【年表付】オードリーヘップバーンはどんな人?映画やファッション、名言を紹介

オードリーヘップバーンは、主に1950年代から60年代にかけてハリウッドで活躍した女優です。その可憐な容姿と抜群の演技力から「永遠の妖精」と呼ばれ、ハリウッド黄金時代のトップスターでした。

「ローマの休日」や「ティファニーで朝食を」など、彼女の主演した映画は今でも名作と名高いものばかりです。その映画を名作にしているのがオードリーの存在であることは疑いようがありません。亡くなって30年が経とうとしている今も、オードリーのファンは増えているように感じます。

オードリーヘップバーン(1956年)

映画界の花としてだけではなく、彼女は晩年のユニセフ親善大使としての活動でも知られています。女優を引退後に掴んだその役目について、オードリーは「私は全人生をこの仕事のためにリハーサルしてきて、ついに役を得たのよ」と語っています。彼女にとって、ユニセフでの活動はそれほどまでに大切な使命でした。

いったいなぜオードリーはそれほどまでにユニセフの活動に打ち込んだのでしょうか?それには彼女の生い立ちが大きく関係しています。筆者はオードリーの生涯について知ったとき「何て強い意志をもった人だろう」と感動し、人間としてのオードリーヘップバーンをますます好きになりました。

この記事では、高校生のころに見た「ローマの休日」からずっとオードリーの魅力に惹かれ続けている筆者が、オードリーヘップバーンの生涯や名言、映画やファッションなどをご紹介します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

オードリーヘップバーンとはどんな人物か

名前オードリー・ヘップバーン
本名オードリー・キャスリーン・
ヘップバーン=ラストン
誕生日1929年5月4日
没日1993年1月20日(享年63歳)
生地ベルギー・ブリュッセル
イクセル
没地スイス・ヴォー州
配偶者メル・ファーラー
(1954~1968年)
アンドレア・ドッティ
(1969~1982年)
埋葬場所スイス・トロシュナ

オードリーヘップバーンの生涯をハイライト

『ローマの休日』アン王女を演じるオードリー

オードリーヘップバーンは1929年、ベルギーのブリュッセルに生まれました。3歳のときに父親が失踪、6歳で両親が正式に離婚し、波乱にとんだ幼少期を過ごしています。そのようななかで始めたバレエは彼女の支えとなり、オードリーはバレエの花形であるプリマ・バレリーナになるという夢を抱いていました。

けれども第二次世界大戦中、ドイツ占領下のオランダにいたオードリー一家は厳しい生活を強いられました。戦争が終わった直後、オードリーは栄養失調状態にありましたがなんとか回復し、プリマ・バレリーナになるという夢に向けて練習を再開します。けれども身長が高かったことと、戦時中の栄養失調で体格が細すぎたことから夢は破れてしまいました。

バレリーナを諦めてミュージカル女優となったオードリーは1951年、舞台「ジジ」と映画「ローマの休日」の主演を務めることになります。どちらも見事に演じ切ったオードリーは、一躍ハリウッドのトップスターに躍り出ました。それから「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」など、数々の名作映画の主演を務め、彼女が映画で着用するファッションは女性たちを夢中にさせました。

ユニセフ親善大使としてのオードリー

私生活では25歳のときに俳優メル・ファーラーと結婚、長男をもうけます。けれども1968年に離婚し、翌年には精神科医アンドレア・ドッティと結婚しました。次男をもうけますが1980年には離婚し、その後は俳優のロバート・ウォルダースと過ごしています。

1989年に女優業を引退すると、ユニセフ親善大使として世界中の恵まれない人々のために尽力します。その功績が認められ、1992年には大統領自由勲章を受勲しました。1993年1月、オードリーヘップバーンは63年の生涯に幕を閉じました。

オードリーが映画で身に着けたファッションは大流行!

「ローマの休日」から大流行したヘップバーンカット

オードリーヘップバーンが映画で身に着けたファッションや髪型は女性たちの間で大流行しました。王女役を演じた「ローマの休日」には、王族としての肩の荷を下ろすように長い髪をバッサリと切るシーンがあります。軽やかなショートカットはアメリカのみならず、日本の女性たちも虜にしました。

また「麗しのサブリナ」で身に着けた8分丈のパンツはオードリーの役名から「サブリナパンツ」と呼ばれるようになりました。ふくらはぎ丈のパンツは活発なオードリーの役柄を象徴するかのようで、1950年代の女性たちに解放感をもたらしました。

オードリーヘップバーンとユベール・ド・ジバンシィ

オードリーのファッションを語るうえで外せないのがブランド「ジバンシィ」の存在です。オードリーは「麗しのサブリナ」「おしゃれ泥棒」「ティファニーで朝食を」など、数々の映画でジバンシィの衣装を身に着けています。創業者であるユベール・ド・ジバンシィとは友人であり、また役を演じるうえでの大切なパートナーでもありました。

純真さと意志の強さを兼ね備えた明るい性格で人々を魅了

人々を魅了した純真な性格

オードリーヘップバーンがどのような人か、数々のエピソードから考えてみると「純真無垢」という言葉が真っ先に浮かびます。彼女の演じた多くの役柄がそうさせるのかもしれません。けれども彼女を知る多くの人々のインタビューを読むと、オードリーほど「純真」という世間からのイメージとのギャップのないスターはいないだろう、と感じます。

また、彼女は意志の強い人でもありました。少女時代、厳しい戦時下でもバレリーナを夢見て慈善ミュージカルの舞台に立ち、戦争が終わってバレリーナへの夢が破れてもなお自分の才能を生かす道を探して舞台女優となりました。また、戦後にユニセフの前身団体である「連合国救済復興機関(UNRRA)」から受けた援助を忘れず、自分が有名になった後にユニセフの活動に参加しています。

数々の名言からは彼女の明るさも感じられます。特に次の言葉には、オードリーの明るさと意志の強さがよく表れています。

人生について深刻に考えたりはしないけど…私の人生で何をするかは真剣に考えているわ

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