ヒポクラテスとはどんな人? 生涯・年表まとめ【「誓い」や名言・功績なども紹介】

よく知られる『ヒポクラテスの誓い』とは

「ヒポクラテスの誓い」を医学教育に採用したハレ・ヴィッテンベルク大学

ヒポクラテスといえば「ヒポクラテスの誓い」が最も有名です。ヒポクラテスの死後100年ごろに、ヒポクラテスの意思を継いだヒポクラテス学派の医師たちが作成しました。「ヒポクラテスの誓い」は医師の倫理についての宣誓文で、このようにさまざまな誓約が掲げられています。

  • 医術を教えてくれた先生は敬い、時には助ける
  • 依頼されても人を殺す薬は与えない
  • 害があると分かっている治療法は決して行わない
  • どんな人に対しても平等に医術を行う
  • 他人の生活の秘密は必ず守る

古代ギリシアの時代に作られたものでありながら、現代の医療倫理にも通じていることから、高く評価されていることがうかがい知れます。

ヒポクラテスの功績

功績1「医学を大きく発展させた」

当時使われていた外科医療器具

ヒポクラテスは医学を大きく発展させた人物です。前述したように、当時の医学というのは迷信や呪術といった類の根拠のないものでした。そんな状態からヒポクラテスは、臨床と観察を重視した科学的な医学というものを作り上げます。

こういった観察や経験から、病気とは宗教や神とは関係なく、生活習慣や周囲の環境によるものだとヒポクラテスは主張しました。

現代からすると当然ではありますが、当時としてはこれはすごい発見で、世界で最初にこの考えに至った人物はヒポクラテスと言われています。

功績2「『ヒポクラテスの誓い』が多くの医師に影響を与えている」

「ヒポクラテスの誓い」の宣誓をしていたフランスのモンペリエ大学

「ヒポクラテスの誓い」は現代でも多くの医師に影響を与えています。というのも、現代でもこの誓いは北米では数多くの医学校の卒業式に誓われるほど、医師の職業倫理を重んじる上では大事なものとなっています。

そのため、特に北米の多くの医師はこの「ヒポクラテスの誓い」から「誰に対しても平等に医術を行う」「害のある治療法は決して行わない」などを基本的な医師としての倫理として受け入れています。

ヒポクラテスの名言

ヒポクラテスが描かれた壁画

汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ

ヒポクラテスは食事と医学を結びつけるような言葉が多いです。この言葉も「食事は薬と考えて摂取する」と言っています。

歩くことは人間にとって最良の薬である

現代からしてみると、ウォーキングが体に良いのは当然ではありますが、ヒポクラテスは紀元前400年ごろから、こういった言葉を残しています。

病気は食事療法と運動によって治療できる

現代では生活習慣病という言葉があるように、食事や運動から多くの病気は発症します。また、食事と運動によって治療できるという事は分かり切っていますね。

この言葉からは、ヒポクラテスは食事と運動の大切さを当時から理解していたという事が良く分かります。

ヒポクラテスにまつわる逸話

逸話1「『ナイチンゲール誓詞』を作るのに参考にされた?」

現代でも活用される「ナイチンゲール誓詞」は「ヒポクラテスの誓い」と同様に、医療を行う上での倫理などについて書かれた文書です。1893年にナイチンゲールの偉業をたたえて作成されたもので「害があると分かっている薬は出さない」「患者の秘密は守る」などが誓約として書かれています。

ここまで詳しく読んでくれた方には、ピンときたかもしれませんが「ヒポクラテスの誓い」と内容が少し似ていますよね。それもそのはず「ナイチンゲール誓詞」は「ヒポクラテスの誓い」を参考にして作成したそうです。

現代で新しい誓詞を作るうえでも、何千年も前から受け継がれている「誓い」を参考にされるのは凄いことですね。

ナイチンゲール誓詞とは?意味や和訳・解釈、成り立ちをわかりやすく解説

逸話2「『ヒポクラテス全集』にヒポクラテスは関わっていない?」

ヒポクラテスの誓い

ここまで「ヒポクラテスの誓い」を含む「ヒポクラテス全集」からヒポクラテスの凄さ、影響力を紹介してきましたが、実はヒポクラテスが「ヒポクラテス全集」に関わっているかは、定かではありません。

「ヒポクラテス全集」は紀元前3世紀ごろに、ヒポクラテスに関する書物をまとめてできたものです。紀元前3世紀となると、ヒポクラテスの死後100年ほどが経過しています。

更にどの文書も無記名ということもあり、ヒポクラテスがどれだけこの「ヒポクラテス全集」に関わったのかどうかは答えが出ておらず、未だに謎に包まれています。

逸話3「ギリシャの神殿に放火した?」

現在のコス島

ヒポクラテスはギリシャの神殿に放火したことがある、という逸話が残っています。ただ信憑性は定かではなく、放火した理由もわかっていません。12世紀の文法学者であるヨハネス・ツェツェスによると、ヒポクラテスは医学知識を独占するために生まれ故郷であるコス島の神殿に放火をしたとされています。

また別の説によると、医学を神や宗教などと切り離したことで従来の考えを持っていた勢力が、ヒポクラテスを島から追放するために、放火犯に仕立て上げたとも言われています。

真相はわかりませんが、ヒポクラテスの周りで放火に関する出来事があったことは、間違いないと言えるでしょう。

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