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額田王とはどんな人?生涯・年表まとめ【万葉集に残る和歌や逸話についても紹介】

額田王の功績

功績1「額田王の和歌は人の心を静めた」

斉明天皇が乗り込んだのはこのような船だったのか(この絵は遣使船)
出典:Wikipedia

額田王の和歌が人の心を静め、政治に良い影響を与えた例を紹介します。

熟田津(にきたつ)に船(ふな)乗(の)りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は漕(こ)ぎ出(い)でな

先程も紹介しましたが、この和歌は斉明天皇が九州に渡ろうとしているときに詠まれました。斉明天皇はこの時行われていた朝鮮出兵のため、九州からさらに旅をする予定だったようです。

この和歌は期待だけでなく不安も多かった船出のときを盛り上げると同時に、航海の安全を願って詠まれました。和歌はその言霊の力で祈りとなり、人の心を静めたのです。

功績2「出産しても女流歌人として活動を続けた」

かつて宇治にいた皇族・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
出典:Wikipedia

額田王の作品の中には、天皇の作だとされているものがあります。

秋の野のみ草刈(か)り葺(ふ)き宿れりし宇治(うぢ)のみやこの仮廬(かりいほ)し思(おも)ほゆ

この和歌は、秋の野のススキで屋根を葺いた宇治の仮の宿を懐かしく思い出します、という様な意味で、斉明天皇が宇治の近くを通りかかった折に、額田王が代わりに作ったと言われています。

単にかつての思い出だけを詠んでいるようですが、そうではなく、かつて宇治にいた菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)という名の皇子の霊を慰めるために、宇治を褒め称えたのだそうです。

額田王が天皇の代わりに和歌を詠んだことには大切な意味があったのがわかります。これは国の節目に和歌を詠んだことと一緒に、彼女が趣味ではなく、職業として女流歌人をしていた証拠になるのではないでしょうか。

額田王にまつわる逸話

逸話1「額田王は絶世の美女」

上村松篁「額田女王」

額田王を描いた絵画として有名なのが安田靫彦作「飛鳥の春の額田王」でしょう。白く透き通るような肌に、桃色の頰が映え、健康的で凛とした美しさを感じさせます。

とはいえ、これはあくまでイメージです。額田王の外見についての記述がある史料は、今のところ見つかっていません。

額田王が稀代の美女であるという伝説は、江戸時代から伝わっているようです。しかしその根拠は、万葉集にある歌から、天智天皇と大海人皇子、額田王が三角関係にあったと推測されたことといわれています。何とも頼りない理由です。

実際に美女であったかどうかはさておき、歌の才に恵まれ、自信に満ち溢れた女性は、とても魅力的であったに違いないでしょう。

逸話2「額田王は神の声が聞こえた?」

神の声を聞くことができたと言われる

額田王は、10代で皇極天皇に仕え始めました。この時、額田王は天皇の側近というだけではなく、シャーマンとしての役割を果たしていたというのです。

この話は、額田王の出自からきています。額田王は、山が御神体として知られる三輪山の巫女であったという説や、近江国鏡神社の神官の娘であったという説があるためです。

また、額田王は天武天皇の妃という位にはついていません。天武天皇にとって額田王との関係は「初娶」と記録にあります。これは古代における自由恋による婚姻です。妃にならなかったのも、巫女という立場からではないか、という憶測もあるのです。

卑弥呼以来、古代には巫女としての才を生かして政治に関わった女性が多くいました。皇極天皇も雨乞いを成功させた伝説の残る女帝です。額田王もそういった女性たちと同じ系統の人だと考えられているのかもしれません。

逸話3「額田王は長生きだった?!」

額田王ゆかりの粟原寺跡
出典:Wikipedia

額田王が何歳で他界したのか、正確なことはわかっていません。ただ、今も残る額田王の歌の中で一番新しいものは690年代です。この時点で額田王はすでに60歳位になっていると考えられます。

額田王は、天武天皇崩御ののち、中臣大嶋と再婚したといわれています。この最後の夫は693年に亡くなったと考えられるのですが、夫が発願した粟原寺を、額田王が意志を継ぎ、造営したという伝説があるのです。

寺の完成が715年で、寺の言い伝えからは、額田王がそれを見届けたとも理解できます。平均寿命は30歳位と言われていた時代に、額田王は70〜80歳まで生きたことになります。伝説を全て信じれば、額田王はとんでもなく長生きし、輝き続けた女性となるのです。

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