風土記とは?主な内容や成立時期、特徴や風土記の丘について詳しく紹介

風土記の特徴と魅力

各地に伝わる天羽衣伝説
出典:Wikipedia

風土記の特徴と魅力は郷土色が豊かな点にあります。風土記は各国で編纂されているため、地方目線で各地域の豊かな伝承や特産品、地名の由来などを紹介しており、古代の地方に住む人々の生活、風習、信仰、文化など日本文化の源流に触れられます。

また、風土記は現代人が親しみをおぼえる内容も盛り込まれています。例えば地名の由来は、今も残る地名のルーツを知ることができます。

さらに風土記には浦島太郎伝説、天羽衣伝説など、現在にも伝わる民話のルーツや伊勢神宮、熱田神宮など神社の縁起も掲載されています。地方発信で具体的な地名とともに記されているため、歴史や伝承がその土地に根付いて伝えられてきたことが実感できるでしょう。

記紀との違い・関わり

国の歴史を記した古事記
出典:Wikipedia

古事記は712年、日本書紀は720年に完成しました。このふたつと風土記は律令国家の取り組みの一環で、著わされたものです。ただし古事記と日本書紀(記紀)が中央でまとめた国家の歴史書であるのに対し、風土記は現地でまとめた地方の地理誌という違いがあります。

中央発信の記紀が日本の時間軸を、現地発信の風土記は日本の空間軸を示しているといえるでしょう。いわば記紀と風土記で日本を立体的に語っているといえます。

ちなみに記紀と風土記には同じ神話や逸話もあれば、風土記にしかないものもあります。面白いことに同じ記事や神話であっても、記紀と風土記では内容が違う場合もあります。

地方の伝承である風土記がより原型に近いとされる一方、逆に風土記の方が記紀を取り入れていると思われる部分もあり、読み比べることで、神話の奥深さを知ることができます。

現存する5つの風土記

ここからは現存する5つの風土記について、その概要や特徴などを紹介します。

常陸国風土記

大串貝塚ふれあい公園
出典:じゃらん

国名常陸国(現在の茨城県)
成立年715~723年説
編纂者候補718年以前
国司の石川朝臣難波麻呂
719年~723年
国司の藤原宇合
特徴四六駢儷体
(しろくべんれいたい)
と呼ばれる美文体を
用いて文学性が高い。
ヤマトタケルに関する
記述が多い

常陸国風土記は地方行政区分の表記などから715~723年の間に成立したとする説が有力で、国司だった藤原宇合が関わっていた可能性もあります。四言句・六言句を多く使った四六駢儷体が使われており、文学性の高い風土記です。

古事記との関連でいえば、ヤマトタケルが多く登場しています。古事記では東国征討を果たした武勇の皇子ですが、風土記では為政者として常陸国の各地を巡幸し、地名起源説話を残しています。

また、今の水戸市にある大串貝塚の地名と結びつく巨人伝説の話が記載されています。ここに住んでいた巨人は岡の上に座ったまま、海岸の大ハマグリをとって食べていたため、たくさんほじくり出すという意味から大くじり(大櫛)と名づけられたとのこと。この巨人はのちに大多房(おおたぼう)と呼ばれ、関東一帯の巨人伝説・だいだらぼっちと結びついていきました。

播磨国風土記

玉丘古墳群のある玉丘史跡公園
出典:加西市

国名播磨国(現在の兵庫県)
成立年715年前後説が有力
編纂者候補経験のある巨勢朝臣邑治
(こせのあそんおうじ)か
石川朝臣君子
(いしかわのあそんきみこ)
(いずれも国司)、
渡来人の子である楽浪河内
(さざなみのこうち)
もかかわったか
特徴官命に忠実で山川原野の
地名由来、土地の品質などを
詳細に記録

播磨国風土記は地域区分の表記から715年前後に成立したとされ、現存する風土記の中で最古のものと推測されています。また、官命に忠実な内容で、土地の質を9段階に分けて詳細に記載しており、天皇関連の地名起源や朝鮮半島も含めた移住記事が多いのも特徴です。

記紀との関わりでは、幼いころ播磨に隠れ住んでいた仁賢天皇、顕宗天皇兄弟の母との再会など独自の伝承が記されています。2人の皇子が愛した女性のために建てた墓が今の玉丘古墳群とされています。

伝承には国占め神話も多く、朝鮮から来たアメノヒボコとアシハラシコオは各地で国占め競争を展開しました。アメノヒボコが播磨の隣にある但馬の地に黒葛を投げ落としたため、アメノヒボコは但馬に鎮座したといいます。

出雲国風土記

国引き神話のある島根半島
出典:出雲観光ガイド

国名出雲国(現在の島根県)
成立年733年
編纂者出雲臣広島
(郡司にして出雲国造)
監修のもと秋鹿郡
(あきしかこおり)の人、
神宅臣金太理
(みやけのおみかなたり)
が編纂
特徴唯一の完本で軍事的要素が
多く実用的な地理書。
郡司レベルが編纂したため
郷土色豊かな内容

出雲国風土記は、在地の郡司が編纂した郷土色豊かな内容です。天皇巡幸が少ない代わりに、出雲独自の神々が多く登場し、軍事的要素も多く盛り込まれています。

記紀にはない伝承としては、八束水臣津野命(やつかみずおみつの)が隠岐や北陸など他地域から国土を引っ張って島根半島を作りあげた国引き神話が有名です。

出雲大社のオオクニヌシ(オオナモチ)像
出典: Wikipedia

記紀神話との関連でいえば、オオクニヌシが天の神の力に屈して国を譲った記紀神話と異なり、風土記では国造りを終えたオオナモチ(オオクニヌシ)自ら天神の子に国を譲ると申し出て、自分の宮殿として出雲大社を建設したとあります。

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2 COMMENTS

京藤 一葉

> 匿名 さん
嬉しいコメントありがとうございます!
引き続き、よろしくお願いします^^

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