ヒポクラテスとはどんな人? 生涯・年表まとめ【「誓い」や名言・功績なども紹介】

ヒポクラテスの生涯年表

紀元前460年頃 – 0歳「ヒポクラテス誕生」

コス島にある「ヒポクラテスの木」

医者である父と祖父から医術を学ぶ

ヒポクラテスは紀元前460年ごろ、エーゲ海南東部にあるギリシャ・ドデカネス諸島のコス島で、医者の父・ヘラクレイデスと、母・プラクシテラの間で生まれれました。

その後、祖父から医学を学び、その後はコス島のアスクレピオス神殿で医術をより高めたと言われています。

数々の学問を学ぶ

コス島では医術以外にもデモクリトスとゴルギアスからさまざまな学問を学んだとされています。デモクリトスは古代ギリシアの哲学者で、ソクラテス以前の哲学者でありながら原子という概念を提唱していた非常に頭の良い人物です。ゴルギアスは「この世には本当は何も存在しておらず、存在してようが真実を知ることはできない」というような考えを持つ哲学者です。

また、ヘロディコスというスポーツや体操に詳しい家庭教師からも多くの事を学んだそうです。ヘロディコスはマッサージにも精通しており、こういったヘロディコスの教えが、ヒポクラテスの生活習慣に関する医学を発達させるきっかけになったのかもしれません。

紀元前400年頃 – ??歳「ギリシア各地を遍歴」

ヒポクラテスが旅をしたとされるテッサリアの平原

多くの病気を目にしながら旅を続ける

ヒポクラテスは故郷であるコス島を出て、旅をしながら医学を発展させていきます。コス島からテッサリアへ行き、トラキアを経てマルマラ海まで旅を続けたそうです。日本でいうと本州を縦断するような距離です。

このヒポクラテスの旅についてや生涯については、分かっていることが非常に少なく、資料に関しても裏付けの無いものが多いため、どのような旅をしたのか、何をしていたのかは定かではありません。

紀元前370年頃 – 90歳「ヒポクラテス死去」

ラリサにある古代の劇場

テッサリアの中心都市ラリサで亡くなる

旅を続けたヒポクラテスは最終的に、テッサリアの中心都市のラリサで亡くなったと言われています。

亡くなった年齢に関しては様々あり、90歳という説や、83歳、104歳など非常に様々な憶測が飛び交っており正式な没年齢は不明です。

「ヒポクラテスの誓い」が作られる

ヒポクラテスの死から100年ほどたったころ、ヒポクラテスの意思を継いだヒポクラテス学派によって「ヒポクラテス全集」が作られました。「ヒポクラテス全集」には今も多くの医学校でも宣誓される「ヒポクラテスの誓い」も含まれています。

ただ、作られたのが紀元前という事もあって、文化的停滞にならないか、という批判も一部ではあります。その声を聞いて「ヒポクラテスの誓い」を更に現代的にした誓いを作成している学校も多いです。

ヒポクラテスの関連作品

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誰も知らないヒポクラテス

「誰も知らないヒポクラテス」は、ヒポクラテスのルーツ・歴史・人物像に迫るというような内容になっています。

少し専門的な内容も多いですが、写真も数多くあり、読みやすさもあります。ヒポクラテスについて重点的に語られるのは1部のみとなっていますので、その点は留意しておきましょう。

ヒポクラテスについてのまとめ

ヒポクラテス自身の資料はあまり残っておらず、どのような一生を歩んだのか、どんな旅をしていたのかはあまり判明していません。ですが、ヒポクラテスの功績は本記事で語ったように、絶大なものとなっています。間違いなくヒポクラテスがいなければ、今ほど医学は発展していなかったでしょう。

2000年以上も前の人物が研究したものが、今も通用するというのは凄いですよね。ヒポクラテスが生まれたコス島は観光地としても有名ですので、興味のある方は一度行ってみてはいかがでしょうか。

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