野口英世の功績5選!有名な偉業や否定された功績についても紹介

功績4:オロヤ熱とペルー疣の原因が同じ病気であると証明したこと

両者が同じ病気であると証明した(イメージ図)

野口英世は、オロヤ熱とペルー疣(いぼ)というまったく症状の違う2つの病気が同じ病気であることを証明しました。

オロヤ熱とは溶血性貧血により重篤な症状を引き起こす病気で、ペルー疣とは手足に数センチに及ぶ疣ができる病気です。このような全く異なる症状が、同じ病気であるとは当時考えられていませんでした。

1885年にペルーの医学生が同じ病気であるという説を唱えていましたが、ハーバード大学によりその説は否定されることになります。野口英世は2つの病気の病原体を特定・分離し、猿を使った実験により同じ病気の異なる症状であることを証明しました。

この功績は後年、科学史の研究で有名な中山茂により野口英世の2番目に大きな功績として認められています。

功績5:多数の感染症の病原体を特定したこと

野口英世は多数の病原体を特定(イメージ図)

野口英世は黄熱病以外にも数多くの病原体の特定に至ります。野口が特定した疾患の一覧を以下にまとめました。

  • 小児麻痺(急性灰白髄炎・ポリオ)
  • 狂犬病
  • トラコーマ

これらはどれも非常に危険な病気ばかりです。急性灰白髄炎は、まれにではありますが身体に麻痺が生じることもあります。狂犬病は感染すれば100%死に至り、トラコーマは眼疾患で重症化すれば失明することもある疾患でした。

自分のやりたいことを一所懸命にやり、それで人を助けることができれば幸せだ。

こちらは野口の名言の一つです。まだ詳しく判明していない病気もある中で、自分が感染するリスクもあったはずでした。しかし、野口の研究者としての根幹にこの言葉があるからこそ、これだけ研究に打ち込み、次々と病原体を特定できたのかもしれません。

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否定された野口英世の功績とその理由

否定される功績の数々

ここまで野口英世の代表的な功績5選を紹介しました。しかし、実はこの中には現在では否定されてしまった功績が含まれています。

ここからは野口の否定された功績にスポットライトを当て、なぜ否定されるに至ったのかを紹介していきます。

梅毒菌の培養に成功したこと

野口が培養に成功したと言われる梅毒トレポネーマ
出典:Wikipedia

野口英世を世界的に有名にした功績でしたが、後にこの功績は否定されることとなりました。その理由は野口が培養に成功した方法で、他の研究者が培養に成功しなかったためです。

研究結果が発表され、何度も野口が発表した方法で梅毒の培養を試みましたが、残念ながら誰一人として成功しませんでした。そして残念ながら、現在に至るまで培養に成功したという報告はありません。

彼が研究を発表した年から70年後の1981年に、野口とはまったく別の方法で梅毒の培養に成功したという報告はありました。研究の世界において再現性は非常に重要視されています。

再現性とは同じ条件・方法で行われた実験が同じ結果になることです。野口以外の研究者が同じ方法を用いても、培養に成功しないということは再現性がないということとなり、この功績は否定されることになりました。

最近ではSTAP細胞の存在についても、同様に再現性がないという点から存在が否定される一因となっています。

黄熱病の病原体の特定したこと

野口英世の死後発見された黄熱ウイルス
出典:Wikipedia

日本人にとって非常に有名な功績ですが、これに関しては野口英世が研究結果を発表した当初から野口の説に反論がありました。それは、野口より前に黄熱病がウイルスによるものと証明された研究結果と矛盾が生じたことが原因です。

また、黄熱病と似た症状であるワイル病と混同しているのではないかという指摘もされていたようです。実際に、野口が開発したワクチンは黄熱病に効果がありませんでした。

後に、黄熱ウイルスというウイルスが発見され、それを元に1937年にマックス・タイラーによって黄熱ワクチンが開発されたことから、野口の説は間違っていたことが証明されることになります。しかし、これには当時の技術的な問題もありました。

野口が黄熱病の研究に従事していた1918年にはウイルスの存在自体は認められていましたが、光学顕微鏡しかなくウイルスを観測することが当時の技術ではできませんでした。ウイルスを観測することのできる電子顕微鏡が開発されたのは1931年のことで、彼の死から3年後のことです。

もし、野口英世が生きている間に電子顕微鏡が開発されていれば、また違った歴史になっていたかもしれませんね。

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多数の感染症の病原体を特定したこと

野口英世が所属していたロックフェラー研究所(現ロックフェラー大学)
出典:Wikipedia

野口英世が特定した急性灰白髄炎や狂犬病、トラコーマの病原体も黄熱病と同様に、ウイルスなどの別の病原体によるものと分かったため、この功績も否定されることになりました。これを見ると野口の研究がいい加減だと考える人もいるのではないでしょうか?

しかし、決して彼の研究がずさんだったというわけではありません。当時、訪米した知人に「十分とはいえない段階の論文であっても研究所に急かされ、結果、発表したものが賞賛されて責任が圧し掛かり内心、忸怩たる気持ちになるが、その賞賛の声を発奮材料に研究に打ち込む」と言ったという話が残っています。

発表した論文の大部分を掲載した医学誌は、野口が所属していたロックフェラー研究所以外の研究員による査読がされていませんでした。また、研究所の所長サイモン・フレクスナ―の推薦があれば掲載されるなど、論文のチェックに不備があったとも言われています。

知人に漏らした言葉はこのことを表していたのか、十分な検証がなされていない論文でも発表せざるを得なかったことも、後世になって功績を否定される一因となったのではないでしょうか。

野口英世の功績に関するまとめ

いかがでしたでしょうか?今回は野口英世の功績についてフォーカスを当てて紹介させていただきました。野口の功績が否定されていたとは驚きですよね。

紹介した野口の功績5選のうち、現在では3つが否定されているという驚きの結末かもしれませんが、彼の研究や研究に対する姿勢が後世に与えた影響は計り知れません。野口英世の人生は波乱万丈で、非常に魅力あふれた人物でもあります。

野口英世の人物や生涯についてもっと知りたいという方は、書籍も多数出版されていますのでそちらも是非読んでみてください。

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この記事を読んでくださった皆様が、今まで知らなかった彼の功績について少しでも知っていただければ、幸いです。

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