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東條英機の子孫・子供はどんな人?著名な子孫も家系図つきで紹介

「東條英機に子供はいた?」
「現在子孫は何をしているのだろう?」

東條英機は戦前に陸軍を主導し、内閣総理大臣として太平洋戦争を指揮した人物です。また戦時中は憲兵隊を用いて反対勢力を抑制したり、官職をいくつも兼任して内閣の権利を独裁したりもしています。

内閣就任時の東條英機
出典:Wikipedia

しかし日本は徐々に敗戦色が強くなり、日本の主要な防衛圏であったサイパン島が陥落した責任をとり総辞職。その後日本は敗戦し連合国による東京裁判で死刑判決を受け、処刑されました。

そんな東條英機は戦争指導者として「A級戦犯」というイメージが先行する人物ですが、卓越した実務経験を持ち、昭和天皇への忠義は誰よりも厚く陛下の信任が非常に厚い人物でもありました。そういった良くも悪くも時代の象徴的な存在となっている東條英機の子孫はどんな人物なのか?子供や子孫を紹介します。

東條英機は子供・子孫はいる?

東條英機は妻のかつ子との間に7人の子供を儲けている(真ん中は孫の由布子)
出典:Wikipedia

東條英機は妻かつ子との間に、3男4女計7人の子供に恵まれており、子孫は現在も活躍しています。このうち次男以降の2男4女は分家に出たり、お嫁にいったりして東條家を継いでいるのは長男の家系です。東條英機の子供は、

  • 長男:東條英隆
  • 次男:東條輝雄
  • 三男:東條敏夫
  • 長女:杉山光枝
  • 次女:田村満喜枝
  • 三女:鷹森幸枝
  • 四女:キミエ・ギルバートソン

で長男の英隆は戦前、満州国警務部・鴨緑江発電職員として従事し、戦後は競艇を主宰する「日本船舶振興会」に勤めていました。次男の輝雄は三菱重工の副社長、三菱自動車の社長を勤めています。三男の敏夫は航空自衛隊に勤務し、最終は空将補(空軍少将)で退官しました。

東條英機の子供には自衛隊に勤務した人もいる
出典:Wikipedia

長女の光江は陸軍軍人の杉山茂と結婚。次女の満喜枝は社会学者の田村健二と結婚、家庭裁判所の調停員をしていました。三女の幸枝は映画家の鷹森立一と結婚し、四女の君枝はアメリカ人実業家のデニス・ルロイ・ギルバートソンと結婚しています。

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東條英機の子供たちはどんな人?

東條英機の子供は戦後苦労したという

東條英機の子供たちは父がA級戦犯として罰せられたために、やはり平坦な人生とはいかない場合もあったようです。そんな東條英機の子供たちがどういう人物なのか、著名な人物を紹介します。

非常に苦労した長男・英隆一家

長男英隆は、戦前は満州警務部に勤めていた
出典:Wikipedia

長男の英隆は首都圏警察に勤め満州にいましたが、結婚を機に鴨緑江発電所に就職。その後海軍に招集され横須賀で戦後を迎えたそうです。しかし戦争が敗北に近づいてきた頃には、東條家の通字「英」を持っていたために就職や転職もままならなくなったそうです。

英隆の長男であり英機の孫にあたる「英勝」も、小学校の教員が担任に持つことをこぞって拒否したために、校庭の昇り棒に登って窓の外から授業を眺めていたという話が残っています。小学校は義務教育であるので、あってはならないことのように感じますが、戦後の混乱期でもあり今のようにはいかなかったのかもしれません。

長男は父・英機と疎遠だった

長男・英隆が満州勤務している頃、英機は関東軍参謀長として満州にいた
出典:Wikipedia

長男の英隆氏は、父・英機と疎遠だったといわれています。きっかけは英機が満州で関東軍参謀長をしていた頃、英隆が満州警務部に勤務しており、二人の間に衝突があったためです。

内容は英隆が父・英機の力を借りずに自力で満州警務部に勤めるも、たまたま英機も関東軍参謀長として満州に赴任していました。そのため英機は息子が自分のコネで入ったと噂されることを嫌い、満州警務部に免職、或いは昇進できないように扱うよう要求したそうです。

長男英隆は父・英機と疎遠だった

父のせいで辞職に追い込まれた英隆は、それ以来父・英機と距離を取るようになったと語っています。

そのため英機が巣鴨プリズンに収監されている時も、英機から面会の希望が出ても断固として面会にいかなかったそうです。そのため父英機は、英隆に遺書を宛てています。そこには、

「自分とは疎遠になっても、母の事は気にかけてほしい」

と書かれていたといいます。そして迫害される東條家を支援してくれる友人を頼るようにとも書いてあり、英隆氏を気遣う親心を垣間見ることができるのです。

父の擁護に奔走した次女・満喜江

次女の満喜枝は家庭裁判所の調停員をしていた

東條英機の次女・満喜江さんは戦後、英機の遺品や名刺・軍服などを管理していました。娘の由布子程の活動ではないものの、英機を擁護する立場をとっています。

満喜江は当初古賀秀正陸軍大尉と結婚し一児を儲けていますが、夫は1945年8月15日の宮城事件で自決しました。その後東洋大学の名誉教授・田村健二と再婚。また満喜江自身も家庭裁判所調停員として活躍する傍ら、夫と共同研究した社会学の著書が多数あります。また家庭調停の専門家としてメディアにも出演しています。

東條英機の著名な子孫を紹介

東條英機の孫たちは精力的に活動している
出典:Wikipedia

東條英機の孫や曾孫は、今もあらゆる方面で活躍しています。そんな子孫の中で、特に著名な人物を紹介します。

東條由布子(岩波由布子)

東條英機の孫、東條由布子(本名は岩波由布子)
出典:サーカスな日々

東條英機の長男・英隆氏の娘、東條由布子(とうじょうゆうこ)は、英機の子孫の中で特に精力的に活動している人物です。本姓は岩波ですが、夫に「英機擁護のためなら岩波姓を使うことを許さない」といわれたためだそうです。保守派のコメンテーターとしてメディアにも頻繁に出演していました。

著書には『祖父東條英機「一切語るなかれ」』「大東亜戦争の真実東條英機宣誓供述書」など、祖父東條英機に関する書を多数発表しています。東京裁判での判決から、靖国神社の戦犯分祀問題でも祖父を擁護する立場として意見を述べていました。

遺骨の収集活動にも精力的に従事していた

また戦地に赴き「遺骨の収集活動」にも従事しました。2007年には第21回参議院議員通常選挙区に、無所属新人候補で立候補するも、落選しています。その後2013年に肺炎により73歳で死去しました。

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東條英利

曾孫にあたる東條英利、長男英隆の子・英勝の子にあたる
出典:ヒーローズインタビュー

東條英機の曾孫にあたる東條英利は、現在「日本の文化を広めよう」といった活動を積極的に行っています。具体的には、

  • 神社などの日本文化を紹介する「神社人」を運営
  • 一般社団法人国際教養振興協会の代表理事に就任

などです。英利氏はカタログ販売会社に就職し4年ほど香港に赴任していました。その時に日中戦争を先導していた東條英機の曾孫として周囲に言いづらかったといいますが、あるとき友人に打ち明けたそうです。すると友人は「そんなこと関係ない。僕たちは友達だ」といわれたそうです。

香港での体験が、英利氏の活動のきっかけとなったそうだ

それから英利氏は「自分も日本のために何かできるのではないか」と考えるようになり、今の活動へと繋がったといいます。

東條英機の子孫に関するまとめ

今回東條英機の子孫を執筆しましたが、筆者の感想はご子孫は非常に苦労されながらも、自分自身のアイデンティティを見つめて活動されていることに驚いています。そして個人的に「神社人」の運営を、曾孫の方がされていたことを知らなかったために驚いています。

このように普段使っているけれども、実はこんな人が作っていたんだということが他にもあるんだろうなと感じつつ、ご活躍を応援したい次第です。この記事を読んで、筆者と同じようにそうだったのかと感じた方がいたら嬉しく感じます。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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