宮崎駿と関係が深い人物
東映動画時代の先輩である高畑勲
東映動画に所属していた時代、宮崎駿は後に日本を代表するアニメ映画監督の1人となる高畑勲と出会いました。先輩と後輩の関係であった2人は、互いに支え合いながらアニメ制作に尽力していったのです。
そして、2人はスタジオジブリを設立し、会社の中心的人物として数々の名作アニメを生み出していきます。1988年には、高畑勲が監督したアニメ映画「火垂るの墓」が宮崎駿の「となりのトトロ」と同時上映されました。
その後、高畑勲は宮崎駿のアニメ映画と張り合うように「おもひでぽろぽろ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」などの長編アニメ映画を制作していきます。そして、2013年に公開された「かぐや姫の物語」は日本アカデミー賞の優秀アニメーション作品賞を受賞したのです。
しかし、2018年4月5日に肺がんの症状が悪化し、82年にわたる人生の幕を閉じました。宮崎駿は彼のお別れ会に参加し、涙を流しながら開会の辞を読み上げたのです。
「風の谷のナウシカ」の制作に参加した庵野秀明
「新世紀エヴァンゲリオン」の監督として知られる庵野秀明は、宮崎駿の監督作「風の谷のナウシカ」の制作に参加しています。その際、作画スタッフとして高い評価を受けた庵野秀明は、クライマックスに登場する巨神兵の作画を任されました。
師弟のような関係だった2人でしたが、かつては対立していたこともありました。その当時、庵野秀明は宮崎駿の作品をつまらない映画と評しており、宮崎駿は「新世紀エヴァンゲリオン」をいらないアニメと発言しているのです。
しかし、2013年に公開されたスタジオジブリ制作のアニメ映画「風立ちぬ」において、宮崎駿は庵野秀明を主人公・堀越二郎役の声優として起用しました。当初、庵野秀明はオファーに困惑しましたが、最終的には出演を受諾し、「風の谷のナウシカ」以来の宮崎駿作品への参加となったのです。
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宮崎駿の功績
功績1「ルパン三世の基礎を固めた」
宮崎駿の功績として、現在では大人気シリーズとなっているアニメ「ルパン三世」の基礎を固めたことが挙げられます。1971年、彼はテレビアニメ「ルパン三世」の第1シリーズの制作に途中から参加し、高畑勲と共に事実上の監督を務めました。
当初、「ルパン三世」は原作寄りのハードボイルド路線で制作されており、当時では珍しい大人向けのアニメでした。しかし、予想以上の低視聴率を記録し、制作スタッフたちはテレビ局やスポンサーに方針転換を迫られます。その結果、子供向けアニメの制作を得意としていた宮崎駿と高畑勲に声がかかったのです。
宮崎駿らが参加した後、「ルパン三世」は低年齢層向けのアニメとして修正されていきました。そのような過程を経て、「ルパン三世」はユーモアあふれるコミカルな大人気アニメとなり、幅広いファン層を獲得したのです。
功績2「スタジオジブリを設立」
1985年、徳間書店の出資を得た宮崎駿は、株式会社スタジオジブリを設立しました。現在では、日本を代表するアニメ制作会社となっている「ジブリ」はここから始まったのです。
スタジオジブリの基盤となったのは、1972年に東映動画出身の映画プロデューサー・原徹が設立したアニメ制作会社トップクラフトでした。この会社において、宮崎駿らは徳間書店による協力の下で「風の谷のナウシカ」を制作していました。
その後、「天空の城ラピュタ」の制作が決まった際に、スタジオジブリが設立されることになったのです。そして、株式会社トップクラフトは株式会社スタジオジブリに改組する形で解散しました。
功績3「千と千尋の神隠しの興行収入が300億を超える」
2001年に公開された「千と千尋の神隠し」は興行収入316.8億円を記録し、国内外から高い評価を受ける大ヒット作となりました。そして、2020年に「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」が記録を塗り替えるまで、およそ20年間にわたって日本の興行収入ランキングで首位に君臨し続けたのです。
当時、世界最高の興行収入を記録していた1997年の映画「タイタニック」は、日本においても1位をキープしていました。しかし、「千と千尋の神隠し」が公開されると、それまでの数字を塗り替えて大記録を築いたのです。
2020年、新型コロナウイルスの流行による影響を受け、新作映画の制作が困難を極める状況に陥りました。その際、「千と千尋の神隠し」を始めとするジブリ作品の再上映が行われ、興行収入の記録がさらに伸びたのです。
宮崎駿の名言
日本の女性声優は、男性を惹きつけるコケティッシュな声を持っているが、それは私たちの望むものではない。
この言葉は、宮崎駿の作品におけるキャスティングの考え方がよくわかる台詞です。彼の作品において、1980年代まではプロの声優が起用されることが多くありましたが、1990年代以降の作品ではテレビで注目を集めている俳優や女優を起用することが増えていきました。
この考え方について、宮崎駿や高畑勲は昔ながらの方法でキャラクターに合う俳優を選んでいるだけであると述べています。そのため、ジブリ作品のキャストは制作陣のイメージに沿った配役となっているのです。
厳しい現実世界からの、子供の一時の逃げ場が必要だ。
この言葉は、宮崎駿が子供に向けたアニメを制作し続けている理由がよくわかる台詞です。彼は児童向け文学を愛読しており、子供の視点を大切にしながらアニメ制作を行っています。
そのため、彼の作品は少年少女が主人公であることが多いのです。その中でも、特に活発な少女が主役であることが多いのが宮崎駿が制作するアニメーションの特徴となっています。
宮崎駿にまつわる逸話
逸話1「何度も引退を撤回」
実は、宮崎駿は何度も引退を宣言しており、その後には引退発言を撤回しています。日本のアニメ界を代表する人物である彼の引退発言は、度々大きな話題となっているのです。
1997年に「もののけ姫」が公開された後、宮崎駿の引退宣言が大きく報道されました。しかし、翌年には引退宣言を撤回。その後、「千と千尋の神隠し」の完成記者会見においても引退を宣言し、「崖の上のポニョ」が公開された際にも引退宣言に近い発言が大きく取り上げられました。
そして、2013年に「風立ちぬ」が公開された後、スタジオジブリ社長の星野康二によって宮崎駿の引退が正式に発表されたのです。しかし、2016年に新作長編映画「君たちはどう生きるか」の制作を始めていることが明らかとなり、事実上の引退宣言の撤回となりました。
逸話2「実現しなかった幻の作品」
宮崎駿は多くのアニメ映画を制作していますが、実は幻の作品も数多く存在しています。それらの作品は、構想の段階で中止となったものや制作のタイミングを逃してしまったものなど、様々な理由から公開が実現されませんでした。
その中には、「風の谷のナウシカ」の前日譚を描いた「風の谷の一日」や、「千と千尋の神隠し」の登場人物であるリンを主人公とした「煙突描きのリン」など、実際に公開された作品の外伝作的な位置にある内容の企画が多く含まれています。
また、息子の宮崎吾朗が監督した「ゲド戦記」も、当初は宮崎駿が構想を練っていました。しかし、映画化の許可が降りた頃には、既に宮崎駿の「ゲド戦記」に対する情熱は冷めており、宮崎吾朗が引き継ぐ形となったのです。
逸話3「ディズニーや手塚治虫を批判」
アニメ界に対して持論を展開することが多い宮崎駿は、世界的な映画製作会社であるディズニーの作品や、「マンガの神様」と呼ばれる手塚治虫が携わったアニメ作品に対して厳しい意見を発しています。
宮崎駿は、手塚治虫が描く漫画の影響を強く受けていることを公言していました。しかし、手塚治虫が制作したアニメ作品に対しては否定的な評価をしています。その理由は、テレビアニメ「鉄腕アトム」の制作費が足りておらず、絵の枚数が極端に少なかったことにあったようです。
また、彼はディズニーの作品に対しても批判的な評価を下しており、1988年頃には嫌いとまで言い切っています。しかし、現在においてはスタジオジブリとディズニーは親密な関係を築いており、ディズニー/ピクサーが制作した長編アニメ「トイ・ストーリー3」にはトトロのぬいぐるみが登場しているのです。