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湾岸戦争をわかりやすく解説!勃発原因や戦時中の様子も紹介

湾岸戦争ってどんな戦争?
何がきっかけで始まったの?
湾岸戦争に日本も参戦したの?

「湾岸戦争」と聞くと、このような疑問を持つ人が多いのではないでしょうか?

湾岸戦争(英訳:Gulf war)とは、1991年にイラクとアメリカ率いる多国籍軍との間で起きた戦いです。1990年にイラクが隣国クウェートへ侵攻・攻撃したことがきっかけで始まりました。

日本の戦争支援やレバノン内戦、昨今問題となっているテロリスト活動など、現在の社会情勢に大きな影響を与えた戦争として知られています。また、湾岸戦争によって多くの人々が身体・精神的に傷つきました。

湾岸戦争は現在の中東とアメリカの関係を理解する鍵!

しかし、30年前という比較的最近の戦争だったためか、世界史の教科書では簡易的な解説にとどまっています。そのため実際にどんな戦争だったのか、どのような経緯で勃発したのかなどの詳細は曖昧なままだったりしますよね。

そこで今回は、湾岸戦争について勃発の原因から戦時中の様子、終戦後の影響まで年表にまとめつつ網羅的に解説します。

現代にまで影響を与えている湾岸戦争の真実を紐解いていきましょう。

湾岸戦争とは

湾岸戦争は多国籍軍の空爆から始まった

湾岸戦争をわかりやすく解説すると…

湾岸戦争とは、1991年1月17日にアメリカ率いる多国籍軍がイラクを攻撃したことで始まった戦争です。

きっかけはイラクが隣国クウェートに侵攻して領土を支配したことにあります。国際連合の撤退命令にも関わらずイラクが撤退しなかったため、当時のアメリカ大統領ブッシュが28カ国で編成された多国籍軍によるイラク攻撃を開始したのです。

たった1ヶ月半で多くの命が失われた

湾岸戦争は約1ヶ月半で停戦協定が結ばれ、その1ヶ月後にイラク側が国際連合によって決められた事柄に同意してクウェートから撤退しました。短期間のうちに終結した湾岸戦争ですが両軍や一般市民ともに大勢の死傷者を出し、第二次世界大戦後以来はじめての国際的な戦争となったのです。

湾岸戦争のざっくりした流れ

フセイン大統領の独裁下によって変更されたイラク国旗

湾岸戦争が勃発して終結を迎えるまでの約1ヶ月半。その間の流れをざっくりと説明します。

  1. 1990年8月に当時のイラク大統領サダム=フセインによってクウェート侵攻が始まる
  2. 国際連合がイラクに対してクウェートからの撤退勧告ならび経済的制裁を発令
  3. イラクとクウェートの国境に多国籍軍を待機させる
  4. イラクは撤退せずクウェートを併合
  5. イラク軍はクウェート滞在中の外国人を自国に強制送還し人質にすると表明
  6. 人質は徐々に解放されていったが、フセインの独裁的な軍事行使に対して世界は強い憤りを示す
  7. 人質を全員解放後もイラクはクウェートから撤退しなかったため多国籍軍による攻撃が開始され湾岸戦争が始まった
  8. 多国籍軍はイラクを空爆・爆撃し、イラク軍に多大な被害を与える
  9. フセイン大統領が異教徒戦争を目論むもアメリカ側の策略によって失敗
  10. 多国籍軍の新兵器によってイラク軍は壊滅状態となり戦争は終結

湾岸戦争は第一次世界大戦や第二次世界大戦ほど長期間に渡る戦争ではありませんでしたが、人間や建物に甚大な被害をもたらしその後の戦争政治に大きな影響を与えました。

勃発原因から終結にいたるまで、湾岸戦争を網羅的に理解することは現在の紛争や軍事政治の理解にもつながるのです。

湾岸戦争が勃発した3つの原因

イラクとの対立に苦労してきたクウェート(クウェート国旗)

冒頭でも述べているように湾岸戦争の勃発原因はイラクのクウェート侵攻ですが、これには様々な要因があります。わかりやすく解説するために湾岸戦争の勃発原因を3つに分けました。3つの原因それぞれが国際的な世論を動かし、湾岸戦争を勃発させたのです。

原因1:イラクとクウェートの対立

イラクのクウェート侵攻はイラクとクウェートの対立にありました。対立のきっかけはイラクの経済危機にクウェートが関係していたことにあります。

湾岸戦争が勃発する3年前の1988年、イラクはイランとの8年間に及ぶ戦争(イラン・イラク戦争)を終えたばかりでした。600億ドルという大規模な戦費に加えて、戦争被害によってイラクの経済は破綻しかけていたのです。

戦時中はイラク側を支援していたアメリカも戦費返済ができないと知ると一気に手のひらを返しました。イラクに対して食料や工業部品の輸出を制限し始めたのです。イラクは原油国として原油価格の引き上げを要求しましたがそれすらも叶いませんでした。

原油はイラク経済にとって欠かせない輸出品

そんな中でクウェートは原油を大量採掘し原油価格に大きな影響を与え、経済危機に陥っているイラクの怒りを買ったのです。当時のイラク大統領サダム=フセインは非難演説を行いましたがクウェートはそれすらも無視しました。

油田を巡って長年争いを繰り返してきたイラクとクウェートはこの時点で完全なる敵対関係になったのです。近隣のアラブ諸国が第三者として仲介しようとするも上手くいかず、イラクはクウェート侵攻を開始しました。

原因2:ナイラの証言

1990年8月2日にイラクはクウェートへ侵攻。圧倒的な戦力によって数時間でクウェート全領土を支配しました。そんな中でイラク軍の非道な仕打ちを訴えたある少女の証言があります。この証言は「ナイラの証言」と呼ばれ、世界のイラクに対する非難を強めました。

以下の文章が15歳の少女「ナイラ」の証言を抜粋したものです。

私は12人の女性とともにアッ=ラダン病院でボランティアをしていました。(中略)イラク軍兵士が銃を持って、病院内に押し入るのを目にしました。保育器から新生児を取り出し保育器を奪うと、冷たい床に新生児を放り出し死なせてしまいました。

泣きながら話す「ナイラ」

涙ながらに語られたナイラの証言によって、「生まれて間もない子どもを非道に殺すイラク軍」「女性や子どもの嘘のない言葉」として世界中の広告会社やマスコミによって語り継がれたのです。

しかし、のちに「ナイラの証言」は嘘であったことが判明します。

実際にはクウェート侵攻で多くの医師や看護士が亡命してしまい、新生児・未熟児は取り残され亡くなったのです。つまり、「イラク軍が病院に侵入して保育器を奪ったから新生児が死亡した」というナイラの言葉は偽りでした。

ナイラはクウェート在米大使の娘であり、「ナイラの証言」はクウェート政府の反イラク運動の一つだったのです。しかし、偽りの少女の言葉は湾岸戦争を世界的規模で後押しする形となりました。

原因3:経済制裁と多国籍軍の結成

世界各地から軍隊が集まった

イラクがクウェート侵攻を行うと国際連合も直ちに行動を起こします。イラクにクウェートからの即時撤退を要求し、イラクとの貿易を全面禁止にする経済制裁を行いました。

そこに軍事大国アメリカも参戦。サウジアラビアに軍隊を派遣するとともに有志を募って多国籍軍を結成し始めました。イラクに侵略されることを懸念したアラブ諸国が次々と参戦し、アメリカ同盟国のイギリスやフランスも参戦を表明します。

経済制裁に多国籍軍の結成、そして軍事作戦の開始でイラク軍は徹底的に追い詰められていたのです。しかし、それでもクウェートから撤退せず遂には撤退期限が過ぎてしまいます。

最終的に約50万人もの兵士を率いる多国籍軍が出来上がり、イラクとクウェートの国境付近に待機するという「砂漠の盾」と名付けた軍事作戦を開始して湾岸戦争が始まりました。

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