このような疑問を抱いている方もいるでしょう。現在1000円札の肖像にもなっており、今や知らない人はいない野口英世。黄熱病の研究で有名ですが、実際その研究の何が評価されたのかご存じない方も多いのではないでしょうか?
野口英世は黄熱病の研究以外にも数多くの功績を残し、ノーベル医学・生理学賞に3度推薦される程、世界的にも評価されていました。しかし、後世になって野口英世の功績の中には否定されてしまったものもあります。
そこで、今回は野口英世が残した功績の中でも有名な偉業5選と、否定されてしまった功績についてまとめました。
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野口英世の主な功績を一覧で紹介
研究年 | 主な功績 |
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1902年 | 蛇毒の血清学的研究 |
1911年 | 梅毒菌の培養に成功 |
1913年 | 梅毒菌を梅毒患者の脳内で発見 |
小児麻痺の病原体の特定 | |
狂犬病の病原体の特定 |
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1918年 | 黄熱病の病原体を特定 |
1926年 | オロヤ熱とペルー疣が 同じ病気の症状であると証明 |
1927年 | 熱帯リーシュマニア症の研究 |
トラコーマ病原体の特定 |
野口英世の功績5選
野口英世は非常に研究熱心で、その研究姿勢から当時、アメリカ医学会では「研究マシーン」や「日本人は睡眠を取らない」といった声もあったそうです。それを表すかのように、野口英世は生涯で204編という膨大な量の論文を発表し、そのうち150編は共同研究者のいない単名で書かれています。
野口英世は何をした人?生涯・年表まとめ【名言や功績、死因も解説】
その膨大な研究の中から、特に代表的な5選を紹介します。
- 功績1:梅毒菌の培養に成功したこと
- 功績2:梅毒菌を梅毒患者脳内で発見したこと
- 功績3:黄熱病の病原体の特定したこと
- 功績4:オロヤ熱とペルー疣の原因が同じ病気であると証明したこと
- 功績5:多数の感染症の病原体を特定したこと
功績1:梅毒菌の培養に成功したこと
野口英世は、世界で初めて梅毒の純粋培養に成功します。
梅毒という病気は15世紀末には存在していました。非常に古くからある病気で、作曲家のシューベルトや哲学者のニーチェ、日本では戦国武将の加藤清正など、多くの歴史上の人物も感染したと言われています。
そのため、数多くの研究者が梅毒について研究しており、試行錯誤を繰り返し、梅毒の培養も試みていましたが成功した人は現れませんでした。そんな中での野口の発表は世界に衝撃を与え、この研究により野口英世の名前は世界中の医学会に知れ渡ることとなります。
功績2:梅毒菌を梅毒患者脳内で発見したこと
野口英世は数千枚の検体を観察することで、当時菌がいるとされていた血管近くではなく繊維の奥深くで梅毒菌を発見しました。また、菌がどのあたりに存在するのかが野口の研究によって分かったため、脊髄でも発見できました。
以前から進行性麻痺・脊髄癆は梅毒患者の末期の症状として認められていましたが、それを証明することはできませんでした。多くの研究者が梅毒患者脳内や脊髄から梅毒菌を見つけ出そうとしますが、発見には至らず、因果関係を証明することは困難を極めていたのです。
野口が患者脳内から梅毒菌を発見したことにより、これらの症状が梅毒によるものとして証明に成功します。この功績は野口英世の最大の功績とされ、この翌年ノーベル医学・生理学賞の候補となりました。
功績3:黄熱病の病原体の特定したこと
野口英世の功績と言えば、黄熱病の研究が特に代表的ですよね。野口は当時、猛威を振るっていた黄熱病の病原体の特定に成功しました。
エクアドルで当時、黄熱病が大流行していました。その死亡率は30~50%とされ、エボラ出血熱と同等の死亡率で非常に危険な感染症でした。パナマ運河が開通してすぐのことであり、運河を通行する際に船の乗組員が感染し、場合によっては全世界に黄熱病が流行しかねないと判断されます。
黄熱病の病原体特定のため、野口英世が現地に派遣されることになりました。エクアドルで野口は研究を進め、ついに黄熱病の病原体を特定し、その細菌をもとにワクチンを開発します。
そのワクチンは野口英世の名前から野口ワクチンと呼ばれるようになりました。