モンサンミシェルが「西洋の驚異」とよばれる理由
モンサンミシェルが「西洋の驚異」と呼ばれる理由は、建物自体の美しさにあります。遠くから見ると、まるで海の上に浮かんでいるかのように見え、下から見上げると、その荘厳さに圧倒されてしまうようです。
それもそのはず、下から修道院の塔の先端までの高さは150mに及びます。海の上に垂直に立つその姿は多くの人の目を驚かせてきたことでしょう。
また、内装の美しさも「西洋の驚異」とされる理由です。モンサンミシェルの中でも最も美しいとされるのが修道院北側の居住区です。その部分は美しい装飾で飾られているため「ラ・メルヴェイユ」(驚嘆)と称されました。外観だけではなく、内面まで美しいモンサンミシェルはフランスだけではなく、西洋建築の傑作です。
モンサンミシェルにまつわる3つのエピソード
1.名物はオムレツ
モンサンミシェルの名物料理といえば、島内にあるレストラン「ラ・メール・プラール」の看板メニューのオムレツです。このレストランはかつて宿屋でした。その宿屋でプラールさんという女性がオムレツを考案し、巡礼たちに提供したのが始まりです。
海の中の小島にある修道院なので、モンサンミシェルは肉や野菜を手に入れにくい環境でした。そのため、比較的手に入りやすかった卵をふんだんに使ったオムレツを考案したといいます。
卵3つを使った大きなオムレツは空気をたくさん含ませたスフレ風のものです。そのため、口に入れた時に溶けていくような触感を味わうことができます。オムレツそのものの味は抑え気味なので、付属のケチャップや塩をつけるのがおすすめですよ。
2.かつては危険な巡礼地
激しい潮流で巡礼者が亡くなる
モンサンミシェルへの巡礼で人が亡くなるのも珍しくありませんでした。モンサンミシェルがあるサン・マロ湾は干満の差が大きく、激しい潮流が渦巻く海域です。そのため、モンサンミシェルを訪れる巡礼者は潮の満ち干を見極めて移動する必要がありました。
サン・マロ湾の満ち引きの差は15メートルにも及びます。干潮時には対岸と地続きになり歩いて渡ることができました。しかし、ひとたび潮が満ちると激しい潮流に巻き込まれる危険があります。そのため、モンサンミシェルに行くものは遺書を書くという言い伝えが生まれました。
英仏の戦争に巻き込まれる
モンサンミシェルはイギリスとフランスの間でたびたび繰り返された戦争に巻き込まれました。。特に、百年戦争中は重要拠点とみなされ、軍事要塞化されます。百年戦争とは1339年から1453年までの間、イングランド王とフランス王が戦った戦争のことですね。
1424年、イングランド軍15,000人がモンサンミシェルに攻め込みました。モンサンミシェルにはフランス人の騎士たちが立てこもりイングランド軍を迎え撃ちます。イングランド軍は補給を絶ってモンサンミシェルを攻め落とそうとしましたが、ブルターニュ半島の騎士たちが船で食料を運んだので包囲は失敗に終わります。
その後、イングランド軍は干潮を利用し臼砲を打ち込むなど総攻撃を仕掛けました。イングランド軍の勢いはすさまじく、モンサンミシェルは陥落の危機に直面します。しかし、満潮の訪れとともにイングランド軍は攻撃を中断。結局、モンサンミシェルを落とすことができませんでした。
3.島内に「ジャンヌダルク」の像がある
モンサンミシェルの島内にはジャンヌダルクの像があります。場所はメインストリート沿いにあるサン・ピエール教会です。サン・ピエール教会は11世紀から17世紀にかけて少しずつ作られた小さな教会で、ジャンヌダルク像はその入り口にあります。
教会内には聖母マリアの像や宗教画、モンサンミシェルを象徴する大天使ミカエルの像などがあります。ジャンヌダルクは神のお告げを聞いてフランスを救う戦いに身を投じました。彼女にお告げを与えたものの中に聖ミカエルもいます。
ジャンヌダルク自身はモンサンミシェルを訪れたことがないといいます。しかし、ミカエルもジャンヌダルクも甲冑姿で描かれるなど共通点が多いのは興味深いところです。