徳川家康の性格がわかる2つの失敗談
失敗談1:短気な気性が裏目に出て「三方ヶ原の戦い」で大敗北
自分が戦いで勝った様子を描いた絵はたくさんありますが、負けた絵というのはあまりありません。自分が負けた様子は恥ずかしいので隠したくなりますが、それを描かせるのはすごいことです。失敗をしっかり反省して、次に活かせる人だったことがよく分かります。「若い頃は短気」の段落でも触れた、「三方ヶ原の戦い」は大敗北をしています。短気だったがゆえに、勢いだけで挑んだ戦だったのでしょうか。
相手の軍の攻撃が怖すぎて脱糞したというエピソードもあります。ただこれは諸説あり、後世で作られたうその話ではないかという見解も。
家康はこの三方ヶ原の戦いでの失敗を胸に刻むため、そして後世に反面教師として残すために、自分が失敗している姿を絵に描かせています。
失敗談2:故意に食い逃げ犯になった家康
同じく三方ヶ原の戦いでの失敗談ですが、こちらは意外な失敗です。
戦いに負けた後、家康は浜松城へ逃げ帰りますが、戦いの後ということもありかなりの空腹でした。そこで近くの茶屋で小豆餅を食べることに。すると、なんと敵軍が追いかけてきて家康はあわてて逃げたので、茶屋の代金を支払わなかったのです。
あの徳川家康が食い逃げをしたとは意外なものです。ちなみにその後、茶屋の店主のおばあさんが追いかけて家康を捕まえ、しっかりと支払わせたそうです。
徳川家康の性格がわかる名言
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え
我慢することが無事に長く栄えることのできる基礎で、怒りは敵と思いなさい
これは忍耐力のある家康をよく表しています。気を急いたりイライラしたりすることは、命取りになるとして胸にとめていたのですね。
得意絶頂のときこそ、隙ができることを知れ
物事がうまくいく時ほど隙ができるものだから、用心しなくてはならない
こちらも用心深い家康がにじみ出ています。家康は天下統一し、絶頂を迎えてからも慎重に事を運ぶようにしていました。
実は家康には20人以上の側室、16人の子どもがいました。これを見ると一見女好きに思えますが、手当たり次第に関係を持っていたわけではないようです。
容姿端麗な女性だと周りからひがみを受け、面倒になるから性格を気に入れば良しとする。また、健康に気を使っていたため、リスクのある女性とは関係を持たないなど。そのため出産経験のある女性を選んでいたとか。
このようにして、天下統一後も長く繫栄させるためにいろいろと考えていたことが分かります。
己を責めて、人を責むるな
失敗した時は、自分を責めるべきで、他人を責めてはいけない
この名言も、失敗を真っ直ぐにとらえて反省する家康そのものです。彼は周りの家臣たちなどのせいにすることなく、いつも自分の行動を省みていました。自分の失敗だけでなく、周囲の人の失敗さえも自分ごととしてとらえて教訓にしたほどです。
およそ人の上に立って下のいさめを聞かざる者の、国を失い、家を破らざるは、古今とも、これなし
人の上に立つ者で、部下の諫めを聞かない人は、国を失い滅亡する。今も昔もそれは変わらない
「部下の意見に耳を傾けない者は、国を滅亡させる」という意味。
家康は冷静で賢いイメージが強いので、家臣たちともあまり交流していなかったと思われがちですが、実際にそんなことはなく家臣たちの言葉をしっかりと聞いてくれたようです。
ちなみに、「歴史上の偉人が上司なら誰が良いか」というランキングでも家康は上位にランクインしています。この名言は特に、社会でも役に立ちそうな言葉ですね。
徳川家康の性格に影響を与えた人物
父の松平広忠などの家族
徳川家は、もともと短気な家系だったそうです。祖父や父の松平広忠、長男はみな短命でした。短気は命取りになると感じた家康は短気にならないようにと肝に銘じていたのです。若い頃は短気でしたが、年を重ねるにつれて短気ではなくなりました。
武田信玄
武田信玄は、家康の宿敵として知られています。その信玄は天下統一目前で病死してしまうのです。
せっかく力があっても死んでしまっては元も子もないので、家康は「健康であること」を重要視するようになりました。出産経験のある女性を選んでいたのも、感染症予防のためだったそうです。
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織田信長
「失敗談2」でも触れましたが、織田信長は嫡子と一緒にいたがために暗殺されてしまいました。家康は、織田信長の二の舞にならないように、抜かりなく行動するようにしていました。
家康の名言にもあるように、「調子の良いときは隙ができるので用心すべき」という考え方は織田信長などの他者を見て学んだのでしょう。
徳川家康に関するまとめ
今回は、徳川家康の性格について解説しました。
彼は戦国武将の中でも特に人気があるというわけではありません。しかし、常に隙を作らないように用心深く、さらに自分や他者の失敗を教訓にしていた努力家な家康は、天下統一するにふさわしい人物だったといえるのではないでしょうか。
華々しさやきらびやかさはないかもしれませんが、家康のようにしっかりとした中身のある人になりたいものです。