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風土記とは?主な内容や成立時期、特徴や風土記の丘について詳しく紹介

「風土記って何?具体的に何が書かれているの?」
「誰がいつ書いたもの?」
「古事記や日本書紀とどう違うの?」

本記事を読んでいるあなたはこのような疑問をお持ちではないでしょうか?風土記は奈良時代、朝廷が各国に命じ、それぞれの国の産物や地名由来、伝承などをまとめさせた地誌です。 つまり日本でほぼ初めての各国の郷土史、地理誌でもあり、これを読めばその土地に根付いた古代の人々の生活や息遣いを知ることができる貴重な資料です。

漢文で書かれた風土記
出典:Kiss PRESS

風土記は、各国で作成し朝廷に提出したと考えられていますが、その多くが失われ、現在では常陸、播磨、出雲、豊後、肥前の5か国の風土記のみが残されています。

今回は風土記について、作成された経緯や年代、現存する5か国の風土記の特徴などについて分かりやすく解説していきます。これを読めば、風土記についての理解が深まるはずです。

風土記とは

各国で作られた風土記
出典:コトバンク
制作を命じた年713年
命じた天皇元明天皇
完成時期国によって異なる
内容1.郡郷の名前を
好い字に
して記載
(中国風の漢字2文字の
名前をつける)
2.郡内の銀銅などの鉱物、
動植物、魚、昆虫の目録
3.土地の肥沃の状態
4.山川原野の地名由来
5.古老が伝える古伝承

古風土記の内容を簡単に解説

風土記に登場する兵庫県の玉丘
出典:かさい観光Navi

風土記は713年、元明天皇が各国に対して、その地方の地名由来や産物、土地の肥沃状態、伝承などを調査、報告するように命じて作らせたものです。このように風土記は一冊の書物ではなく、国別にまとめられたものでした。また、風土記という名前も平安時代初期に呼ばれ始めたもので、当初は公式文書である「解」(げ)とされていたようです。

なお、後世にも何度か地方の情勢や地理をまとめた地誌の風土記が作られているため、この奈良時代のものは「古風土記」とも呼ばれています。

この古風土記は律令制下の約60のほとんどの国で作られ、中央に提出されたと考えられますが、原本は残っていません。写本で現在まで伝承されているのは常陸、播磨、出雲、豊後、肥前の5か国分のみ。このうちほぼ完全な形で伝わるのは出雲のみで、ほかの4か国は部分的に残っている状態です。

5か国以外の風土記は散逸しましたが、後世の文献に一部が引用される形で断片的に知ることができます。これを風土記逸文と呼び、30か国以上のものが発見されていますが、本当に風土記の引用かどうか疑わしいものもあるようです。

誰がどのような目的で作ったのか

風土記の制作を命じた元明天皇
出典: Wikipedia

風土記の制作を命じたのは元明天皇です。

当時の日本は701年に大宝律令を制定し、本格的に中央集権の律令国家として歩み始めていました。中央集権国家として地方のことを把握するために、風土記の制作を命じたとみられており、土壌や特産物の記録は徴税に役立てたようです。

中央からの命令を受け、各国では風土記の制作にとりかかりました。制作の流れとしては、トップの国司が中心となって大要を決め、郡司に郡単位の調査を命じ、その報告書を国司がまとめて編纂し朝廷に提出したと考えられています。

ただし現在、編纂者と成立年がはっきりわかっているのは出雲国風土記のみです。しかも出雲では国司ではなく、郡司が主体になって編纂していたようです。

複数の風土記に関与した可能性がある藤原宇合
出典:Wikipedia

また編纂者のキーパーソンの一人に藤原宇合(ふじわらのうまかい)がいます。宇合は藤原不比等(ふじわらのふひと)の子で、彼も含めた藤原4兄弟は中央で政権をリードしていました。風土記の制作と前後して常陸の国司や西海道の節度使(九州の大宰府に赴任)などを経験していることから、彼が常陸、肥前、豊後風土記、さらに他の九州の風土記作成にかかわっていた可能性が指摘されています。

風土記の成立年について

出雲大社の歴史も語る出雲国風土記
出典:出雲大社

風土記の成立時期については諸国で異なっていたようです。出雲国風土記は733年に成立したことがその奥付に記されていますが、そのほかの4か国の風土記の成立年はわかっていません。ただしその記述内容や表記などからおおよその完成時期が推測されています。

播磨国と常陸国の風土記は、行政区分の使い方などから官命を受けて数年後に完成したと考えられています。これに対し、出雲国風土記は官命から約20年たって完成しており、豊後と肥前両風土記も出雲国風土記と前後して作られたと考えられています。

このように成立時期が大きく違うことから、

  • 播磨国と常陸国風土記・・・和銅風土記
  • 出雲国と肥前、豊後風土記・・・天平風土記

と呼んで区別することがあります。

じつはこの2種類には内容に大きな違いがありました。和銅風土記が形式的なものであるのに対し、天平風土記には軍事的要素が加えられ、実用的なものとなっていたのです。

出雲国風土記がなぜ完成まで20年近くもかかったのかは不明です。そのため出雲国風土記は一度提出した後に作り直したものという説も出ました。ただ出雲国風土記は徹底的に調べた形跡があり、調査にかなりの歳月をかけたのかもしれません。さらに出雲風土記は先行する和銅風土記の修正点を踏まえているとされることから、その修正部分も追加したため完成が遅れた可能性もあります。

風土記の特徴と魅力

各地に伝わる天羽衣伝説
出典:Wikipedia

風土記の特徴と魅力は郷土色が豊かな点にあります。風土記は各国で編纂されているため、地方目線で各地域の豊かな伝承や特産品、地名の由来などを紹介しており、古代の地方に住む人々の生活、風習、信仰、文化など日本文化の源流に触れられます。

また、風土記は現代人が親しみをおぼえる内容も盛り込まれています。例えば地名の由来は、今も残る地名のルーツを知ることができます。

さらに風土記には浦島太郎伝説、天羽衣伝説など、現在にも伝わる民話のルーツや伊勢神宮、熱田神宮など神社の縁起も掲載されています。地方発信で具体的な地名とともに記されているため、歴史や伝承がその土地に根付いて伝えられてきたことが実感できるでしょう。

記紀との違い・関わり

国の歴史を記した古事記
出典:Wikipedia

古事記は712年、日本書紀は720年に完成しました。このふたつと風土記は律令国家の取り組みの一環で、著わされたものです。ただし古事記と日本書紀(記紀)が中央でまとめた国家の歴史書であるのに対し、風土記は現地でまとめた地方の地理誌という違いがあります。

中央発信の記紀が日本の時間軸を、現地発信の風土記は日本の空間軸を示しているといえるでしょう。いわば記紀と風土記で日本を立体的に語っているといえます。

ちなみに記紀と風土記には同じ神話や逸話もあれば、風土記にしかないものもあります。面白いことに同じ記事や神話であっても、記紀と風土記では内容が違う場合もあります。

地方の伝承である風土記がより原型に近いとされる一方、逆に風土記の方が記紀を取り入れていると思われる部分もあり、読み比べることで、神話の奥深さを知ることができます。

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