平治の乱とは何かわかりやすく解説!場所や勝者、保元の乱との違いも紹介

保元の乱と平治の乱の2つの違い

違い1:内輪もめの経緯

治天の君として朝廷に君臨した鳥羽上皇
出典:鳥羽天皇 – Wikipedia

保元の乱と平治の乱は内紛という点で共通しています。しかし、内輪もめの経緯はだいぶ異なるものでした。まず、保元の乱は鳥羽法皇の死後におきた権力争いです。これに摂関家の跡継ぎ争いが絡むことで武力衝突に発展しました。

朝廷の最高実力者(治天の君)だった鳥羽法皇の死により、その座をめぐって崇徳上皇と後白河天皇が争います。同じころ、摂関家では兄で関白の藤原忠通と弟で左大臣の藤原頼長が跡目をめぐって争っていました。源氏や平氏といった武士たちはそれぞれの陣営に属して戦っただけであり、彼らに主導権はありません。

違い2:源氏と平氏の関係

保元の乱で敗れた源為義
出典:源為義 – Wikipedia

保元の乱において、源氏や平氏は一族としてまとまった行動をとっていません。武士たちはそれぞれの立場で乱に関与しました。たとえば、源為義(義朝の父)は藤原頼長と深い関係を持っていました。そのため、保元の乱では頼長の陣営に参加します。一方、息子の義朝は鳥羽法皇に接近。清盛に近い立場をとって、後白河天皇の陣営に属します。

これに対し、平治の乱では源氏と平氏が互いに敵味方となって戦いました。清盛は信西と結び、義朝は信頼と手を組んで真っ向から対立したのです。戦いの結果、清盛が勝利し平氏が力を強めます。その反面、義朝は逃亡途中で殺害され子の頼朝は伊豆に追放。源氏は一気に弱体化しました。

平治の乱の簡単年表

1159年 – 12月4日 平清盛が熊野詣に出発

『平家物語』で熊野の神の贈り物とされた鱸(すずき)
出典:スズキ (魚) – Wikipedia

平清盛は嫡男の平重盛を伴って熊野詣に出かけました。『平家物語』に清盛は安芸守在任中に熊野沖で船にあがった鱸(すずき)を食べたことで熊野三社のご利益を得たという記述があります。清盛にとって熊野詣は欠かすことができない行事でした。それだけに、反対派とすれば清盛が確実に京都を離れると予想しやすかったのでしょう。

1159年 – 12月9日 藤原信頼・源義朝の挙兵

12月9日の深夜、信頼や義朝の兵が内裏を襲撃し後白河上皇と二条天皇を拘束しました。襲撃時、信西は内裏周辺から脱出し再起を図ります。しかし、山城国田原に潜伏していた時に追っ手につかまりそうになりました。覚悟を決めた信西は自ら命を絶ちました。

1159年 – 12月17日 清盛の帰京

清盛を支援した湛増(右)
出典:湛増 – Wikipedia

熊野詣に出ていた清盛は道中で信頼・義朝の挙兵を知ります。この時、清盛は九州で再起を考えたともいいますが、湯浅重宗や熊野神社別当の湛増の助力で体勢を立て直します。そして、京都での平氏の本拠地である六波羅に入りました。

清盛は伊賀や伊勢の味方を呼び寄せて兵力を増強する一方、信頼に対して従うふりをするなどして時間を稼ぎました。

1159年 – 12月25日 二条天皇の六波羅行幸

二条天皇
出典:二条天皇 – Wikipedia

12月25日の深夜、清盛は腕利きの部下を内裏に潜入させ二条天皇を脱出させることに成功します。六波羅に天皇を迎えた清盛は官軍となり、形勢を逆転させました。天皇に逃げられたことを知った義朝は信頼を「天下第一の不覚人」と罵倒します。これにより、彼らは賊軍となってしまいました。

1159年 – 12月26日 六波羅合戦

官軍の立場を得た清盛は信頼・義朝に決戦を挑みます。しかし、このまま攻め込めば彼らが立て籠もる内裏に被害が出るかもしれません。そこで、清盛はあえて緒戦で負けて見せ、彼らを平氏の本拠地である六波羅におびき寄せました。清盛の策で引き寄せられた信頼・義朝軍は六波羅合戦で敗北。平治の乱は清盛の勝利で幕を下ろします。

平治の乱の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

『角川まんが学習シリーズ 日本の歴史 4 武士の目覚め 平安時代後期』

平安時代後期を取り上げた歴史マンガです。武士団が徐々に出来上がっていった平安後期は人物関係が複雑で、全体像の把握が難しい時代です。その割に、上手にまとめているという印象ですね。歴史好きには非常にありがたいですが、歴史が苦手な人にはちょっとハードルが高いかもしれません。巻頭の人物相関図を見ながら読むことをお勧めします。

おすすめドラマ

『大河ドラマ 平清盛 総集編』

2012年に放送された大河ドラマ『平清盛』の総集編です。松山ケンイチ演じる平清盛が権謀術数渦巻く京都で立身出世する様子を描いた歴史ドラマですね。個人的には清盛の父忠盛を演じた中井貴一や白河法皇を演じた伊東四朗の縁起がとても迫力があってよかったです。

平治の乱はもちろんのこと、保元の乱や源氏と平氏の関係などが克明に描かれています。2022年放送予定の『鎌倉殿の十三人』を見る前に、そのちょっと前の時代を知っておきたいというなら絶好のドラマではないでしょうか。

平治の乱に関するまとめ

いかがでしたか?

平治の乱は1159年に京都で起きた戦いです。平治の乱は保元の乱で勝利した後白河上皇の側近(院近臣)どうしで主導権を争った戦いでもありました。

当初、先手を打った藤原信頼や源義朝は政敵の信西排除に成功します。しかし、京都を留守にしていた平清盛が帰京し、二条天皇を奪い返すと形勢は逆転。信頼や義朝は逆族として討伐されてしまいました。この平治の乱で勝利した清盛は朝廷第一の実力者となり平氏政権を築き上げます。

読者の皆様が、平治の乱に関し「そうだったのか!」と思えるような時間を提供できたら幸いです。

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