オイルショック(石油危機)とは?原因や経済への影響を分かりやすく解説

「オイルショックってどんな出来事だったの?」
「オイルショックの原因や結果が知りたい!」

オイルショック(石油危機)とは1970年代、二度にわたり産油国の集中するアラブ諸国の情勢悪化を受けて発生した経済的混乱さします。

テレビで昭和の事件などが放映されるとき、「オイルショック」の字幕とともにトイレットペーパーを求めてもみ合いになっている映像を観たことはありませんか?オイルショックのもっとも象徴的なできごととして定番になっています。

しかし、特に若い世代の方は、オイルショックについて、言葉は聞いたはあっても具体的にどのような出来事だったのかを知らない方も多いかと思います。

今回は、その原因から与えた影響、どのように収束したのかについて、分かりやすく解説していきます。「逆オイルショック」といった現象についての解説もするのでぜひ最後までご覧下さい。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

オイルショックとは?

店頭に積まれたトイレットペーパーを求める人々

オイルショックを分かりやすく解説すると?

オイルショックとは、1970年代の2度にわたり、産油国の集中するアラブ諸国が原油生産量の削減と価格の引き上げを行うことにより発生した経済的混乱をさします。1973年にはじまる混乱を第一次オイルショック、1979年にはじまる混乱を第二次オイルショックとよび両者を区別しています。

原油の価格高騰と供給不足は、これを原料とするガソリン、灯油、電力、プラスチックなどの製品の値上げを引き起こします。当時の日本は、1970年代初頭からのインフレーション(インフレ)により物価の高騰が進んでいたところでした。このタイミングで第一次オイルショックが起きたことにより、「狂乱物価」と呼ばれる異常な物価上昇を招くことになったのです。

原因は何だったのか?

オイルショックの舞台は、産油国の集中する中東

1.産油国の資源外交

原因の一つは、中東において発生した紛争・内紛にあります。例えば、第一次オイルショックは、1973年に勃発した第4次中東戦争が発端となっており、第二次オイルショックでは1979年のイラン革命とつづくイラン・イラク戦争が発端となっています。この背景には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった宗教的な摩擦や民族的な対立がありました。

もう一つの原因は原油という資源です。世界有数の原油埋蔵量を誇るアラビア半島を中心に、産油国は原油を重要な外交上のカードとして利用してきました。とりわけ当時のアラブ諸国はイスラエルとの関係を含めて政情が不安定であり、かつ産業構造が原油に依存していた面からもこうした資源外交がさかんに行われていました。

2.限られた産油国に依存していた構造

日本はいまでも原油の多くを中東に頼っている

この図は2016年度の原油の輸入先をグラフにしたものですが、大部分をサウジアラビア・アラブ首長国連邦などの中東の国々に依存していることが分かります。オイルショックへの反省から、輸入先の多様化を進めリスクヘッジを重ねてきたところですが、新興国を中心とする内需の高まりなどもあり、中東依存に逆戻りしている状況があります。

これは裏を返せば、現在でも状況によってはオイルショックが再発しうることを意味しています。このことは、脱酸素社会の実現や温暖化防止・地球環境保護といったグローバルな問題と並んで、日本のエネルギー政策における大きな課題の一つということができます。

第一次と第二次、ふたつのオイルショックの違いは?

1970年代におきた二度のオイルショック。ではそのうちの第一次オイルショックと第二次オイルショックとは、なにがどうちがうのでしょう。単純化していえば、第一次オイルショックの背景にはユダヤ人対パレスチナ人という構造がありましたが、第二次オイルショックの背景はイラン国内の政情不安とイラン・イラクというイスラム教国同士の争いでした。以下で詳しく説明します。

第一次オイルショックの原因と影響、結果について

原因は第4次中東戦争

第4次中東戦争

1973年10月6日、エジプト・シリアなどアラブ諸国は4度目の対イスラエル戦争に突入しました。これに伴い、アラブ諸国側は資源外交を展開。まずOPEC(石油輸出国機構)に加盟するペルシア湾岸の6か国が原油公示価格を70%値上げすることを発表し、ついでOAPEC(アラブ石油輸出機構)が原油生産を徐々に削減することを決定しました。

さらにイスラエル軍の撤退までという条件のもと、イスラエルを支援する国々に経済制裁として石油の禁輸を決定します。1974年に入ると、ペルシア湾岸の6か国は原油公示価格をさらに引き上げました。当初3.01ドル/バレルだった価格が、半年にも満たない間に11.65ドルまで上昇したことになります。

背景にあったパレスチナ問題

イスラエルとパレスチナの関係が読みとれる地図

中東戦争の背景には、いわゆるパレスチナ問題がありました。第二次世界大戦中のドイツにおいて、ナチスから迫害を受けたユダヤ人だち。戦後、彼らの多くはかつての故郷であるパレスチナに帰還しユダヤ人国家を建設しようという「シオニズム運動」がおこります。

ユダヤ人の希望は1947年の国連決議と翌1948年5月のイスラエル国独立宣言され結実するのですが、問題は約2000年間パレスチナに居住していたアラブ人(パレスチナ人)です。周辺アラブ諸国は、イスラム教徒が多いという宗教的背景もあり、パレスチナ人を支援するため、イスラエル国との戦争を重ねてゆくことになります。これが今なお中東に悲劇を生み続ける「パレスチナ問題」です。

社会経済・生活への影響

物価の高騰

消費者物価指数を示したグラフ

さまざまな製造業分野で使用される原油。その原油が大幅に値上がりしてしまったわけですから、ガソリンや灯油、その他石油関連製品を中心に物価が跳ねあがります。消費者物価の上昇率は年20%を越えるなど激しいインフレがおこり、「狂乱物価」と名づけられるほどに日本経済は大きな打撃を受けました。

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