1994年1月30日ー薬剤師リンチ殺人事件
元オウム真理教信者だった薬剤師の男性が、麻原の指示により殺害された事件です。麻原が関わった事件の中で唯一、麻原が殺人の現場に立ち会った事件でもあります。
以前から教団の方針に疑問を持っていた被害者が、オウム真理教付属医院で治療を受けていた知り合いの女性信者とその息子を教団から救出する計画を立てます。上九一色村にある第6サティアンに移された女性信者を1994年1月30日に救出に向かいますが、発見され救出作戦は失敗してしまいました。
捕まった被害者は麻原の部屋に連れていかれ、催涙スプレーを噴射されるなどの拷問を受けます。そして麻原は女性信者に向かって「被害者を殺害すれば開放してやる」と発言し、悩んだ末女性信者は被害者を絞殺しました。
1994年6月27日ー松本サリン事件
長野県松本市内でオウム真理教がサリンを散布したことにより、8人の死者、600人の負傷者が出たテロ事件です。
長野県松本市に教団施設の建築を計画していたオウム真理教に対して反対運動が起き、さらに賃貸契約の不備によって民事裁判が行われます。長野地方裁判所松本支部は1994年7月19日に判決を言い渡す予定でしたが、それを知った麻原が幹部たちに命じて裁判所宿舎にサリンを散布しました。
また警察が第一通報者であった河野義行さんを重要参考人として取り調べたため、マスコミはこぞって河野さんが犯人かのような報道を繰り返しました。オウムの犯行だと分かるまで河野さんはまるで犯人のような扱いを受け、のちに警察のずさんな捜査やマスコミの無責任な報道姿勢が批判されました。
1994年12月12日ー会社員VX殺害事件
1994年12月12日に起こったオウム真理教幹部たちによる、猛毒の神経剤VXを使用した殺人事件です。この事件の被害者は世界で初めてのVXによる死者に記録されています。
被害者である会社員はオカルト雑誌で知り合った女性に教団に勧誘されたためオウム信者だとわかり関係を断りましたが、教団からの勧誘はしつこく続きました。
被害者が柔道をやっていて警察の道場に出入りしていたこともあり、教団の諜報活動によって被害者は公安警察のスパイではないかと勘違いされます。事実そんなことはありませんでしたが、報告を受けた麻原は妄想を膨らませた結果この会社員の殺害を命じました。
1994年12月12日、ジョギング中だった被害者に教団幹部らが注射器でVXを噴射し、直接薬品に触れてしまった被害者は直後倒れ込み死亡しました。
1995年2月28日ー公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
オウム真理教が目黒公証役場事務長だった男性を拉致監禁し、拷問の末殺害した事件です。
被害者の妹は1993年10月頃にオウム真理教に入信し教団に数千万円を布施していましたが、教団はさらなる布施と出家を要求したので、教団から逃げ出し兄である被害者に匿われていました。そのため教団は妹の居場所を探るため被害者を拉致しました。
教団は被害者を上九一色村の第二サティアンに監禁し、麻酔薬を投与して妹の居場所を自白するよう強要します。しかし被害者は決して居場所を教えなかったため麻酔薬の投与を続けた結果、1995年3月1日午前11時頃に麻酔薬の過剰投与によって死亡しました。
1995年3月20日ー地下鉄サリン事件
オウム真理教が引き起こした最も大きなテロ事件で、死傷者数や犯罪の規模において日本の犯罪史史上最悪の事件の一つです。
1995年3月20日にオウム真理教の信者が帝都高速度交通営団3路線の車両内でサリンを撒き、14人が死亡し6,300人以上の負傷者が出ました。一般市民を標的とした化学兵器を使用する無差別テロは当時世界でも稀にみる事件だったため、人々に大きな衝撃を与えたことは言うまでもありません。
地下鉄サリン事件とは?経緯や目的、犯人まとめ【被害者の後遺症も紹介】
この事件をきっかけとしてオウム真理教は宗教法人取り消しの処分を受けたのち破産し、教団は消滅します。その後、「アレフ」、「ひかりの輪」、「山田らの集団」などのオウム真理教の後継団体が誕生し、現在でも活動を続けています。
オウム真理教の現在は?アレフを中心とした3つの後継団体の様子を解説
オウム真理教事件に関連する映画や書籍
書籍『オウム真理教事件とは何だったのか? 麻原彰晃の正体と封印された闇社会』
オウム真理教が引き起こした事件を膨大な資料をもとに総括したノンフィクション作品です。作者は数々の重大事件に取り組むジャーナリストの一橋文哉さん。どのようにしてオウム真理教が暴走していったのかに迫る渾身の書き下ろし作品です。
映画『日本の黒い夏─冤罪』
2000年に制作された映画で、松本サリン事件の第一通報者である河野義行さんの冤罪をテーマにした作品です。監督は熊井啓で中井貴一が主演を務めています。第11回日本映画批評家大賞では作品賞、出演していた遠野凪子が新人賞、製作総指揮の中村雅哉が特別賞を受賞しました。
監督である熊井啓は河野家と知り合いだったため、事件当時から義行さんが無実ではないかと考えていました。さらに警察の強引な捜査に疑問を持ったことや、日活から社会派の映画制作の依頼があったことが本作品制作のきっかけとなりました。
オウム真理教事件に関するまとめ
いかがでしたか?
この記事で取り上げた事件はオウム真理教事件のごく一部にすぎません。他にも立件されていない事件や未遂で終わっているものなどを含めると、40以上の事件をオウム真理教は起こしています。
もし他の事件にも興味があればぜひ調べてみてください!