厳島神社とは?特徴や歴史まとめ【鳥居や御朱印、祀られている神様なども紹介】

厳島神社の社殿について

厳島神社は本社本殿をはじめ、客神社、朝座屋、回廊、平舞台、火焼前、能舞台、天神社ほか多くの建物群からなっています。その主な建物や鳥居などについてご紹介します。

大鳥居

干潮時には歩いて真下に行ける厳島神社の大鳥居

本社から約196m離れた海中にそびえる厳島神社の大鳥居は、宮島のシンボルです。明治8年(1875年)に再建された(平安時代から)8代目で、国の重要文化財に指定されています。

高さは16.6mと4階建てのビルと同じぐらいあり、柱の周囲は約10m、柱の間が約11mと圧巻の大きさです。木造の鳥居としては国内最大級の規模で、日本三大木造鳥居のひとつに数えられています。

この鳥居は本柱に4本の控え柱をもつ「両部鳥居(りょうぶとりい)」という様式です。この6本足が海中に埋まっているわけではありません。地中に杭を打ち込み、その上に布石を並べた基礎の上に鳥居をのせているだけで、鳥居はなんと60トンという自分の重みで立っているのです。重みを増すため上の横の柱である笠木と島木は箱になっており、中に石や砂が詰め込まれています。

干潮時には鳥居のある場所も陸続きとなるため、歩いて鳥居の根元まで行くことができ、下からその圧巻の大きさを実感できます。

70年ぶりに修復工事

工事中の大鳥居

現代の鳥居も建立されてからすでに100年以上たち、老朽化が進んでいます。

そのため令和元年(2019年)から鳥居は70年ぶりの修理が行われており、屋根の葺き替えや塗装、部分修理などが実施される予定です。めったに見られない工事中の姿も話題になりました。

客神社(まろうどじんじゃ)

最初に参拝する客神社

厳島神社に入って回廊を通り、最初に参拝するのが摂社(せっしゃ、主祭神とゆかりの深い神様が祀られているお社)の客神社です。御本社と同じく、本殿、お供えをする幣殿、参拝をする拝殿、お祓いをする祓殿があります。

創建は平安時代とされますが、現在の建物は室町時代の永享2年(1430年)に再建されたものと考えられています。客神社におまつりしているのは天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、熊野櫞樟日命(くまのくすびのみこと)の神様です。

これらの神様は須左之男命(すさのおのみこと)から生まれた御子神たちで、厳島神社の主祭神である三女神と同じ時に生まれました。

本社

厳かな雰囲気の御本社

厳島神社の中心となる御本社も本殿、幣殿、拝殿、祓殿があります。平清盛によって創建され、その後火災などがあり何度か再建されました。本殿は毛利元就によって元亀2年(1571年)に改築されたものです。

屋根に神社のシンボルともいえる千木と鰹木がなく、曲線美が美しい切妻両流造りとなっています。本殿は広さ82坪と言う国内最大級の広さを誇り、杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)を祀っています。

回廊

景色の眺めが良い回廊

社殿を結ぶ通路となっている東西の回廊の長さは108間(約275m)。複雑な屈折を見せながら建物を結ぶ朱色の回廊もみどころのひとつです。神社の廊下といえば壁に窓が設けられているところが多いのですが、この回廊には壁も窓もないため、海や景観を眺めながら進むことができます。

また、回廊には床板が何枚敷かれており、その床板の板と板の間には少し隙間が設けられています。これはせりあがった海水の浮力をのがし、床上の水を海へと流すための仕組みです。釘で止めると圧力に負けてしまうので釘が使われていないなど倒壊を防ぐための工夫が随所に見られます。

舞台

平舞台と高くなった高舞台

厳島神社にはいくつかの舞台もあります。御本社の前には海にせり出すよう平舞台が設けられており、その中央、一段高くなって朱塗りの高欄をめぐらしているのが高舞台です。これらの舞台から海に向かって真正面に大鳥居が見えます。

高舞台も平舞台も平清盛の時代にはなかったようです。高舞台は16世紀には存在し、当初は組み立て式でしたが、江戸時代初期に作り付けの構造になりました。高舞台では年に何度か舞楽が舞われており、4月の「桃花祭」と10月の「菊花祭」がとくにみどころです。

また、毛利元就が寄進し、江戸時代に再建された能舞台もあります。国内でも唯一海の上に立つ能舞台で、舞台の床を1枚の板のようにすることで、足拍子の響きを良くしています。

豊国神社(ほうこくじんじゃ・とよくにじんじゃ)

豊臣秀吉を祀る豊国神社

厳島神社の裏手の丘に建つ豊国神社は、厳島神社の末社(まっしゃ)で、畳857枚分の広さを誇るため、別名千畳閣と呼ばれます。豊臣秀吉が天正15年(1587年)、戦没した兵たちをとむらうためお経をあげる大経堂として建立を命じましたが、完成前に秀吉が亡くなったこともあり、板壁や天井の板がないまま現在にいたっています。そのため側面は壁のない状態です。

江戸時代には納涼、交流の場となっていましたが、明治時代に秀吉をまつる豊国神社となりました。

なお、すぐそばにはこの神社より古い五重塔が建っており、豊国神社、五重塔はともに厳島神社の世界遺産の構成資産に入っています。

厳島神社の神秘と都市伝説

干潮になると姿を見せる鏡の池

手鏡のように見える鏡の池

厳島神社が干潮になると、砂浜と社殿の足元が姿を現します。このとき東回廊のそばには丸い「鏡の池」が姿を現します。これは海水が残ったものではなく、中心部から真水が湧き出すという不思議な池。神社の創建時に一夜にして池ができたという伝説も残されています。

手鏡のような美しさということで「鏡の池」と呼ばれ、ここに映る満月は和歌や俳句にもよくうたわれました。なお、卒塔婆石のそばや天神社のそばにも鏡の池があります。

建築様式に隠された数字の8?

厳島神社は8と関係がある?

厳島神社の建築様式には「8」という数字が隠されているのではないかといわれています。

厳島神社の回廊の柱と柱の間は8尺、その屋根を支える柱の数も108本です。回廊の柱と柱の間に敷き詰められた板の枚数もすべて8枚。大鳥居は本社拝殿から108間、本社火焼前(ひたさき)から88間の沖合に立っています。

このように厳島神社はいたるところに8という数字が関わっているといわれているのです。偶然なのか、意識したものかはわかりませんが、8という数字は末広がりの縁起の良い数字とされているため、清盛がそれにこだわって造ったのかもしれません。

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