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美空ひばりとはどんな人?生涯・年表を紹介【息子や死因、おすすめアルバムも】

美空ひばりは「昭和の歌姫」と呼ばれた歌謡界の大スターです。わずか10歳の頃から芸能界で活動し、弱冠12歳にして国民的歌手としての階段を駆け上がります。楽曲を発表するたびにヒットを飛ばし、映画の世界に飛び込んでは銀幕のスターとしても認められるのでした。

晩年には病魔との長い戦いが待っていますが、1988年4月に開かれた「不死鳥コンサート」はいまだに多くの国民の脳裏に焼き付いているのではないでしょうか。最後に発表された名曲「川の流れのように」は現在も愛され続けています。

美空ひばり

美空ひばりの亡き後も多くの歌手やアーティストが出てきていますが、彼女ほどのインパクトを受ける人物はほとんど見当たりません。なぜ美空ひばりはここまで国民に愛されたのでしょうか。もちろん彼女自身の魅力や歌の良さが人を惹きつけているのは間違いがありませんが、要因はそれだけではないでしょう。

Youtubeでたまたま「不死鳥コンサート」の映像を見つけ、その歌声に聴き入ってしまい、その後美空ひばりに関する文献を漁って得た情報をもとに彼女の生涯、伝説などをご紹介していきたいと思います。

美空ひばりとはどんな人物か

名前加藤和枝
誕生日1937年5月29日
没日1989年6月24日
生地神奈川県横浜市磯子区滝頭
没日東京都文京区
順天堂大学医学部附属順天堂医院
配偶者小林旭(1962−1964)
埋葬場所神奈川県横浜市港南区
横浜市営日野公園墓地

美空ひばりの生涯をハイライト

美空ひばり

美空ひばりは魚屋を営む、加藤家の長女として神奈川県横浜市に生まれました。両親が音楽に精通していたため、幼少期から歌と触れ合う機会は多かったです。母の創設した「青空楽団」で舞台デビューを果たし、大御所に気に入られながら芸能界を渡り歩くようになります。

12歳の頃には笠置シヅ子の「東京ブギウギ」の真似で一世を風靡すると、そのままスター街道をひた走るようになりました。映画「リンゴ園の少女」の主題歌である「リンゴ追分」が大ヒットしたことを皮切りに音楽の世界で名を馳せるようになります。

その後、1960年には「哀愁波止場」で日本レコード大賞を受賞し、「歌謡界の女王」の名をつけられることに。紅白歌合戦でも主役級の活躍を成し遂げ、1963年からは10年連続で紅白のトリを務め、1970年には司会と大トリの両方を兼任するほどの大役を引き受けることとなります。

晩年には肝臓の病気、肺の病気のとの戦いを余儀無くされていましたが、伝説の「不死鳥コンサート」をはじめとする多くのステージに立ち、その存在感をアピールしました。1989年の6月に間質性肺炎によりこの世から去ることになりますが、後世にわたって愛される楽曲を数多く残した伝説の歌手として語り継がれています。

貧しいながらも音楽に恵まれた生い立ち

1930年代の横浜

美空ひばりは横浜・磯子の漁師の家に生まれました。決して裕福とはいえない少女時代でしたが、父はギターを弾けるうえアマチュアのダンスバンドのリーダーも務める音楽の才能がある人でした。小さなころから近所で歌の上手い少女として評判で、戦時中も街のイベントなどで歌を披露していました。

1946年、ひばりは「美空和枝」という名前で9歳にして歌手デビューします。しかし翌年、四国をめぐるコンサートツアー中に大事故に遭い、瀕死の重傷を負いました。奇跡的に命を取り留めた彼女は、入院していた病院近くの神社に立つ大きな杉の木に「私は絶対に日本一の歌手になる」と誓ったといいます。

息子・加藤和也は「ひばりプロダクション」の社長

美空ひばりの息子・加藤和也

美空ひばりの家族構成は以下の通りです。

  • 父:加藤増吉 魚屋を経営
  • 母:加藤貴美枝
  • 妹:加藤(佐藤)勢津子 ひばりの死後に歌手デビュー
  • 弟:加藤哲也(かとう哲也) 歌手、俳優、「ひばりプロダクション」の元社長
  • 弟:加藤武彦(香山武彦) 俳優、引退後は飲食店経営

そして、養子の加藤和也がいます。加藤和也は美空ひばりの弟である加藤哲也の息子で、和也が7歳の時にひばりと養子縁組をしました。現在は「ひばりプロダクション」の社長をしています。

今なお歌い継がれる名曲の数々

美空ひばり ベストアルバム

美空ひばりの名曲は数多く、選ぶことはできませんが、「愛燦燦」や「川の流れのように」が現代でも馴染みが深いのではないでしょうか。

「愛燦燦」は1986年に小椋佳とのコラボレーションで作られた作品で、今日でもテレビやラジオで取り上げられることが多いです。石川さゆり、五木ひろし、和田アキ子、ATSUSHIなど数々のアーティストにカバーされています。

「川の流れのように」はひばりの遺作となった曲で、こちらも多くのアーティストにカバーされました。ひばりの死後も売上枚数は増加し続け、現在では最も売れたCD・レコード(205万枚)として記録されています。カラオケのランキングも上位であることから、その人気の高さが伺えます。

生涯で150本以上もの映画に出演

ファン人気第1位はひばりが1人2役を演じた『花笠若衆』

「昭和の歌姫」として名高い美空ひばりですが、東映映画の花形女優としても活躍していました。52年の生涯で出演した映画は150本以上というから驚きです。時代劇から名作文学の実写化まで、幅広い役柄を演じていました。

ファン人気第1位の『花笠若衆』は、1958年に公開された時代劇です。大名家の娘として生まれたものの、双子だったために追い出されて江戸で男として育った喧嘩好きの伊達男・吉三とその実の妹・千代姫の2役をひばりが1人で演じています。「男として育てられた娘」とはいえ、男性役を見事に演じ上げるひばりは才能のかたまりのような人だったのだな、と感じます。

死因は間質性肺炎の悪化

美空ひばりの遺影

美空ひばりは1989年6月24日に間質性肺炎の悪化により帰らぬ人となります。

6月25日に通夜、26日に葬儀が行われました。この葬儀には芸能界や政界などひばりと親交のあった各界からの参列者が相次ぎます。7月22日には一般向けに青山葬儀所にてお別れの会が催され、42000人のファンが訪れました。

葬儀では映画で親交の深かった萬屋錦之介、森繁久弥などが弔辞を読み上げ、歌手として親しくしていた北島三郎、近藤真彦などらは「川の流れのように」を合唱しました。

美空ひばりの功績

功績1「女性として初めての国民栄誉賞受賞」

国民栄誉賞

ひばりが亡くなって1ヶ月後の1989年7月、女性としては初めてとなる国民栄誉賞の受賞が決定しました。

国民栄誉賞はもともと、プロ野球選手の王貞治がホームラン世界記録を達成したことを称えるために作られた賞です。王貞治が1977年に受賞し、ひばりが受賞するまでの12年間に、わずか6人しかもらったことのない特別な賞でした。

現在までの主な受賞者としては柔道の山下泰裕、「サザエさん」の長谷川町子、「寅さん」の渥美清、映画監督の黒澤明などです。最近では高橋尚子、「なでしこジャパン」、長嶋茂雄と松井秀喜などが記憶に新しいでしょうか。

この40年以上の間に歌手として受賞したのは藤山一郎と美空ひばりの2人だけです。

功績2「レコード・CDの総売上は1億枚以上」

美空ひばりベストヒット全集

2019年までに美空ひばりが売り上げたCD・レコードは1億枚を超えています。日本のアーティストのCDの総売上枚数はトップがB’zの8000万枚となっていますが、ひばりの時代はレコードが多かったので、それらの枚数を合わせるとB’zを上回る数となるのです。

1989年のひばりが亡くなった年には美空ひばりの音楽関係グッズの売り上げが120億円にも達しました。その後も億単位でひばり関連の商品は売れ続けています。マイケルジャクソンが死後も毎年数百億円売り上げているとのニュースがありましたが、美空ひばりはその日本人バージョンといえそうです。

功績3「紅白歌合戦の紅組大トリ回数はぶっちぎりの1位 」

紅白歌合戦

美空ひばりは17歳の頃から紅白歌合戦に出場し、2回目には大トリを務めています。大トリの回数は北島三郎と同じ11回で歴代最多ですが、紅組歌手に限った場合、ひばりに次ぐのは都はるみの3回です。

1973年以降は「ひばりスキャンダル」も絡み、NHKとの折り合いが合わなかったため紅白出場を果たしていませんが、1979年には特別出演という形で出場しています。この回が事実上、最後の紅白歌合戦出演ということになりました。

2019年にはAIの技術を用いて「美空ひばり」を画面上に映し出し、新曲を発表するという画期的な試みも行われています。

美空ひばりの名言

「ひばりに引退はありません。ずっと歌い続けて、いつの間にかいなくなるのよ。」

美空ひばりは幼い頃から歌の世界で生きていくことを決心していたというエピソードがあります。小林旭との結婚生活の時には良き妻を演じようとしていたようですが、それでも芸能界への未練は捨て切れずに再びステージへと立つことを決意します。晩年の病魔に侵されていた時期も歌うことに関しては一切手を抜かずにやり切ったそうです。

「本当に人生って、川の流れのようなものよね。真っ直ぐだったり、曲がりくねっていたり、幅が広かったり、狭かったり、流れが早かったり、遅かったり…。」

この言葉は生前最後となる「川の流れのように」が収録されたアルバム発表時の言葉です。この名言に共感できる人はかなりいるのではないでしょうか?この歌詞に思いを馳せる人が多いからこそ、いまだに愛される曲として「川の流れのように」が生き続けているのだと思われます。

「今日の我に明日は勝つ。」

常に国民的スターとして生きてきた美空ひばりらしい言葉です。10歳の頃から芸能界へデビューを果たし、20歳にして紅白歌合戦の大トリを務めるほどの輝かしい経歴を歩んできた美空ひばりだからこそ言える名言だと思います。最後まで国民に愛される歌手として活躍し続けた姿は永遠に生き続けることでしょう。

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