イラク戦争とは何かわかりやすく解説!原因や死者数も簡単に解説

イラク戦争が与えた2つの影響

影響1:多数の死者を出し、世論が硬化

イラク警察を狙った爆弾テロ

イラク戦争はアメリカ軍の最新兵器や効果的な戦術のおかげで比較的短期間で終結します。しかし、戦争終了後の占領統治はうまくいきませんでした。壊滅した旧イラク軍が各地に潜伏し、占領する有志連合軍に対しテロ攻撃を仕掛けてきたからです。

そのため、戦争そのものは終結したはずなのに、戦闘が継続。各地で死者が積みあがりました。アメリカ国内では、遠い異国の戦争でアメリカ兵が消耗し戦死者が増えることに対する強い不満が生まれます。2011年、オバマ政権は独立を回復したイラク政府権限を委譲し、小規模なイラク駐留軍をのぞき占領軍を撤退させました。

また、この戦争で民間人にも多数の犠牲者が出ます。カウントの方法によって死者数は前後しますが、少なくとも50万人前後は犠牲になったとされました。多くの死者が出たことでイラク戦争は強く批判されるようになります。

影響2:中東でのアメリカの影響力が低下

イラク戦争はアメリカの勝利に終わりましたが、戦後のイラク統治が混乱したことによってアメリカの威信が揺らぎ、中東での影響力が低下しました。もともと、イラクはスンナ派とシーア派が入り混じった国で統一が難しい状態でした。加えて北部にはクルド人が多数生活しています。

グレーがISILの最大版図(2015)

それをフセイン率いるバース党の政権が独裁によってまとめていたという側面がありました。フセインというたがが外れたイラクは各勢力がバラバラに動き回る混乱状態となります。この混乱に拍車をかけてのがイラク北部からシリアにかけての地域を占拠したISIL(イスラミックステート)です。日本では一時期「イスラム国」と呼ばれていましたね。

多くの死者を出したアメリカは世論の反発を恐れ、ISILに積極的な攻撃を仕掛けません。これをいいことにISILは勢力を拡大しました。中東の混乱を拡大・助長させるアメリカの姿勢は周辺国に不審の念を抱かせ、中東でのアメリカの影響力が低下する要因となります。

湾岸戦争とイラク戦争の違い

湾岸戦争でイラクに占領されたクウェート

湾岸戦争とイラク戦争の違いは2つ。1つ目は湾岸戦争がイラクの侵略戦争であり、イラク戦争は有志連合によるイラク攻撃であることです。つまり、湾岸戦争はイラクの先制攻撃で始まり、イラク戦争ではイラクが攻め込まれたということになりますね。

湾岸戦争をわかりやすく解説!勃発原因や戦時中の様子も紹介

2つ目は国連安保理の決議の有無です。湾岸戦争において、国連安全保障理事会は「武力行使容認決議」を採択しました。これにより、アメリカを中心とする多国籍軍は「国連の承認を得た」という錦の御旗をたてることができます。しかし、イラク戦争ではこうした決議はなく、アメリカの主張に賛同する「有志」がイラクを攻撃したにすぎませんでした。

イラク戦争の簡単年表

2002年1月 – 「悪の枢軸」発言

ブッシュ大統領が名指しした「悪の枢軸」(赤)

アメリカのブッシュ大統領は2002年の一般教書演説で北朝鮮・イラン・イラクを「悪の枢軸」と名指しで批判しました。2001年の同時多発テロに対する報復を掲げていたブッシュ大統領は、アフガニスタンに次ぐ軍事的な標的をこの3国とします。

アメリカはこれら3国をテロ支援国家であり、大量破壊兵器保持の疑惑や同時多発テロへの関与を疑いました。以後、アメリカはイラクに対する軍事的・外交的圧力を強めます。

2003年3月 – 「イラク戦争開戦」

アメリカ・イギリスを主力とする有志連合軍は、大量破壊兵器開発疑惑を主な理由とし、イラクの対する攻撃「イラクの自由作戦」を開始しました。制空権をもち、最新兵器で武装したアメリカ・イギリス軍は各所でイラク軍を撃破。4月には首都バグダッドを制圧します。

空母「エイブラハム・リンカーン」に降り立ったブッシュ大統領

アメリカ軍が繰り出すピンポイント攻撃によって指揮系統を寸断されたイラク軍は早々に無力化。有志連合軍は4月中にイラクの主要都市を制圧します。そして、2003年5月にはブッシュ大統領が大規模戦闘は終結したと宣言しました。

2003年12月 – 「フセイン大統領拘束」

法廷で証言するフセイン元大統領

イラク軍の崩壊後、フセイン大統領は首都バグダッドから姿を消しました。アメリカは潜伏し行方をくらましたフセイン大統領を徹底的に捜索します。2003年12月、拘束した大統領警護隊メンバーから得た情報をもとに、アメリカ軍はフセイン大統領の居場所を特定。イラク中部のダウルでフセイン大統領は拘束されました。

3年後の2006年、フセインに対する裁判がイラクで開かれます。この中で、フセインはシーア派住民の大量虐殺などの罪を問われ死刑判決が下されました。2006年12月、アメリカ軍はフセインの身柄をイラク側に引き渡します。そして、引き渡しからわずか4日後、フセインは絞首刑に処されました。

2004年1月 – 「自衛隊イラク派遣の開始」

イラクに派遣された陸上自衛隊員

2003年7月、自衛隊の海外派遣を可能とする「イラク特措法」が成立しました。これにもとづき、小泉純一郎首相は2004年1月に自衛隊のイラク派遣を命令します。自衛隊が派遣されたのはイラク南部のサマワでした。

イラク特措法では自衛隊の活動範囲を「非戦闘地域」に限定しています。そのため、国内では「非戦闘地域」の範囲をめぐって議論が巻き起こりました。陸上自衛隊のイラク派遣は2006年11月で終了し、航空自衛隊の支援も2008年で終了します。

2006年5月 – 「マリキ政権発足」

首相に選出されたマリキ(マーリキー)

2006年5月、イラク議会選挙を経て新たにマリキ(マーリキー)が首相に選出されました。これにより、アメリカなどによる占領は一応終了します。といっても、新政権の基盤は非常に弱体だったため、アメリカ軍は継続してイラクに駐留しました。

2011年12月 – 「アメリカ軍撤退」

イラクからの撤退を決めたオバマ大統領

2009年1月、オバマ大統領はイラク戦争後も駐留するアメリカ軍を撤退させると発表しました。これにもとづき、2010年に戦闘部隊を、2011年に治安指導などにあたっていた部隊を撤収させます。

しかし、アメリカ軍の完全撤退とはなりませんでした。その理由は「ISIL」(イスラミックステート)の勢力拡大にありました。イラク北部からシリア東部にかけて支配地を広げた「ISIL」を抑制するためアメリカ軍の駐留を続けざるを得なかったのです。規模は小さくなったといっても、現在も2000名以上のアメリカ兵がイラクに駐留しています。

イラク戦争の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

『イラク戦争と変貌する中東世界』

9.11の同時多発テロからイラク戦争、アラブの春までの歴史をコンパクトにまとめた一冊です。日本人からすると、中東の出来事はどうしてもわかりにくく、世界史の授業を受けるだけではピンとこないかもしれません。しかし、この本では現代の中東情勢についてしっかりと整理することが可能です。イラク戦争を含めた中東の現代史について整理したい方にオススメです。

『攻撃計画(Plan of Attack)―ブッシュのイラク戦争』

イラクとの戦争を開始するまでのアメリカ政府の意思決定の過程を追ったルポタージュ。湾岸戦争について『ブッシュの戦争』を著したボブ・ウッドワードの本です。政権中枢にいたブッシュ大統領やチェイニー副大統領、パウエル国務長官、ラムズフェルド国防長官らがどのようにふるまい、アメリカがイラク戦争に向っていったかが克明にわかる一冊です。読みごたえがある作品でしたよ。

おすすめの映画

『記者たち衝撃と畏怖の真実

『スタンド・バイ・ミー』や『最高の人生の見つけ方』などの監督として知られるロブ・ライナー監督の作品です。イラク戦争開戦の理由とされた大量破壊兵器の存在に疑問を持った記者たちが、政府は嘘をついていると考え真実を探ろうとして動き出します。

世論が政府を支持する中、真実を知ろうと必死に活動した記者たちの心理描写が見事な作品です。政府による情報操作が行われると、そう簡単に真実が見いだせなくなることがよくわかる映画でした。

『グリーン・ゾーン』

『エルム街の悪夢4』や『ロビン・フッド』の脚本を手掛けたブライアン・ヘルゲランド監督の作品です。舞台はイラク戦争開戦から4週間後、アメリカ軍占領下のイラク首都バグダッド。主人公ロイ・ミラーは大量破壊兵器の探索を行っていました。

度重なる探索失敗で、彼は大量破壊兵器が存在しないのではないかとの疑念を抱き始めます。探索が進めば進むほど、彼の疑念は確信に変わりました。ちなみに、「グリーン・ゾーン」というのは米軍駐留地域のことで、そこから外れると無政府状態となっていました。アメリカ軍の占領統治や大量破壊兵器の捜索が行き詰まっている状況がよくわかる映画です。

イラク戦争に関するまとめ

いかがでしたか?

イラク戦争は湾岸戦争から10年以上が経過した2003年に起きました。テロとの戦いを全面に押し出したブッシュ政権は9.11同時多発テロ後、アフガニスタンやイラクを攻撃し超大国としての力を世界に見せつけました。

しかし、戦闘では勝利してもその後の占領政策はうまくいかず、次第にアメリカは中東での影響力を低下させてしまいました。戦闘では勝っても戦争・戦後処理では敗れたといってよいかもしれません。

読者の皆様が、イラク戦争に関し「そうだったのか!」と思えるような時間を提供できたら幸いです。

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