「東條英機に子供はいた?」
「現在子孫は何をしているのだろう?」
東條英機は戦前に陸軍を主導し、内閣総理大臣として太平洋戦争を指揮した人物です。また戦時中は憲兵隊を用いて反対勢力を抑制したり、官職をいくつも兼任して内閣の権利を独裁したりもしています。
しかし日本は徐々に敗戦色が強くなり、日本の主要な防衛圏であったサイパン島が陥落した責任をとり総辞職。その後日本は敗戦し連合国による東京裁判で死刑判決を受け、処刑されました。
そんな東條英機は戦争指導者として「A級戦犯」というイメージが先行する人物ですが、卓越した実務経験を持ち、昭和天皇への忠義は誰よりも厚く陛下の信任が非常に厚い人物でもありました。そういった良くも悪くも時代の象徴的な存在となっている東條英機の子孫はどんな人物なのか?子供や子孫を紹介します。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
東條英機は子供・子孫はいる?
東條英機は妻かつ子との間に、3男4女計7人の子供に恵まれており、子孫は現在も活躍しています。このうち次男以降の2男4女は分家に出たり、お嫁にいったりして東條家を継いでいるのは長男の家系です。東條英機の子供は、
- 長男:東條英隆
- 次男:東條輝雄
- 三男:東條敏夫
- 長女:杉山光枝
- 次女:田村満喜枝
- 三女:鷹森幸枝
- 四女:キミエ・ギルバートソン
で長男の英隆は戦前、満州国警務部・鴨緑江発電職員として従事し、戦後は競艇を主宰する「日本船舶振興会」に勤めていました。次男の輝雄は三菱重工の副社長、三菱自動車の社長を勤めています。三男の敏夫は航空自衛隊に勤務し、最終は空将補(空軍少将)で退官しました。
長女の光江は陸軍軍人の杉山茂と結婚。次女の満喜枝は社会学者の田村健二と結婚、家庭裁判所の調停員をしていました。三女の幸枝は映画家の鷹森立一と結婚し、四女の君枝はアメリカ人実業家のデニス・ルロイ・ギルバートソンと結婚しています。
東條英機とはどんな人?生涯・年表まとめ【子孫や名言、死因、遺書も紹介】
東條英機の子供たちはどんな人?
東條英機の子供たちは父がA級戦犯として罰せられたために、やはり平坦な人生とはいかない場合もあったようです。そんな東條英機の子供たちがどういう人物なのか、著名な人物を紹介します。
非常に苦労した長男・英隆一家
長男の英隆は首都圏警察に勤め満州にいましたが、結婚を機に鴨緑江発電所に就職。その後海軍に招集され横須賀で戦後を迎えたそうです。しかし戦争が敗北に近づいてきた頃には、東條家の通字「英」を持っていたために就職や転職もままならなくなったそうです。
英隆の長男であり英機の孫にあたる「英勝」も、小学校の教員が担任に持つことをこぞって拒否したために、校庭の昇り棒に登って窓の外から授業を眺めていたという話が残っています。小学校は義務教育であるので、あってはならないことのように感じますが、戦後の混乱期でもあり今のようにはいかなかったのかもしれません。
多分近くに住んでいたら多分殺す計画を立てる!!!