オードリーヘップバーンの死因は?晩年の様子やタバコとの関係性も解説

最期は自宅で亡くなった

最後のパートナー、ウォルターズと
出典:アメブロ

オードリーヘップバーンは、余命3ヶ月を告げられると、スイスの自宅へ帰りたいという希望を出しました。しかし、彼女の体調は手術後のために安定せず、民間航空機での移動ができませんでした。

すると、友人であるユベール・ド・ジバンシーが、つてを頼りにプライベートジェットを手配。彼女は、オードリーヘップバーンと40年以上に渡る付き合いがあり、友人の願いを叶えたいと行動したのです。

ジバンシーのおかげもあり、無事にロサンゼルスからスイスまでの帰国を果たしたオードリーヘップバーン。ホスピタリティを受けながら、家族と最期の時間を過ごすことができたのです。

そして、1993年1月20日の夕刻、彼女は自宅で眠るようにして亡くなりました。

オードリーヘップバーンとタバコとの関係性は?

オードリーヘップバーンとタバコの意外な関係とは

オードリーヘップバーンは、可憐で妖精のような愛くるしい姿が有名ですが、実はヘビースモーカーとしても知られていました。彼女は「KENT」の銘柄を愛用し、1日に3箱も吸う愛煙家だったと言われています。

ヘビースモーカーで有名だった

タバコを吸う姿も素敵です
出典:celeby

当時は、タバコが小道具として頻繁に使用され、役者たちにとっては一種のステータスでありおしゃれでした。現在では珍しいですが、映画の中でもタバコを吸うシーンが多く残されています。

オードリーヘップバーンの代表作「ローマの休日」でも、彼女がタバコを吸うシーンがあります。ほかにも、彼女が作中で喫煙する姿はいくつも見られるのです。オードリーヘップバーンは、タバコを連続して吸うチェーンスモーカーだったという話もあります。

ガンとの因果関係は不明

タバコとガンとの因果関係は?

「彼女はヘビースモーカー故にガンになったのでは?」と噂されることがあります。

しかし、死因となった「腹膜偽粘液腫」は、現在でも原因不明の病気とされており、タバコとガンとの因果関係は不明です。50歳前後の女性に多いとされていますが、他の年代の人や男性にも発症することがあります。

オードリーヘップバーンが活躍した1950〜1960年代にかけては、タバコが健康上に害を及ぼすという事実が浸透していませんでした。健康被害については、1975年にWHO(世界保健機構)が「喫煙とその健康に及ぼす影響」を発表した頃から問題視されるようになったのです。

オードリーヘップバーンは、タバコが体に悪いという事実を知らず、長年喫煙を続けていました。

晩年の活動

常に人々の笑顔のため
出典:海外ドラマhoard

オードリーヘップバーンは、若い頃の姿が印象的ですが、晩年も多くの人々のために活動を続けていました。彼女は女優を引退すると、ユニセフ親善大使として世界の紛争地域へ、笑顔を届けていたのです。

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女優を引退

オードリーヘップバーン、最後の映画
出典:フィルマークス映画

順調にキャリアを積んでいたオードリーヘップバーンですが、1989年の映画出演を最後に、女優を引退しています。もともと2度の離婚歴がある彼女は、次第に家庭を優先するようになっていたのです。

1度目の結婚は1954年に、アメリカ人俳優だったメル・ファーラーと。長男が誕生しましたが、1968年に離婚。翌年にはイタリア人精神科医であるドッティと再婚しますが、次男をもうけ1980年に離婚しています。

その後はウォルダースという男性と同棲、正式に結婚はしませんでしたが、最後の夫となりました。彼女は幼い頃から「温かい家庭」に憧れを抱き、家族との時間を大切にしていたのです。そして、1989年のスティーブン・スピルバーグ監督が手掛けた「オールウェイズ」に出演すると、表舞台を後にしました。

ユニセフ親善大使に就任

子どもたちと交流する姿
出典:日本ユニセフ協会

オードリーヘップバーンは、1988年にユニセフ親善大使に任命され、晩年をこの活動に捧げました。彼女は、少女時代に第二次世界大戦を経験し、戦時下の飢えや苦しみを知っていたのです。

戦争の経験から、自身が世界の人々にできることを考え続けていた彼女は、1950年代にはじめてユニセフの仕事に携わりました。そしてユニセフ親善大使に就任し、はじめての視察先であるエチオピアへ出向いたときには、言葉を失ったといいます。

なぜなら、200万以上の人が飢えに苦しみ、餓死寸前の状況だったからです。オードリーヘップバーンはその後も世界各地へ飛び回り、恵まれない子どもたちのために奔走し続けました。

オードリーヘップバーンに関するまとめ

オードリーヘップバーンは、亡くなってからしばらく経つにも関わらず、今なお世界中から愛されています。彼女の葬儀の際には、友人やウォルターズ、子どもたちをはじめ、元夫や俳優のアラン・ドロンらが参列しました。さらにはオランダ王室から献花も届いたのです。

オードリーヘップバーンは、ハリウッド最盛期とされた時代に活躍し、多くの人々を魅了しました。見た目の美しさだけでなく、清い心も持った女性だったのです。今回の記事をきっかけに、ぜひオードリーヘップバーンの魅力について、改めて感じ取っていただけると嬉しいです。

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1 COMMENT

shinji

「ローマの休日」は何度みたろう!オードリーヘップバーン素晴らしい女優です
過去の映画ですが最新の現代版といえるでしょう、

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