「オイルショックによるトイレットペーパー買い占めって何?」
「一体どんな様子だったの??」
オイルショックによるトイレットペーパーの買い占め騒動とは、1973年の第一次オイルショックの影響で起きた騒動のことです。国民がこぞって街中のスーパーや小売店からトイレットペーパーを買い占めました。
そしてトイレットペーパーの買い占め騒動はこれ以降も発生しています。
例えばまだ記憶に新しい2020年、新型コロナウイルスが猛威を奮い始めた頃に、トイレットペーパーが品薄になり店頭から消えましたよね。トイレットペーパーを探し求めて何件もスーパーやドラッグストアなどを渡り歩いた人もいるのではないでしょうか?
実はこのような出来事は経済的な混乱や災害などが発生すると、度々起きる事でもあります。
この記事では、第一次オイルショック時に発生したトイレットペーパーの買い占め騒動の原因と影響、オイルショック以降のトイレットペーパーの買い占め騒動について解説します。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
そもそもオイルショックとは何か?
オイルショックとは1970年代に原油産出国の多い中東地域の情勢悪化によって、二度に渡って発生した世界的な経済混乱のことです。原油の生産量削減と価格の高騰が原因で起こったことから「オイルショック」と呼ばれています。
一度目の「第一次オイルショック」は1973年に第四次中東戦争を発端として始まりました。日本でも物価の上昇や物資の買い占めが起こったり、公共事業の延期や省エネの実施など大きな影響を与えました。
2度目は1979年の「第二次オイルショック」で、イラン革命を発端としたイラン・イラク戦争が原因で起こりました。日本においては過去の教訓を生かし速やかな対策を講じたため、第一次オイルショックの時ほどの影響はありませんでした。
オイルショックが起こったことによってエネルギーに対する関心が高まり、省エネへの取り組みや新しいエネルギーの実用化などが実現しました。
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トイレットペーパーの買い占め騒動とは
トイレットペーパーの買い占め騒動とは、第一次オイルショック時に日本各地で起こったトイレットペーパーなどが買い占められた出来事です。
1973年に起きた第一次オイルショックをきっかけに「物資が不足する」という噂が流れ、不安に駆られた国民たちがこぞってトイレットペーパーを買い占めました。そのためスーパーや小売店などの店頭からトイレットペーパーは消え失せ、入手することは困難を極めました。
しかし実際はトイレットペーパーが不足していたという事実は無く、むしろ騒動中は生産量が増加するほど当時の日本の紙生産量は安定していました。にもかかわらず「紙が無くなる」という不安から多くの国民がトイレットペーパーなどを買い占めたのです。
トイレットペーパー買い占めが起こった原因は?
政府の呼びかけによる誤ったうわさ
1971年にアメリカのニクソン大統領が金とドルの交換を一時停止した「ニクソンショック」によって、日本でも経済は大混乱に陥り物価が値上がりを始めていました。そんな中、中東で起こった第一次オイルショックにより日本は更なる物価上昇に晒されることになります。
1973年の10月19日、当時の田中角栄内閣の中曽根康弘通商産業大臣は第一次オイルショックによる原油価格の引き上げを受けて、国民に「紙節約」を呼びかけました。これによって10月下旬には「紙が無くなるのではないか」という噂が流れ始め、国民たちの不安を高めていくことになります。
新聞の記事
1973年11月1日、大阪の千里ニュータウンにある千里大丸プラザ(現:ピーコックストア千里中央店・オトカリテ内)が、「紙が無くなる!」という見出しでトイレットペーパーを特売チラシに掲載します。これはあくまでも安売りによって売り切れてしまうという意味でした。
しかし政府発表を見ていたニュータウンの住人たちは紙が無くなると勘違いし、300人もの列ができると2時間のうちに500個が売り切れました。トイレットペーパーが買えなかった顧客からのクレームで特売品ではない正規の値段のトイレットペーパーも並べましたが、それもすぐ売り切れたと言います。
この出来事を知った新聞社の記者が「あっと言う間に値段は二倍」という見出しで記事にしたため、騒ぎは瞬く間に大きくなり全国に広がっていきました。
日本国民の集団心理
高度経済成長を経験した日本の人々は大量消費に慣れ切っていました。そんな中、急激に訪れた「紙が無くなるかもしれない」という恐怖は、第四次中東戦争という裏付けも相まって急速に日本の人々を浸食しパニックを引き起こしました。
そのパニックは最初は常識的に考え買い占めを行わなかった人でさえ、店頭の空っぽの棚やいつまで続くかわからない不安感に負けトイレットペーパーの確保に走らせるほどでした。店頭には多くの人が押しかけ商品の奪い合いが発生するほどの混乱だったと言います。
その結果トイレットペーパーにとどまらず関係のない洗剤や砂糖なども店頭から消えてしまい、緊急措置法の制定によって翌年1974年3月に騒ぎが収束するまでパニックは続きました。