神社の境内に五重塔?
厳島神社のすぐ裏の山側、豊国神社の隣に五重塔がそびえています。これは室町時代中頃の15世紀に建てられた和と禅宗様折衷の五重塔です。正式には厳島神社五重塔と呼ばれ、重要文化財に指定されています。
ところで五重塔といえば、仏様の遺骨をおさめる仏教施設です。それが神社の境内にあるのは不思議に思うかもしれません。じつは明治時代より前は神仏習合で神道と仏教の建物が混在することは珍しくありませんでした。しかし明治時代の神仏分離令で神社から五重塔のような仏教施設は姿を消したため、神社の境内に江戸期以前の五重塔が残されているのは、厳島神社を含めて3か所だけなのです。
厳島神社の五重塔ももとは厳島神社とかかわりの深い大願寺の管理下にありましたが、明治時代に横の豊国神社が厳島神社管理下の末社となったため、五重塔も厳島神社の下に置かれたようです。
社殿が沈まないワケとは
海に浮かぶ社殿であれば、海の中に沈んでしまうのではないかという心配があるかもしれません。じつは厳島神社の社殿は海中に固定しているわけではなく、浮かぶように設計されているのです。
礎石の上に柱が固定されているわけではなく置かれているだけで、建物の重みにより建っています。高波がせりあがったとき、柱が固定されているとその圧力を建物が全力で受けて倒壊しかねません。そこで社殿全体が浮いて、元に戻るように作られているのです。
さらに、回廊などの床板と床板のに隙間をもうけて圧力を逃し、本殿に高波が及ばないように工夫されています。
厳島神社と関わりのある人物
佐伯鞍職(さえきのくらもと)
佐伯鞍職は、飛鳥時代の安芸国(広島県)の有力豪族と考えられています。
厳島神社の社伝によると、推古天皇が即位した593年に市杵嶋姫命、または三女神の神託を受けて厳島神社を創建し、初代神主となった人物です。以降、佐伯氏が一時を除いて代々神主職を受け継ぎました。
平清盛
平安末期に武将としてはじめて太政大臣となり、武士政権を確立させて権勢を極めた人物です。
安芸守(安芸国、現在の広島の長官)となり厳島への信仰を深めた清盛は、現在の寝殿造りを模した豪華絢爛な厳島神社を造営しました。平家一門が写経した「平家納経」など貴重な文芸・工芸品もおさめています。平家の隆盛と共に天皇一族や公卿が厳島神社を参拝したため、厳島神社の権威も高まりました。
清盛が厳島神社を造営した理由としては、『平家物語』によれば「厳島神社を造営すれば出世する」というお告げに従ったとしています。実際には清盛は整備した瀬戸内海航路を通して日宋貿易にも力を入れていたことから、海上交通の要衝の地であった宮島に海上守護を願って造営したとも伝えられます。
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毛利元就
中国地方の1大名だった元就が中国地方の覇者として飛躍するきっかけとなったのが、弘治元年(1555年)に陶晴賢(すえはるかた)を滅ぼした厳島合戦でした。
神の島である厳島を戦場にした元就は戦後、神社を潮水で洗い流して清めたといいます。そして勝利は厳島神社のおかげとして、厚く崇敬し、さまざまな修理や寄進を行なったほか、元亀2年(1571年)に本殿を改築しました。これが現存する本社本殿です。
豊臣秀吉
天下統一を目指していた豊臣秀吉は天正15年(1587年)の九州遠征の途上、厳島神社に参拝します。そして戦没者の霊を慰めるため大経堂の建立を安国寺恵瓊(あんこくじえけい)に命じました。
しかしその後の朝鮮出兵や秀吉の死去により、工事は中断されて大経堂は未完成のままとなります。この建物は別名千畳閣とも呼ばれ、明治時代に秀吉をまつる豊国神社となりました。
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厳島神社の歴史年表
593年 – 「厳島神社創建」
佐伯鞍職が社殿を作るようにと、神のお告げを受けて御笠浜(みかさのはま)に厳島神社を創建したと伝えられています。以降、佐伯氏が代々厳島神社の神主をつとめています。
811年 – 「厳島の名が文献登場」
『日本後紀』に伊都岐島名神の名が記されています。これが厳島神社の名前が文献に記された最初です。平安時代中期には安芸国一宮(安芸国でもっとも社格の高い宮)とされ、名声が高まりました。
1168年頃 – 「平清盛が社殿造営」
時の権力者・平清盛がほぼ現在のような豪華な社殿を造営し、平家一門の守護神として崇めます。以降、公卿や天皇一族の参拝が相次ぎ、厳島神社の権威は高まりました。
鎌倉時代に神社は炎上しますが、再建されています。なお、厳島は神の島とされたため、人は住んでいませんでしたが、鎌倉時代になると聖職者が居住し始めます。
1571年 – 「毛利元就が社殿を建て替え」
1555年に厳島合戦が起こり、厳島は戦場となりました。この戦いに勝利した毛利元就が陶晴賢を滅ぼして西国一の大名へと飛躍。元就は厳島神社を崇敬し、本社の本殿を建て替えました。
1587年 – 「豊臣秀吉社参」
九州遠征途上の豊臣秀吉が厳島神社を参拝し、戦死者の霊を慰めるため大経堂の造営を命じます。
なお、江戸時代は庶民の間で厳島詣でが盛んになり、厳島神社は多くの参拝者でにぎわいました。
1868年 – 「神仏分離令」
神仏分離令とは神と仏、神社と寺をはっきり区別させる政策です。厳島神社は社殿が仏式と判断され、社殿が破却されそうになりました。そのため仏教色の強い朱色の彩色をはがし落として白木造りとし、屋根には神社に定番の千木と鰹木がもうけられたようです。
1996年 – 「世界遺産登録」
厳島神社をはじめ、大鳥居が立つ前面の海と背後の弥山原始林を含む島の14%が世界遺産に登録されました。
2019年 – 「大鳥居の工事開始」
2019年から大鳥居の屋根や塗装などの修理が行なわれています。
厳島神社に関するまとめ
いかがでしたでしょうか。
厳島神社は古くから神の島とよばれた厳島に鎮座した由緒ある神社で、平清盛の時代に竜宮城か極楽浄土かと思われるような絢爛な社殿が築かれました。
客神社や本社、舞台など様々な建物が回廊で結ばれており、足を踏み入れると次から次へと美しく歴史的な建物が目の前に現れます。
その海に浮かぶような神秘的な姿は現在、世界中の人々から注目を集めています。ご利益を祈願しながら、長い歴史を感じてみてはいかがでしょうか。
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