酒とタバコが手放せなくなるのです。
生涯正式な結婚はしなかった美空ひばりですが、1977年に弟の息子である加藤和也を養子にして、精一杯の愛情を注ぎます。しかし、それでも酒やタバコとは縁が切れることがありませんでした。それだけ美空ひばりの喪失感は大きなものだったのでしょう。