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イラク戦争とは何かわかりやすく解説!原因や死者数も簡単に解説

「イラク戦争ってどんな戦争だったの??」
「イラク戦争の原因は何?」
「イラク戦争の死者数はどのくらい?」

この記事をご覧の皆さんはそのような疑問を持っているかもしれません。イラク戦争は2003年にアメリカ・イギリスを中心とする「有志連合」諸国とイラクとの戦争です。開戦の理由はイラクの大量破壊兵器開発疑惑でした。

有志連合軍は空爆や劣化ウラン弾の使用などによりイラク軍を圧倒。わずか1か月で首都バグダッドを制圧し、戦争に勝利しました。この戦いで軍民あわせて50万人以上が亡くなります。戦闘終結後、潜伏していたフセインは捕らえられ、後に死刑にされました。

今回はイラク戦争の目的や死者数、原因やその後の影響などについてまとめます。

イラク戦争とは?

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イラク戦争とは、イラクとアメリカを中心とする有志連合が戦った戦争です。アメリカはイラクが湾岸戦争後も大量破壊兵器を開発・保有しているとして査察受け入れを要求。フセイン政権は査察を受け入れましたが、その後もアメリカはフセインの国外退去を要求しました。

首都バグダッドで銃撃戦を行うアメリカ兵

2003年3月19日、アメリカは戦争の開始を宣言します。開戦と同時にアメリカ軍は、イラク軍の重要拠点に空爆と巡航ミサイルによる攻撃を実行しイラク軍に大打撃を与えました。制空権を確保したアメリカを中心とする有志連合軍はイラク領内に侵攻。劣化ウラン弾やクラスター爆弾など強力な武器を使用しイラク軍を撃破します。

拘束されたフセイン

各所でイラク軍の抵抗を排除した有志連合軍は4月4日にバクダッドを占領。5月1日にブッシュ大統領は戦争の勝利を宣言します。一方フセイン大統領はバクダッド陥落後潜伏。同年12月まで逃亡を続けましたが発見され捕らえられました。その後、2006年の裁判で処刑されます。

戦争の目的はフセイン政権の打倒

イラク戦争の目的は、湾岸戦争敗戦後もイラクを支配するサダム・フセインの政権を打倒することでした。2001年9月におきた同時多発テロで多数の犠牲者を出したアメリカのブッシュ政権は「テロとの戦い」を宣言します。

アル・カーイダの指導者ウサマ・ビン・ラディン

まず、アメリカは同時多発テロの実行組織「アル・カーイダ」の指導者ビン・ラディンをかくまったとしてアフガニスタンのタリバン政権を攻撃。タリバン政権を崩壊させます。さらに、2001年にイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しし、強く非難しました。

その上で、アメリカは湾岸戦争後も独裁政治を続けるイラクのフセイン政権が大量破壊兵器を持っていると主張して査察を要求。加えて、フセイン大統領の国外退去を求めまます。イラクがこの要求を拒否するとアメリカなどは一方的にイラク攻撃を開始しました。

イラク戦争開戦で重要な役割を担ったジョン・ボルトン国務次官

アメリカ、特に「ネオコン(新保守主義)」とよばれる勢力は圧倒的な軍事力で反米勢力を一掃しようと図ったのです。ちなみに、ネオコンの代表的人物はラムズフェルド国防長官やボルトン国務次官。このうち、ボルトン国務次官はのちにトランプ政権の大統領補佐官にもなりました。

死者数50万人以上を出す戦争となった

イラク戦争は軍人と民間人であわせて50万人以上に死者を出しました。有志連合軍はアメリカ軍やイギリス軍、フセイン政権と対立していた北部のクルド人勢力の兵力を含め30万人程度。対するイラク軍は37万人が動員されました。

アメリカ軍の軍用ヘリ「UH-60 ブラックホーク」

戦闘員の死者は双方合わせて2万人弱で、死者の大半は民間人です。ただし、これは空爆などの直接戦闘に巻き込まれた数だけではなく、戦後の混乱・紛争に巻き込まれた亡くなった人の数も含まれているので注意が必要となります。

イラク戦争時の指導者は?

イラク側の指導者

フセイン大統領

イラクの指導者はサダム・フセイン大統領でした。フセインはイラク北部のティクリートに生まれ、20歳でアラブ民族政党であるバース党に入党します。バース党は欧米の資本主義やユダヤ人のシオニズム運動に反発する政党で、彼もこの考え方に影響を受けたと考えられますね。

1979年に大統領に就任したフセインは、バース党による独裁政治を強めます。そして、莫大な石油収入を利用して軍と治安部隊を掌握。国内の反対勢力(シーア派やクルド人勢力)を弾圧しました。時に化学兵器すら使用する弾圧の手法はのちに強く非難されます。

湾岸戦争でミサイルを発射するアメリカ戦艦ミズーリ

イラン革命がおきると、反イランの立場をとるアメリカから援助を受け軍事力を増強。1980年から1989年までイラン・イラク戦争を戦いました。

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しかし、1991年に石油資源を狙ってイラクがクウェートを侵攻するとアメリカの態度は一変。多国籍軍を編成し、イラク軍をクウェートから追い出します。

有志連合側の指導者

有志連合とは、アメリカが主張する「テロとの戦い」に賛同し、イラク戦争に参戦したアメリカとイギリスを中心とする国々のことです。

アメリカ第43代大統領ブッシュ

このとき、アメリカの大統領はブッシュでした。湾岸戦争開戦時のブッシュ大統領の子です。ブッシュは2000年の大統領選挙に勝利した共和党の大統領。就任した年に9.11同時多発テロが発生したことから、対テロ戦争やアフガニスタン侵攻を実行しました。ソ連崩壊により唯一の超大国となったアメリカはその強大な力でイラク戦争も強行します。

当時のイギリス首相ブレア

アメリカの同盟国として有志連合の一翼を担ったのがイギリスのブレア首相でした。ブレアは1997年の総選挙で与党保守党を破り労働党政権をつくります。外交面では保守党と同じく対米協調の姿勢を取りました。イラク戦争において、イギリスはアメリカの主張を全面的に支持。3万の実戦部隊を派兵します。

イラク戦争の勝者は?

イラク戦争は有志連合の圧勝で終わりました。当初、イラク軍の抵抗が長引き戦争が長期化するのではないかという懸念がありました。しかし、アメリカ軍はイラク軍の重要拠点を空爆や巡航ミサイル攻撃によってピンポイントで破壊。指揮系統をかなり早い段階で寸断することに成功します。

倒されるフセインの銅像

そのため、イラク軍は組織的抵抗ができず各個撃破されました。また、主力部隊の大統領警護隊などが開戦初期の段階で潰滅したこともイラクにとって痛手です。4月4日、アメリカ軍などがイラクの首都バグダッドを制圧。5月1日にブッシュ大統領は戦争の勝利を宣言しました。

戦争後、アメリカ軍などがイラクを占領統治します。しかし、兵力の不足などから占領政策を十分に遂行できませんでした。2006年にマリキ政権が発足すると、占領地は徐々に返還されます。

イラク戦争が起きた3つの原因

原因1:大量破壊兵器の開発疑惑

アメリカが公式に開戦理由としたのは、イラクが大量破壊兵器を開発・保有しているということでした。ここでいう大量破壊兵器とは、大きな破壊力を持ち施設や人間に大ダメージを負わせる兵器のこと。具体的には生物兵器、化学兵器、核兵器、放射能兵器などのことですね。

安全保障理事会の会議室

湾岸戦争終結後、国連安全保障理事会はイラクに生物兵器や化学兵器、核兵器の大量破壊兵器や長距離ミサイルなどの廃棄を義務付けました。これを安保理決議687といいます。アメリカはイラクがこの決議に違反していると主張しました。

しかし、アメリカはイラクが大量破壊兵器を開発・保有していた証拠をつかんでいません。戦後の調査で大量破壊兵器の存在を発見できなかったことから、アメリカの主張は信憑性が低かったことが分かってしまいました。

原因2:アメリカがフセイン政権打倒を望んだ

アメリカ、特にブッシュ政権内のネオコン(新保守主義者)はフセイン政権の打倒を望んでいました。ネオコンとは、自由主義や民主主義といったアメリカの価値観を重視し、アメリカの国益を守るためには武力介入も辞さない考え方を持つ人々のことです。

国防長官ラムズフェルド

イラク戦争当時では、国防長官のラムズフェルドや国務次官のボルトンがネオコンとされます。彼らはフセイン政権を打倒することでイラクを民主化し、親米国家としようと考えました。

原因3:アメリカがイラクの石油利権を狙った

原油埋蔵量上位10か国

アメリカのイラク攻撃の理由として、イラクの石油利権を狙ったという説があります。イラクはサウジアラビアやロシアにつぐ世界3位の石油埋蔵量を誇る国だったからです。これらの油田を反米のフセイン政権に握らせておくことはアメリカの国益に反すると考えました。

また、石油の生産・販売で大きな影響力を持つアメリカの国際石油資本からすればイラク北部の石油採掘権を得ることはビジネスの拡大につながります。これらはいずれも推定に過ぎませんが、イラク戦争開戦の理由として十分な説得力を持つといえるでしょう。

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