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宮崎駿とはどんな人?生涯・年表まとめ【ジブリの代表作品や名言についても紹介】

宮崎駿とは、日本を代表するアニメーション映画監督です。彼はスタジオジブリを設立し、「天空の城ラピュタ」や「千と千尋の神隠し」など、数々の長編アニメを生み出しました。彼は他にも多くのアニメ作品に関わっており、日本のアニメ史を語る上では欠かせない存在です。

スタジオジブリを設立した宮崎駿
出典:宮崎駿 – Wikipedia

彼の作品における特徴として、子供の視点に合わせたアニメを制作することにこだわりを持っていることが挙げられます。同時に、彼の作品は細部まで描き込まれた世界最高峰のアニメーションでもあるため、子供から大人まで幅広く愛されるアニメーションとなっているのです。

この記事では、そのような彼の人物像や経歴、功績について紹介していきます。また、宮崎駿にまつわる名言や逸話についても解説するので、ぜひ参考にしてください。

宮崎駿とはどんな人物か

名前宮崎駿
別名義秋津三朗、照樹務
誕生日1941年1月5日
生地東京府東京市
配偶者宮崎朱美
学歴学習院大学政経学部
所属株式会社スタジオジブリ

宮崎駿の生涯をハイライト

2009年頃の宮崎駿
出典:宮崎駿 – Wikipedia

まずは宮崎駿の生涯について簡単に解説しましょう。

1941年、宮崎駿は東京府東京市で生まれます。しかし、同年12月に太平洋戦争が勃発し、幼少期を疎開先である宇都宮で過ごしました。終戦後、小学4年生の時に東京に戻った彼は、多くの漫画に触れながら育っていきます。そして、高校時代にアニメの面白さに触れたのです。

その後、学習院大学を卒業した宮崎駿は、東映動画に就職します。この会社において、「ルパン三世」や「アルプスの少女ハイジ」などの制作に携わり、彼は演出・監督として頭角を現していきました。

そして、1978年に事実上の監督としてテレビアニメ「未来少年コナン」を制作します。その後、彼は自身初の映画作品「ルパン三世 カリオストロの城」を監督し、1984年には彼自身が原作漫画を描く「風の谷のナウシカ」の映画を制作しました。

宮崎駿は凄まじい仕事量をこなして多くの大作を生み出した

翌年、宮崎駿は徳間書店の出資を受けてスタジオジブリを設立。そこで彼は「天空の城ラピュタ」や「となりのトトロ」、「魔女の宅急便」など数々の名作を生み出していきます。そして、1997年に公開された「もののけ姫」は、当時の興行記録を大きく塗り替える大ヒットとなりました。

また、2001年に公開された「千と千尋の神隠し」は、興行収入ランキングをさらに塗り替える大ヒットとなり、2004年に公開された「ハウルの動く城」と共に海外でも高い評価を受けました。

2012年、数々の名作を生み出してきた宮崎駿は文化功労者に選ばれます。そして、その翌年に彼は長編映画の制作から引退することを宣言しました。しかし、2016年には引退宣言を撤回し、新たな作品の制作に取り組んでいることを発表したのです。

戦史・兵器に精通した軍事マニア

宮崎駿は戦闘機や戦車などに詳しいミリタリーオタク

宮崎駿は戦史や兵器に詳しい軍事マニアであり、彼の作品の中には戦争をテーマとしたものが多く存在しています。彼の知識は幅広く、甲冑や兜鎧などの日本における伝統的な武具だけでなく、戦車や飛行機、戦艦のような近代兵器などの知識から作画まで得意としているのです。

また、彼は軍事マニアではありますが、現実の戦争には強い反対の意思を示しており、その影響は多くの作品に表れています。それらの作品の中では、戦争の愚かさや悲惨さがメッセージとして込められているのです。

しかし、「未来少年コナン」や「風の谷のナウシカ」などの作品において、侵略者や理不尽な圧制者に対して武力で抵抗する場面が多くみられます。このように、彼の作品には彼自身の趣味だけでなく政治的な思想が強く反映されているのです。

三鷹の森ジブリ美術館の館主

三鷹の森ジブリ美術館の外観
出典:三鷹の森ジブリ美術館 – Wikipedia

宮崎駿は、2001年に開館した三鷹の森ジブリ美術館の館主を務めています。三鷹の森ジブリ美術館とは、宮崎駿の発案で設立された、東京都三鷹市の井の頭恩賜公園内にあるアニメーション美術館です。

この美術館では、歴代ジブリ作品の絵コンテや、「天空の城ラピュタ」に登場するロボット兵の模型など、ジブリ作品に関連する多数の展示品が公開されています。そして、アニメの歴史や制作スタジオの風景などを体験することもできるのです。

また、この美術館の初代館長は、宮崎駿の長男である宮崎吾朗が務めました。その後、美術館の館長に就任した人々の多くはジブリ関係者となっています。

自宅は埼玉県所沢市にある

「となりのトトロ」の舞台となった所沢市の狭山丘陵
出典:狭山丘陵 – Wikipedia

東京都で生まれ育った宮崎駿は、29歳の頃に埼玉県南西部の所沢市に自宅を移しました。この頃、彼はすでに結婚しており、次男の宮崎敬介は埼玉県所沢市に引っ越した時期に生まれています。

この埼玉県所沢市は1988年に公開された「となりのトトロ」の舞台にもなりました。そして、彼は開発される予定があった所沢市の森を買い取り、「トトロの森」として自然を守る活動を行っているのです。

また、所沢市には他にも多くの漫画家やアニメーターが住んでおり、所沢市と都心部を繋ぐ西武線沿線には多くのアニメスタジオが存在していることから、この地域はアニメーションの聖地として挙げられています。

息子もスタジオジブリで監督を務める

宮崎駿の長男・宮崎吾朗
出典:宮崎吾朗 – Wikipedia

三鷹の森ジブリ美術館の初代館長に就任した宮崎吾朗は、スタジオジブリ制作の長編アニメ「ゲド戦記」の監督・脚本を務めました。「ゲド戦記」とは、アメリカの小説家アーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記」を原作としたアニメ映画です。

実は、宮崎駿は宮崎吾朗が監督を務めることに反対していました。しかし、宮崎吾朗が描いた「ゲド戦記」に登場する竜と主人公・アレンのイラストを見ると、宮崎駿は黙り込むことしかできなくなってしまったそうです。

その後、宮崎吾朗は「コクリコ坂から」や「山賊のむすめローニャ」などの長編アニメ映画やテレビアニメの制作を行っていきます。そして、2020年にはスタジオジブリ史上初の3DCGアニメ「アーヤと魔女」を監督しました。

宮崎駿の有名映画・アニメ作品

未来少年コナン

「未来少年コナン」とは、宮崎駿が監督やキャラクターデザイン、メカニックデザインを務めた、1978年からNHKにおいて全26話の構成で放送されたテレビアニメです。

この作品は、2008年に勃発した最終戦争で用いられた超磁力兵器によって地軸が捻じ曲がり、多くの都市が水没した後の近未来世界を舞台としています。そのような崩壊した世界で生まれ育った少年少女たちの成長が描かれた冒険活劇です。

また、後に活躍する数多くの有名アニメーターが「未来少年コナン」を見てアニメ業界入りを志しました。

ルパン三世 カリオストロの城

「ルパン三世 カリオストロの城」とは、1979年に宮崎駿が初めて映画監督を務めた作品であり、モンキー・パンチ原作のアニメ「ルパン三世」シリーズにおける第2作目の映画です。

この作品は、今でこそルパンシリーズを代表する長編アニメ映画として知られていますが、公開当時は「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」などのSF作品が流行していた時代であり、多くの人に受け入れられる作品ではありませんでした。しかし、地上波で再放送を繰り返していくうちに注目を集め、現在では安定して高視聴率を稼ぐ大人気作品となったのです。

風の谷のナウシカ

「風の谷のナウシカ」とは、1984年に宮崎駿が監督・脚本を務めた第2作目の長編アニメ映画です。この作品は、宮崎駿が月刊アニメ雑誌アニメージュで連載していた漫画が原作となっています。

「風の谷のナウシカ」には、アニメージュの編集者として宮崎駿を支えていた鈴木敏夫や音楽家の久石譲など、後にスタジオジブリと長く関わることになる人々がスタッフとして参加していました。また、主人公であるナウシカの声優を務めた島本須美は、「ルパン三世 カリオストロの城」のヒロインであるクラリスも演じています。

千と千尋の神隠し

「千と千尋の神隠し」とは、2001年に公開されたスタジオジブリ制作の長編アニメ映画です。この作品では、八百万の神々が住む世界に迷い込んでしまった10歳の少女・千尋(ちひろ)が、豚にされてしまった両親を助けるために油屋で懸命に働く姿が描かれています。

彼がこの映画の制作に至ったきっかけは、当時10歳だった知人の娘をアニメで喜ばせたいというものでした。そして、その少女をモデルに主人公の荻野千尋というキャラクターが生まれたのです。

宮崎駿が携わったその他の作品

  • アルプスの少女ハイジ
  • 天空の城ラピュタ
  • となりのトトロ
  • 魔女の宅急便
  • もののけ姫
  • ハウルの動く城
  • 風立ちぬ など
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