モンサンミシェルとは?歴史・年表まとめ【特徴から逸話まで紹介】

モンサンミシェルの歴史年表

708年:礼拝堂の建設

聖ミカエルのお告げを受けたアヴランジュ司教のオベールによって礼拝堂が建設されました。礼拝堂が建設された島は高さおよそ90メートルで、干潮時は対岸と地続きになりますが、満潮時には海中に孤立します。

甲冑を着て悪魔を踏みつぶしている大天使ミカエル

伝説によれば、礼拝堂の建設までモンサンミシェルが建てられた岩山は対岸と地続きでした。しかし、オベールが礼拝堂を建て神に献じると、一夜にして海水によって覆われ島になったというのです。おそらく、干満の差が激しいことによって生まれた伝説なのでしょうが、モンサンミシェルの神秘性を強調するエピソードとして語り継がれました。

9世紀:度重なるノルマン人の襲撃

ヨーロッパ各地に移動したノルマン人

8世紀から9世紀にかけて、スカンディナビア半島周辺を根拠地とするノルマン人(通称ヴァイキング)が大西洋沿岸地域を襲撃。彼らはフランク王国の衰退に乗じて沿岸地域を攻撃し、時に内陸部まで侵攻しました。

沿岸地域を襲撃したノルマン人は住民を捕らえ、イスラム諸国に奴隷として売り払い対価として多額の貨幣を受け取っていました。海の上に位置するモンサンミシェルも彼らの標的となり、物資などを略奪されていたわけです。

襲撃を受けた多くの修道院は、貴重品を持って内陸部に避難しました。しかし、モンサンミシェルの修道僧たちはこの場所から立ち去らず、修道院を守り続けます。

966年:ベネディクト会修道院の建設

911年、ノルマン人の部族長の一人であるロロが忠誠と引き換えにノルマンディ地方を与えられました。これにより、モンサンミシェル周辺はノルマンディ公国の領土となり平穏を取り戻します。

モンサンミシェルを含むノルマンディ地方

966年、ノルマンディ公リチャード1世はモンサンミシェルにベネディクト会の修道院を立てさせます。これ以後、13世紀まで増改築が繰り返され現在のような形になりました。

1203年:フランス軍の攻撃で一部炎上

1066年、ノルマンディ公ウィリアムがドーバー海峡を渡りイングランドを征服しました。この出来事はノルマンコンクェストと呼ばれており、以後ノルマンディ地方はフランス領でありながら、イギリス王でもあるノルマンディ公の支配を受けるというややこしい状況になります。

12世紀末になると、フランス王権の拡大を狙うフランス王フィリップ2世はたびたびイングランドと戦うようになります。この時、イングランド側についていたモンサンミシェルはフィリップ2世の攻撃を受け一部破壊されてしまいました。

海側から見上げたモンサンミシェル

戦闘終了後、フィリップ2世はモンサンミシェルに寄進を行い、修道院の居住スペースを増築させました。その建物こそ装飾の美しさから「ラ・メルヴェイユ」(驚嘆)とよばれるようになる部分です。破壊はとても残念ですが、そのおかげであの美しい建物がみられるのはなんとも皮肉なことですね。

15世紀:聖地巡礼ブームで繁栄

13世紀から14世紀にかけておきた百年戦争が終結すると、モンサンミシェルに再び平和が訪れます。15世紀になると聖ミカエルへの信仰が高まり、モンサンミシェルに多くの人々が巡礼として訪れました。

巡礼者を描いたヒエロニムスによる絵画

しかし、現代と異なり当時の巡礼は危険に満ちていました。道中には追剥が待ち伏せし、理不尽な領主による搾取や疫病、戦争などでいつ命を失ってもおかしくなかったからです。それでも、多くの人々は聖ミカエルの加護を得たいとモンサンミシェルを目指しました。モンサンミシェルは多くの巡礼を迎えることで繁栄します。

19世紀:監獄として使用

18世紀末におきたフランス革命の波にモンサンミシェルも飲み込みまれます。フランス革命で従来の宗教であるカトリックは否定され、フランス各地で教会が破壊されました。このとき、モンサンミシェルの修道院も廃止されます。

1900年頃のモンサンミシェル

その後、1863年までモンサンミシェルは革命に反発する聖職者や王党派を収容する監獄として機能します。海の上にあるという立地が監獄として最適だったからでしょう。50年以上にわたって監獄とされたモンサンミシェルには1万2千人が送られたといいます。脱出困難なモンサンミシェルは「海のバスティーユ」として人々の恐怖の対象となりました。

1865年:修復開始

モンサンミシェルを監獄として使うことに反対した作家ヴィクトル・ユーゴー

19世紀になると、フランスでは中世の建物を文化財として保護するべきだとする考え方が広がります。その中心人物となったのが作家のヴィクトル・ユーゴーでした。ユゴーは『レ・ミゼラブル』などの作品で知られるフランスの国民的作家です。

彼は中世の面影を色濃く残すモンサンミシェル修道院を監獄して使うことを批判します。この意見を耳にしてフランス皇帝ナポレオン3世は監獄の閉鎖を決断しました。そして、モンサンミシェルを歴史的建造物に指定し修復作業を開始します。

1966年:修道院として再開

長年にわたる修復工事を経て、1966年にモンサンミシェルは修道院として再開されました。現在、モンサンミシェルには数十人が常駐しています。その多くが国有地であるモンサンミシェルを管理するための職員や警備員です。

もちろん、修道士たちも常駐しています。彼らの人数は男女合わせて10人前後です。かつては150人以上暮らし、小学校もあったことを考えると島民は大分減少しました。ただし、フランス屈指の観光地であるため、多くの観光客でにぎわっています。

モンサンミシェルに関するまとめ

いかがでしたか?

モンサンミシェルはノルマンディ地方にある修道院です。海の上に立つ神秘的な外観と内部の精緻な装飾から「西洋の驚異」とよばれました。1979年には世界文化遺産に指定されています。

モンサンミシェルの名物はオムレツで現在も訪れる観光客の舌を楽しませています。時に戦場となり、時に監獄として利用されつつもモンサンミシェルは現在までその美しい姿をとどめてきました。

この記事でモンサンミシェルへの理解を深めたきっかけにぜひ一度、現地へ足を運んで見てはいかがでしょう。

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