「花魁はどんな人がいたんだろう?」
「吉原歴代の花魁で一番美しいと言われていたのは誰?」
「花魁はどんな人生を送ったのか気になるな」
花魁は遊郭の女性の中でも位が高い女性を指し、現在でいう「高級娼婦」「高級遊女」という職業でした。華やかな着物やかんざしを付け、お客を迎えに行く花魁道中は当時の人たちを魅了し当時のファッションリーダー的存在でもありました。
そして美貌だけでなく教養も身に着けており、花魁の馴染みになるためには現在の価値で400万以上のお金が必要だったともいわれています。そんな花魁はどんな人がいたのか?最も美しい花魁は誰なのか?この記事では、実在した有名な花魁をランキング形式で7名紹介します。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
花魁とは何をする人?仕事内容や避妊方法、実在した人物を簡単に紹介
7位:大名の側室となった「榊原高尾」
三浦屋の花魁「高尾太夫」11代目は、大名の側室になった唯一の女性です。元は江戸の重願寺近くにある花屋の娘で、父親を手伝っていましたが、美貌が有名で江戸中の男性が花を買いに来て重願寺の墓地は花で溢れる程でした。
しかし父が倒れたことにより吉原に入り、美貌から6代目「高尾太夫」になりました。そこで姫路藩主「榊原政岑」に見初められ2000両もの大金で身請けされ、側室に迎えられたのです。しかし時代は8代将軍徳川吉宗の時代で、「享保の改革」で倹約を義務づけられた時期であったため榊原は危うく大名の身分を剥奪されるほどのお叱りを受けています。
結局家臣が「政岑の乳母が生き別れになった娘が榊原高尾」と説明。亡くなった乳母を弔うために娘を遊女の身分から救い出したと弁明したそうです。明らかに嘘ですが、どうやら詰問役が譲ったようでなんとか越後高田への左遷と隠居で落ち着いたといいます。
榊原高尾は夫と共に越後高田にいきますが、政岑が35歳で死去。そのため江戸にもどり榊原下屋敷で夫の菩提を弔いながら余生を過ごしたといわれています。榊原高尾は68歳で死去し、榊原家菩提寺池袋の本立寺に墓所があります。6代目高尾太夫は、玉の輿に乗るというサクセスストーリーとして遊女の憧れとして語り継がれていたようです。
6位:公家から求婚された「吉野太夫」
2代目「吉野大夫」は遊女として理想的な女性と言い伝えられている人物です。元々「吉野太夫」は京都の太夫に代々伝わる名前で、10代目まであります。その中で特に有名なのが2代目吉野太夫です。
吉野は若干14歳で太夫になっています。和歌・連歌・俳諧に優れていて、琴・琵琶・笙などの音楽にも秀で、さらに書道・茶道・香道・華道・囲碁・双六などを極めていたそうです。また太夫18名が集まった時も、寝乱れ姿で出てきたにもかかわらず圧倒的な存在感を示す程の美貌だったと伝わっています。
才色兼備であるために、馴染みの客に後陽成天皇の子で近衛家に養子に入った関白・近衛信尋や、豪商で当時の文化人の一人といわれる灰屋紹益がいました。二人は吉野太夫を身請けしようとしますが、結局灰屋紹益が身請けし結婚しました。その時26歳でしたが、38歳で亡くなり常照寺に墓所があります。現在も島原の太夫が墓参りに参拝するそうです。
創作作品で「好色一代男」に吉野太夫が出てきますが、時計の調整ができ(この当時時計が少なく調整できるのは知識人の証だった)、女性の髪や化粧を整えてあげたり、筝を弾き笙を吹く、茶を嗜み花を活け替え、話題も風流から家計のやりくりまで幅広かったという女性として出てきます。
吉野がその場にいないと「吉野がいない」と皆探し出したといわれるほどであったと、カリスマ性があったことが書かれています。これは創作作品ですが、ある程度の実話に基づいていると考えられており、吉野太夫が今も伝説的な遊女である理由ではないでしょうか。
5位:招き猫の由来ともいわれる「薄雲太夫」
「薄雲太夫」は招き猫発祥ともいわれている花魁です。薄雲太夫は一匹の三毛猫を「玉(たま)」と名づけて可愛がっていましたが、花魁道中にも猫を参加させるほどだったため「猫に憑りつかれた」と噂されていました。
そんな玉が花魁の厠についていこうとしたために、猫に憑りつかれたと楼主が短刀で玉の首をはねてしまいます。その時玉の首は飛び、厠にいた大蛇の喉首に噛みついたそうです。
自分を助けるために死んだ玉を薄雲は非常に悲しみ、西方寺に猫塚を建てて祀り馴染みの客が贈った猫の木彫り像を大事にしていたといいます。それは薄雲が亡くなった後、西方寺に寄進されました。薄雲太夫は350両もの大金で、源六という男性に身請けされています。記録には残っていませんが、幸せに暮らしたことが想像でき、そのため猫も縁起物として「招き猫」になったのではないかといわれているのです。
4位:落語のヒロインになった「紺屋高尾」
三浦屋という大見世の5代目「高尾太夫」が、後に落語の「紺屋高尾」の由来である紺屋高尾です。高尾は紺屋九郎兵衛という染物屋の妻となり、「駄染め」と呼ばれる量産染色で手拭いを製造し遊び人の間で大流行したといいます。
落語の「紺屋高尾」のあらすじを簡単に説明します。神田紺屋町に「久藏」という染物職人がいたのですが、花魁道中する6代目高尾太夫を見て一目ぼれし恋煩いを起こしてしまいます。そして3年かけてお金をためて高尾太夫に会えたのでした。しかし花魁の馴染みになるには何回も通わないといけないため、また次に通うのは3年後になってしまうため久藏は泣きながら事情をカミングアウト。