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モンサンミシェルとは?歴史・年表まとめ【特徴から逸話まで紹介】

「モンサンミシェルってなに?」
「モンサンミシェルの特徴は?」
「モンサンミシェルの歴史について知りたい!」

この記事をご覧のあなたはそのようなことをお考えではないでしょうか。モンサンミシェルは「海に浮かぶ修道院」として有名なフランスの修道院です。カトリックの巡礼地の一つで、モン・サン=ミシェルとも表記されていますね。

サン=マロ湾に浮かぶ小島に建てられたため、満潮時には海上に孤立します。海面からそびえたつ威容は見るものに畏敬の念を抱かせたでしょう。そんなモンサンミシェルにはオムレツやジャンヌダルクに関するエピソードもあるんです。

今回は「西洋の驚異」と称えられたモンサンミシェルの特徴や立地条件、エピソード、歴史などについてまとめます。

モンサンミシェルとは

モンサンミシェル全景

モンサンミシェルとは、コタンタン半島とブルターニュ半島に挟まれたサン=マロ湾内の小島に作られた修道院です。フランス語で「モン」は山、「サン・ミシェル」は聖ミカエルのことで、モンサンミシェルは聖ミカエルの山という意味になります。

モンサンミシェルの中央には修道院が建っており、地上から修道院の塔上にある大天使ミカエル像までの高さはなんと150m。下から見上げると、その荘厳なたたずまいに圧倒されてしまうでしょう。

モンサンミシェル修道院付属協会

修道院は3つの階層から成り立っています。下層部にあるのは大階段や庭などです。その次の中層部には騎士の間や迎賓の間、死者を安置する聖エティエンヌ礼拝堂、創建当初のたたずまいを残す聖マルタン(マルティヌス)礼拝堂などがあります。そして、最上層部には修道院付属の教会や修道院長の部屋などがつくられました。

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増改築が繰り返されたモンサンミシェルには様々な時代の建築様式がみられます。特に最上層部にある修道院付属教会には、本堂北側のロマネスク様式の部分や15~16世紀のゴシック様式で内陣があり、建築の歴史を知れますね。

一時、修道院が廃止され軍事施設に転用されましたが、その後修復され修道院としての機能を回復。1979年に世界遺産に指定されたモンサンミシェルは、フランス屈指の観光名所として多くの観光客を集めています。

モンサンミシェルの3つの特徴

1.もともとはケルト人の聖地

ケルト人の分布

モンサンミシェルが建てられた島は、もともとケルト人の聖地とされた場所でした。ケルト人とは、アルプス以北に居住していた先住民族です。古代ローマ人はフランスに住むケルト人を「ガリア人」とよびました。

彼らは現在、モンサンミシェルの土台となっている島を「モン・トンブ」(墓の山)と呼んで信仰しています。ケルト人はドルイドとよばれる神官が祭祀を行う自然崇拝の宗教です。特定の山や川は彼らの信仰対象となるので、モンサンミシェルの土台の島となったモン・トンブもその一つだったのでしょう。

2.大天使ミカエル(ミシェル)のお告げで誕生

司教オベールに聖堂建設を命じた大天使ミカエル

モンサンミシェルは大天使ミカエルのお告げによって誕生したとされます。708年、近隣のアヴランシュの司教だったオベールの夢に大天使ミカエルが現れ、「この岩山に聖堂を建てよ」と命じました。

しかし、オベールは夢のお告げが本当かどうか疑い、全く動きませんでした。すると、ミカエルはまた夢に現れ、「聖堂を建てよ」と繰り返します。ミカエルは3度オベールの夢に現れましたが、彼はお告げを信じませんでした。

全く動こうとしないオベールに苛立ったミカエルは、オベールの額に指を触れて強く命じます。翌朝、稲妻が走るような衝撃を受けて目覚めたオベールは自分の額にミカエルの指によってつけられた穴を発見し驚愕。ようやくお告げに従い島に聖堂を建てました。

3.1979年に世界文化遺産登録

モンサンミシェルは1979年に世界文化遺産に指定されました。指定された理由は、モンサンミシェルが建築上の傑作であり非常にまれなものであると考えられたからです。

モンサンミシェルに残されている家々

モンサンミシェルには各時代の建築様式が用いられています。修道院北側の「ラ・メルヴェイユ」にはゴシック建築が、修道院付属教会にはロマネスク様式が用いられており、修道院に至る参道には19世紀に建てられた宿屋や飲食店がそのままの姿を残していますね。

西洋のあらゆる時代の建造物が共存しているという点でモンサンミシェルはとても素晴らしい建造物群だといえます。そのため、世界文化遺産に登録されたといってよいでしょう。

モンサンミシェルが「西洋の驚異」とよばれる理由

モンサンミシェルが「西洋の驚異」と呼ばれる理由は、建物自体の美しさにあります。遠くから見ると、まるで海の上に浮かんでいるかのように見え、下から見上げると、その荘厳さに圧倒されてしまうようです。

それもそのはず、下から修道院の塔の先端までの高さは150mに及びます。海の上に垂直に立つその姿は多くの人の目を驚かせてきたことでしょう。

修道院内部の回廊

また、内装の美しさも「西洋の驚異」とされる理由です。モンサンミシェルの中でも最も美しいとされるのが修道院北側の居住区です。その部分は美しい装飾で飾られているため「ラ・メルヴェイユ」(驚嘆)と称されました。外観だけではなく、内面まで美しいモンサンミシェルはフランスだけではなく、西洋建築の傑作です。

モンサンミシェルにまつわる3つのエピソード

1.名物はオムレツ

オムレツの原料となる卵

モンサンミシェルの名物料理といえば、島内にあるレストラン「ラ・メール・プラール」の看板メニューのオムレツです。このレストランはかつて宿屋でした。その宿屋でプラールさんという女性がオムレツを考案し、巡礼たちに提供したのが始まりです。

海の中の小島にある修道院なので、モンサンミシェルは肉や野菜を手に入れにくい環境でした。そのため、比較的手に入りやすかった卵をふんだんに使ったオムレツを考案したといいます。

卵3つを使った大きなオムレツは空気をたくさん含ませたスフレ風のものです。そのため、口に入れた時に溶けていくような触感を味わうことができます。オムレツそのものの味は抑え気味なので、付属のケチャップや塩をつけるのがおすすめですよ。

2.かつては危険な巡礼地

激しい潮流で巡礼者が亡くなる

サン・マロ湾に浮かぶモンサンミシェル

モンサンミシェルへの巡礼で人が亡くなるのも珍しくありませんでした。モンサンミシェルがあるサン・マロ湾は干満の差が大きく、激しい潮流が渦巻く海域です。そのため、モンサンミシェルを訪れる巡礼者は潮の満ち干を見極めて移動する必要がありました。

サン・マロ湾の満ち引きの差は15メートルにも及びます。干潮時には対岸と地続きになり歩いて渡ることができました。しかし、ひとたび潮が満ちると激しい潮流に巻き込まれる危険があります。そのため、モンサンミシェルに行くものは遺書を書くという言い伝えが生まれました。

英仏の戦争に巻き込まれる

1357年にモンサンミシェル守備隊長に任命されたベルトラン・デュ・ゲクラン

モンサンミシェルはイギリスとフランスの間でたびたび繰り返された戦争に巻き込まれました。。特に、百年戦争中は重要拠点とみなされ、軍事要塞化されます。百年戦争とは1339年から1453年までの間、イングランド王とフランス王が戦った戦争のことですね。

1424年、イングランド軍15,000人がモンサンミシェルに攻め込みました。モンサンミシェルにはフランス人の騎士たちが立てこもりイングランド軍を迎え撃ちます。イングランド軍は補給を絶ってモンサンミシェルを攻め落とそうとしましたが、ブルターニュ半島の騎士たちが船で食料を運んだので包囲は失敗に終わります。

その後、イングランド軍は干潮を利用し臼砲を打ち込むなど総攻撃を仕掛けました。イングランド軍の勢いはすさまじく、モンサンミシェルは陥落の危機に直面します。しかし、満潮の訪れとともにイングランド軍は攻撃を中断。結局、モンサンミシェルを落とすことができませんでした。

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3.島内に「ジャンヌダルク」の像がある

モンサンミシェルの島内にはジャンヌダルクの像があります。場所はメインストリート沿いにあるサン・ピエール教会です。サン・ピエール教会は11世紀から17世紀にかけて少しずつ作られた小さな教会で、ジャンヌダルク像はその入り口にあります。

シャルル7世の戴冠式に参列するジャンヌダルク

教会内には聖母マリアの像や宗教画、モンサンミシェルを象徴する大天使ミカエルの像などがあります。ジャンヌダルクは神のお告げを聞いてフランスを救う戦いに身を投じました。彼女にお告げを与えたものの中に聖ミカエルもいます。

ジャンヌダルク自身はモンサンミシェルを訪れたことがないといいます。しかし、ミカエルもジャンヌダルクも甲冑姿で描かれるなど共通点が多いのは興味深いところです。

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モンサンミシェルの歴史年表

708年:礼拝堂の建設

聖ミカエルのお告げを受けたアヴランジュ司教のオベールによって礼拝堂が建設されました。礼拝堂が建設された島は高さおよそ90メートルで、干潮時は対岸と地続きになりますが、満潮時には海中に孤立します。

甲冑を着て悪魔を踏みつぶしている大天使ミカエル

伝説によれば、礼拝堂の建設までモンサンミシェルが建てられた岩山は対岸と地続きでした。しかし、オベールが礼拝堂を建て神に献じると、一夜にして海水によって覆われ島になったというのです。おそらく、干満の差が激しいことによって生まれた伝説なのでしょうが、モンサンミシェルの神秘性を強調するエピソードとして語り継がれました。

9世紀:度重なるノルマン人の襲撃

ヨーロッパ各地に移動したノルマン人

8世紀から9世紀にかけて、スカンディナビア半島周辺を根拠地とするノルマン人(通称ヴァイキング)が大西洋沿岸地域を襲撃。彼らはフランク王国の衰退に乗じて沿岸地域を攻撃し、時に内陸部まで侵攻しました。

沿岸地域を襲撃したノルマン人は住民を捕らえ、イスラム諸国に奴隷として売り払い対価として多額の貨幣を受け取っていました。海の上に位置するモンサンミシェルも彼らの標的となり、物資などを略奪されていたわけです。

襲撃を受けた多くの修道院は、貴重品を持って内陸部に避難しました。しかし、モンサンミシェルの修道僧たちはこの場所から立ち去らず、修道院を守り続けます。

966年:ベネディクト会修道院の建設

911年、ノルマン人の部族長の一人であるロロが忠誠と引き換えにノルマンディ地方を与えられました。これにより、モンサンミシェル周辺はノルマンディ公国の領土となり平穏を取り戻します。

モンサンミシェルを含むノルマンディ地方

966年、ノルマンディ公リチャード1世はモンサンミシェルにベネディクト会の修道院を立てさせます。これ以後、13世紀まで増改築が繰り返され現在のような形になりました。

1203年:フランス軍の攻撃で一部炎上

1066年、ノルマンディ公ウィリアムがドーバー海峡を渡りイングランドを征服しました。この出来事はノルマンコンクェストと呼ばれており、以後ノルマンディ地方はフランス領でありながら、イギリス王でもあるノルマンディ公の支配を受けるというややこしい状況になります。

12世紀末になると、フランス王権の拡大を狙うフランス王フィリップ2世はたびたびイングランドと戦うようになります。この時、イングランド側についていたモンサンミシェルはフィリップ2世の攻撃を受け一部破壊されてしまいました。

海側から見上げたモンサンミシェル

戦闘終了後、フィリップ2世はモンサンミシェルに寄進を行い、修道院の居住スペースを増築させました。その建物こそ装飾の美しさから「ラ・メルヴェイユ」(驚嘆)とよばれるようになる部分です。破壊はとても残念ですが、そのおかげであの美しい建物がみられるのはなんとも皮肉なことですね。

15世紀:聖地巡礼ブームで繁栄

13世紀から14世紀にかけておきた百年戦争が終結すると、モンサンミシェルに再び平和が訪れます。15世紀になると聖ミカエルへの信仰が高まり、モンサンミシェルに多くの人々が巡礼として訪れました。

巡礼者を描いたヒエロニムスによる絵画

しかし、現代と異なり当時の巡礼は危険に満ちていました。道中には追剥が待ち伏せし、理不尽な領主による搾取や疫病、戦争などでいつ命を失ってもおかしくなかったからです。それでも、多くの人々は聖ミカエルの加護を得たいとモンサンミシェルを目指しました。モンサンミシェルは多くの巡礼を迎えることで繁栄します。

19世紀:監獄として使用

18世紀末におきたフランス革命の波にモンサンミシェルも飲み込みまれます。フランス革命で従来の宗教であるカトリックは否定され、フランス各地で教会が破壊されました。このとき、モンサンミシェルの修道院も廃止されます。

1900年頃のモンサンミシェル

その後、1863年までモンサンミシェルは革命に反発する聖職者や王党派を収容する監獄として機能します。海の上にあるという立地が監獄として最適だったからでしょう。50年以上にわたって監獄とされたモンサンミシェルには1万2千人が送られたといいます。脱出困難なモンサンミシェルは「海のバスティーユ」として人々の恐怖の対象となりました。

1865年:修復開始

モンサンミシェルを監獄として使うことに反対した作家ヴィクトル・ユーゴー

19世紀になると、フランスでは中世の建物を文化財として保護するべきだとする考え方が広がります。その中心人物となったのが作家のヴィクトル・ユーゴーでした。ユゴーは『レ・ミゼラブル』などの作品で知られるフランスの国民的作家です。

彼は中世の面影を色濃く残すモンサンミシェル修道院を監獄して使うことを批判します。この意見を耳にしてフランス皇帝ナポレオン3世は監獄の閉鎖を決断しました。そして、モンサンミシェルを歴史的建造物に指定し修復作業を開始します。

1966年:修道院として再開

長年にわたる修復工事を経て、1966年にモンサンミシェルは修道院として再開されました。現在、モンサンミシェルには数十人が常駐しています。その多くが国有地であるモンサンミシェルを管理するための職員や警備員です。

もちろん、修道士たちも常駐しています。彼らの人数は男女合わせて10人前後です。かつては150人以上暮らし、小学校もあったことを考えると島民は大分減少しました。ただし、フランス屈指の観光地であるため、多くの観光客でにぎわっています。

モンサンミシェルに関するまとめ

いかがでしたか?

モンサンミシェルはノルマンディ地方にある修道院です。海の上に立つ神秘的な外観と内部の精緻な装飾から「西洋の驚異」とよばれました。1979年には世界文化遺産に指定されています。

モンサンミシェルの名物はオムレツで現在も訪れる観光客の舌を楽しませています。時に戦場となり、時に監獄として利用されつつもモンサンミシェルは現在までその美しい姿をとどめてきました。

この記事でモンサンミシェルへの理解を深めたきっかけにぜひ一度、現地へ足を運んで見てはいかがでしょう。

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