古事記と日本書紀の違いや共通点は?神話の真実や編纂した時代も解説

2.執筆方法の違い

古事記を執筆した太安万侶

前述の通り、古事記は国内向けに、日本書紀は海外向けに書かれている関係で、その執筆方法も異なっています。

日本書紀は海外向けなので、全て漢文で書かれている一方、古事記は日本国内向けなので、漢文で書くと日本人が読めなくなってしまいます。しかも、古事記が執筆された段階の日本では、ひらがなとカタカナが成立していませんでした。

そこで、執筆者の太安万侶(おおのやすまろ)が使用したのが「日本語の音を漢字で表記する」という手法でした。これは万葉集でも使われている「万葉仮名」と同じもので、後に「加→か」「不→ふ」などの表記へと変わっていき、平安時代頃にひらがなとして成立し、現在に至ります。

3.作った人の違い

日本書紀を作ったの中心人物 舎人親王

記紀は作った人物も異なります。

古事記は、天皇の事績や各地の神話が記されていたとされる「帝紀」と「旧辞」の内容を、稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗記し、その内容を口頭で太安万侶(おおのやすまろ)に伝えました。そして、稗田阿礼から伝え聞いた内容を太安万侶がまとめて古事記が完成したのです。なお、大元となった帝紀と旧辞は現存していません。

一方の日本書紀は、川島皇子ら12名が中心となり作成が開始されましたが一時中断され、後に天武天皇の皇子 舎人親王(とねりしんのう)が中心となって事業を引き継ぎ完成させました。

4.編纂された時代の違い

国宝に指定されている真福寺収蔵の古事記

記紀は天武天皇の意向で作成が始まり、完成したのはともに奈良時代です。しかし、作成にかかった時期は微妙に異なっており、完成したのも天武天皇が崩御した後でした。古事記は、和銅5年(712年)第43代元明天皇の御代に完成、一方の日本書紀は養老4年(720年)第44代元正天皇の御代に完成しました。

このように、完成には約8年の開きがあるのですが、作成にかかった期間にはもっと開きがあり、古事記は約4ヶ月、日本書紀は約39年もの歳月をかけて作られたと言われています。

「古事記・日本書紀」と「風土記・万葉集」との関わりは?

風土記の編纂を命じた第43代元明天皇

記紀と同時期に作られた書物に、風土記と万葉集があります。風土記・万葉集ともに記紀とは作られた目的が違うので、直接的な関りはありません。

風土記は、各土地の地名、各土地の産物、各土地の状態、地名の起源、各土地に伝わる伝承などを調査し提出するよう元明天皇の御代に全国各地に命じ、それらをまとめ、各土地ごとの風土記が完成しました。現存しているのは出雲国、播磨国、常陸国、豊後国、肥前国の5つのみで、その中でも出雲国風土記のみが完本に近い形で現存、他の4つは一部が欠けた状態となっています。

また、出雲国風土記には「国引き神話」などの古事記・日本書紀には書かれていない出雲系の神話が記されています。

万葉集

万葉集は、記紀より時代が下った奈良時代末期に成立した、日本に現存する最古の和歌集です。天皇、貴族などの高貴な人物から有名歌人、農民、作者不詳の和歌までさまざまな身分の人が詠んだ優れた歌が収められています。

このように、直接的な関りはありませんが、記紀・風土記・万葉集は全て奈良時代に成立しており、この時代の歴史や風俗を知る貴重な史料となっています。

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