オイルショック(石油危機)とは?原因や経済への影響を分かりやすく解説

オイルショックは世の中にどのような変化をもたらしたのか?

オイルショックは、それまでの産業に変革をもたらした

オイルショックは、その名の通り日本中にショックを与える出来事でした。これまで当たり前に消費してきたエネルギーの貴重さや備蓄の必要性、省エネという考え方、原油以外の燃料・素材の開発、様々な分野への教訓となりました。どのような変化が起きたのかを簡単にまとめてみます。

エネルギーを効率的に使う考え方が普及した

石油を大切に使う「省エネルギー(省エネ)」という考え方や、石油への依存度を下げるための「代替エネルギー(代エネ)」といった考え方が広がり始めます。具体的には1979年の「エネルギーの使用の合理化に関する法律(省エネ法)」や1980年の「石油代替エネルギーの開発及び導入の促進に関する法律(代エネ法)」といった法整備がなされました。

ムーンライト計画

ムーンライト計画・サンシャイン計画

ムーンライト計画とは、1978年から1993年の15年間にわたり実施された省エネルギー技術に関する研究です。廃熱利用技術、ガスタービンの改良、スターリングエンジン、燃料電池、ヒートポンプなど様々な研究成果がありました。例えばヒートポンプは冷蔵冷凍庫やエアコンなどの家電製品にも応用されています。のちにニューサンシャイン計画として統合・発展されています。

サンシャイン計画

サンシャイン計画とは、1974年から2000年の26年間にわたり実施された新エネルギー技術に関する研究です。石炭の液化、地熱利用、太陽光発電、水素エネルギーなどの分野で技術開発が行われました。こちらもムーンライト計画と同様、ニューサンシャイン計画に組み込まれます。

新しいエネルギーが注目され始めた

原子力発電

日本で初めて臨界を迎えた日本原子力研究所(当時、現日本原子力研究開発機構)の原子炉

新エネルギーとして実用化したものの一つに原子力発電(原発)があります。一度核燃料を輸入すれば、燃料リサイクルにより「準国産エネルギー」として位置づけられる原発は、日本のように資源をもたない国にとっては魅力的な存在でした。

天然ガス

世界規模でみても産地が限定される原油にかわり、注目を集めたのが天然ガスです。産地が多いということはそれだけリスクヘッジにもなり、エネルギーセキュリティが高いとされています。1961年には帝国石油が新潟県から東京都まで300kmに及ぶパイプラインを敷設しましたが、オイルショックが追い風となりその後の天然ガス利用はさらに拡大しました。

その他のオイルショック

湾岸戦争とミニオイルショック

湾岸戦争は日本でも大々的に報道された

1990年8月、突如イラクがクウェートに侵攻します。国連は安全保障理事会を開きイラクに対し撤退勧告を行いますがイラクは応じず。翌1991年1月にはアメリカを中心とする多国籍軍との間で湾岸戦争に発展しました。

この際にイラクとクウェートの原油生産がストップし、そのために原油価格が高騰した事態を指して「ミニオイルショック(または第三次オイルショック)」と呼ばれることがあります。

資源バブルによるオイルショック

サブプライム・ローン問題は世界に波及し「リーマン・ショック」を生んだ

2004年〜2008年にかけて発生した原油価格の高止まりを「資源バブルによるオイルショック」と呼ぶことがあります。原因は主に次のような点でした。

  • 新興国による原油需要が広がったこと
  • 先物取引による思惑買い
  • 原油生産能力の停滞

当初はアメリカのサブプライムローン問題で行き場を失った資金が原油先物市場に流入したのですが、サブプライム問題の影響が広がるにつれ先物市場へのマネー流入も鎮静化し、収束へと向かいました。

2020年にオイルショックが起きていた?

はじめて原油価格がマイナスになったことを報じる朝日新聞記事

逆オイルショックとは

2020年にもオイルショックが起きていたことをご存知でしょうか。オイルショックとってもこれまで見てきたような原油価格の高騰・減産ではなく、逆に原油価格が暴落することで「逆オイルショック」とよばれる現象です。

2020年の逆オイルショック

新型コロナウイルスよる世界経済へのダメージは大きい

2020年といえば、世界を席巻したのがCOVID-19(新型コロナウイルス)です。世界的な感染の広がりから多くの国で出入国あるいは国内の移動が制限され、経済活動にも大きな影響を与えました。こうした中、3月に行われた石油輸出国機構と非加盟産油国による「OPECプラス」では原油の減産が議題にあがります。しかし提案国であるサウジアラビアに対し、ロシアが拒否をしたため交渉は決裂してしまいました。

結果として各産油国が増産に転じたことから原油価格は著しく下落し、当初1バレル当り50ドル台だった価格は、-40.32ドルまで値崩れしてしまいました。史上初めて原油価格がマイナスになるほどの「逆オイルショック」。産油国にとってはまさに死活問題といえますね。

その他の逆オイルショック

2003年のイラク戦争開始を報じた読売新聞(2003年3月20日付け号外)

逆オイルショックは、2020年がはじめてというわけではなく、過去にも例はありました。1986年と2014年です。

1986年当時は、原子力発電などの普及や省エネルギー政策の影響から、世界規模で石油需要が減少していました。また、OPEC以外の産油国とOPEC側産油国の間で生産量の調整がつかず、原油過多の状況ができてしまいました。この時は1バレル20ドル台前半まで値下がりを見せています。

もう一つの例が2014年の逆オイルショックです。2003年にイラク戦争が勃発し、原油相場が急騰をした結果、投機的資金が集中し1バレル100ドルという非常な高値に到達しました。ところが、その後にサブプライム・ローン問題を契機にリーマン・ショックによる不況が世界規模で拡散したため、原油価格は急落へと向かいました。

オイルショックに関するまとめ

今回は「オイルショック」の原因や影響、収束の状況にふれつつ、「逆オイルショック」がどのような現象であったのかという点もふくめて解説をしてきました。産油国の抱える政治的な問題や宗教・民族問題など原油には多くの問題が紐づいていることや、その中で原油価格は絶えず変動していること、ときに大きく変化しその変化がオイルショックを生みだすことが分かりました。

ガソリンや灯油に限らず原油に関連する製品は、私たちの身の回りにたくさん存在しています。快適な暮らしに大きな影響をもつ原油の有難さを改めて痛感するとともに、原油にまつわるニュースをはじめエネルギー問題、環境問題にも興味をもっていただけたら嬉しいです。

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