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地下鉄サリン事件とは?経緯や目的、犯人まとめ【被害者の後遺症も紹介】

「地下鉄サリン事件ってどんな事件?」
「オウム真理教ってなんだったの?」
「オウム真理教や麻原彰晃の現在は?」

「地下鉄サリン事件」とは1995年3月20日にオウム真理教によって引き起こされたテロ事件です。東京の地下鉄を利用する一般人を無差別に狙った犯行により、多くの死者と負傷者がでました。

地下鉄サリン事件は世界中でも注目され、英語では「Tokyo Sarin Attack」と呼ばれています。首謀者であった麻原彰晃が死刑に処されたときは、イギリスのBBC、アメリカのCNNなどでニュースとして報道されました。

この事件によって日本のテロ対策は見直され、二度とこのような事件が起こらないよう新たな法律が制定されたり鉄道会社の危機管理が見直されました。

この記事では地下鉄サリン事件の経緯と犯人像、事件の影響や関係する作品などを紹介します。

地下鉄サリン事件とはどんな事件だったのか?

場所東京都、
帝都高速度交通営団の一部路線
日付1995年3月20日
犯人麻原彰晃および
オウム真理教の幹部18名
兵器サリン
死者数14名
負傷者数約6300名
目的教団への捜査のかく乱と
首都圏の混乱

事件の概要を簡単に解説すると?

地下鉄サリン事件当日の営団地下鉄八丁堀駅周辺

地下鉄サリン事件は1995年3月20日に麻原彰晃を筆頭としたオウム真理教の信者たちによって引き起こされたテロ事件です。当時大都市を狙った化学兵器での無差別テロは、世界的にも類を見ないケースだったため世界中を恐怖に陥れました。

中央省庁が集まる「霞が関」を通る地下鉄の路線内で猛毒の神経ガス「サリン」を撒いたことで、ラッシュアワーだった地下鉄内はパニックに陥りました。その結果多くの犠牲者を出し、死者14名、負傷者約6300名という過去に例のない大事件となりました。

事件後、首謀者の麻原彰晃や実行犯、サリン製造に関わった教団の幹部たちが次々逮捕されます。そして2018年には裁判で死刑判決を受けた全員の死刑が執行されました。しかし被害者たちの中では「地下鉄サリン事件」はまだまだ終わっておらず、苦しみは続いていると言えます。

化学兵器「サリン」とは?

サリンが入った袋

サリンとは有機リン化合物で、神経伝達を阻害する作用を持つ神経ガスの一種です。

1938年にドイツで開発されたサリンは第二次世界大戦で使用される予定でしたが、第一次世界大戦時に毒ガスで負傷したアドルフ・ヒトラーが難色を示し、実践に投入されることはありませんでした。大戦終結後、サリンの情報は戦勝国に渡りアメリカやソビエトでも生産されました。

サリンの殺傷能力は非常に高く、吸い込めば数分で症状が表れます。症状としては軽症の場合、瞳孔の縮小、嘔吐、頭痛、呼吸困難などがあり、重症化すると意識混濁やけいれんなどを起こし心肺停止に至ります。

サリンは科学的に不安定な物質のため、熱分解や加水分解によって無害化できます。そのため地下鉄サリン事件の際には塩素酸ナトリウム溶剤を使用しての除染が行われました。

標的となったのは東京の地下鉄

帝都高速度交通営団地下鉄

地下鉄サリン事件で標的となったのは東京の地下に張り巡らされた地下鉄で、千代田線、丸ノ内線、日比谷線の3路線を走る5編成の車両に袋詰めされたサリンが持ち込まれました。

当初の標的となった霞ヶ関駅の被害が大きかったのは言うまでもありませんが、意外にも最大の被害を出したのは日比谷線の小伝馬町駅でした。これはサリンの散布によりパニックに陥った乗客が、地下鉄の車内から駅のホームにサリンの入った袋を蹴り出したためでした。

さらに後続の列車が5編成もホームに乗り入れたうえ、うち2編成は小伝馬町で運転を取りやめたため大勢の乗客がサリンの充満したホームで降ろされることになりました。結果、事件中最多の8人が死亡し2475人の負傷者が出ました。

事件を起こした「オウム真理教」について

オウム真理教とはどんな集団なのか?

上九一色村にあったオウム真理教の施設

オウム真理教は麻原彰晃こと本名・松本智津夫を教祖とする新宗教団体でした。オウムは1984年に発足されましたが当時はただのヨガサークルに過ぎず、アットホームで明るい教室だったと言います。その後、麻原は徐々に教室内で宗教やオカルトの要素を強めていきます。

1987年にヨガサークルから宗教団体「オウム真理教」が設立され、2年後には東京都に宗教法人として認証されました。麻原の教えに賛同して入信する者は徐々に増え、1995年3月には15400人にも上っています。

しかしオウムは入信者の家族から訴訟を起こされるなど、行き過ぎた宗教活動が問題にもなっていました。オウムの暴走のきっかけとなったのが、1988年に信者を死亡させた過失致死事件です。この事件を隠ぺいするため、更なる殺人事件を起こしオウムはテロ組織へと変貌していくのです。

犯行の目的は?

麻原が地下鉄サリン事件を起こしたのは教団の国家転覆計画に基づきクーデターを起こすためと、警察の強制捜査をかく乱するためだと言われています。しかし麻原は取り調べで地下鉄サリン事件については口を閉ざしほとんど語らなかったため、今でも解明出来ていないことが多々あるのが現状です。

主犯である麻原彰晃の人物像

麻原彰晃

オウム真理教の教祖であった麻原彰晃は、1955年に熊本県に生まれました。麻原の家庭は非常に貧しく、生まれつき左目が見えなかった麻原が通っていた盲学校の先生が「あれほど貧しい家は見たことがなかった」と語るほどでした。

盲学校時代から麻原は同級生や下級生を従え頂点に君臨し、生徒会長や寮長の選挙などに出馬しています。しかし慕われていたわけではなかった麻原は当選できず、沸々とした不満や怒りを溜め始めていました。

22歳になった麻原は東京へ行くと女性と結婚し鍼灸院を開きますが、健康保険薬剤不正請求やニセ薬を売って薬事法違反で逮捕されるなど倫理観の欠如も見られ始めます。

1984年にオウムの教祖となってからも麻原の思い通りにいかないことを、暴力と権力でねじ伏せる行いは改まらずエスカレートしていきました。そして1990年に突然衆議院選挙に出馬しますが落選。このことが麻原に日本政府と国民に対して不信感を抱かせ、教団を暴走に走らせる原因になりました。

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その他オウム真理教の幹部

村井秀夫

村井秀夫

村井秀夫はオウム真理教のナンバー2だった人物で、科学技術部門の最高幹部でもありました。地下鉄にサリンをまくことを麻原に提案したのも村井で、事件の際には総指揮を取っています。

事件後に報道陣へのスポークスマンとしても登場していましたが、1995年4月23日に指定暴力団山口組の構成員に刺され死亡しています。

林郁夫

林郁夫

林郁夫は元医者のオウム真理教の幹部だった男です。地下鉄サリン事件の際には実行犯として千代田線にサリンをまき、地下鉄職員2人を死亡させました。

逮捕後の取り調べで最初のうちは黙秘権を行使していましたが、一転して「私がサリンを撒きました」と犯行を自供したことで多くの逮捕者が出て教団の解体につながりました。この自供のおかげで実行犯の中で唯一死刑を免れています。

土谷正実

連行される土谷正実

土谷正実はオウム真理教の科学者として化学兵器や薬物の開発に携わっていました。サリンの生成法を確立したのも土谷で、1994年6月27日に起こった松本サリン事件の際に使用されたサリンも土谷の手によるものです。

地下鉄サリン事件には直接関わってはいませんでしたが、サリンの生成法確立によって大量殺人を可能にしたことが問題視され死刑判決が下っています。

事件による被害者

14人の死者と約6300人の負傷者を出した

駅のホームで救助活動を行う救急隊員

地下鉄サリン事件では2021年現在、14人の死者と約6300人の負傷者を被害者として認定しています。

事件の被害にあった76歳の男性は翌日の1995年3月21日に亡くなっていますが、死因が心筋梗塞だったため当時サリン事件との因果関係が認められず被害者としては認定されていませんでした。しかし2008年12月に施行された「オウム被害者救済法」によって、ようやく13人目の死者として認定されました。

また2020年3月には地下鉄サリン事件で被害に遭い、その後約25年にわたって被害に苦しんできた浅川幸子さんが亡くなっています。浅川さんはメディアにも実名で出演し、オウムの被害を訴えてきました。

重い後遺症に悩む被害者たち

地下鉄サリン事件にあい、重い後遺症に悩む浅川幸子さん

地下鉄サリン事件の被害者たちは重い後遺症に悩まされていました。

先述の浅川幸子さんはサリンを吸い込んだことによる低酸素脳症によって全身に麻痺が残り、亡くなるまで寝たきりの生活を強いられていました。サリンの後遺症として視力に障害を持った被害者も多く、失明した被害者もいるといいます。

また身体的な被害だけでなく電車に乗ることをができなくなったり、事件のことが忘れられずPTSDなどの精神的な疾患を患う人も少なくありませんでした。「オウム真理教犯罪被害者支援機構」が実施したアンケートではPTSDの疑いがある被害者は29%、被害者の家族では59%の結果となりました。

情報錯綜による二次被害

サリンがまかれたことが判明し、防護服を着用した消防隊員

地下鉄サリン事件では事件直後から様々な通報が警察と消防に寄せられました。しかし「爆発事故が起こった」や「地下鉄の駅で異臭がする」など、現場の状況を正しく説明したものは有りませんでした。そのため事件発生直後は警察と消防もサリンに対して適切な装備を着けずに救助に当たっていました。

また現場での情報は各部署にうまく共有されておらず、被害者が搬送された病院などにはサリンについての情報が伝わっていないこともありました。

結果、治療に当たっていたスタッフなどに軽傷ながら多数の被害が確認された他、警察や消防にも100人を超える負傷者を出すことになります。そのため化学兵器を使用したテロ発生時の二次被害について見直されることになりました。

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