「三億円事件の犯人って誰だったの?」
「三億円事件で迫った犯人像について知りたい!」
「最近話題になった、真犯人白田って本物なの?」
三億円事件とは、1968年12月10日の午前9時20頃に発生した窃盗事件です。東芝の府中工場従業員に支払われるはずだった現金3億円が、白バイ隊員に扮した人物に奪われ、大きな注目を浴びました。大規模な捜査が敷かれ、警察は多くの捜査員を導入しましたが、結果的に犯人を逮捕できないまま時効を迎えています。
犯人は単独犯なのか?複数犯なのか?警察内でも意見が分かれたことが、捜査を混乱させる要因となりました。今回は、三億円事件において警察が描いた犯人像や誤算、招集された推理作家たちのこと。さらに、警察の息子犯人説や真犯人白田の告白について解説します。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
三億円事件の犯人像は?
三億円事件は発生直後、多くの遺留品や目撃証言があったことから、警察は犯人逮捕を楽観視していました。事件から11日後にはモンタージュ写真を公開し、犯人像を特定した警察。逮捕は時間の問題としたのです。
しかし、モンタージュ写真については現在信憑性がないことが証明されており、事件解決を導き出すことはできませんでした。では、警察が考えた犯人像とは、一体どのような姿だったのでしょうか?犯人像や事件解決のために集められた5人の推理作家たちにも触れながら、解説します。
警察が考えた犯人像
警察が考えた犯人像とは、ある1人の少年からはじまっています。警察は当初から、ある1人の容疑者に目をつけてたのですが、その人物こそ現在でも有名な犯人説である警察の息子です。しかし、彼は事件の5日後に自殺し、後に警察は彼を「シロ」であったと判断を下しています。
一般的に、三億円事件の犯人像は単独犯説が有力とされていますが、理由は複数犯であったなら防げたようなミスが目立つからでした。
例えば、犯人は現金輸送車を襲う直前に白バイを模したバイクに乗り換えていますが、その際にかけていたと見られるシートを引きずったまま犯行に及んでいます。複数犯であれば、その不自然さに仲間が気づいたはずなのです。
また、用意周到な計画性から、犯人の学歴について「高卒以上、もしくは大卒」「土地勘がある人物」とされています。
集められた推理作家たちによる考え
事件の裏側で、集められた推理作家たちの存在がありました。1969年10月、三億円事件発生から約10ヶ月が経ったころに警察はある5人の人物を招集しているのです。
面々は、梶山秀之・三好徹・佐野洋・結城昌治・生島治郎。彼らは、ほとんどが直木賞受賞や候補に選出されたほどの著名な推理作家でした。警察は、集めた彼らに対してある脅迫状を提示し、次のように問います。
この文章からどのような犯人像をイメージするか
脅迫状とは、1968年4月以降に連続して起こっていた脅迫事件の証拠です。三億円事件の直前には、現金輸送車を運ぶ役回り予定であった、日本信託銀行の支店長宅にも脅迫状が届いていました。警察は筆跡から2つの事件の犯人を同一人物として特定しており、推理作家たちに犯人像について聞き出そうとしていたのです。
三好徹は、脅迫状について違和感を感じます。公表されていたモンタージュ写真は、どう見ても若者。しかし、脅迫状の文面は言葉遣いや漢字、送り仮名の使い方が古臭く感じたのです。脅迫状を書いた人物は若者でない、実行役と合わせた複数犯なのではないか?複数犯の意見については、その場の作家たちも同意し会議は終了しています。
伝説の刑事の主張は誤算に平塚八兵衛の誤算
三億円事件の捜査を混乱させた要因の1つに、平塚八兵衛の誤算がありました。平塚八兵衛とは、昭和を代表する伝説の刑事です。1963年に発生した「吉展ちゃん事件」を解決に導き、「捜査の神様」と呼ばれています。
平塚八兵衛は、事件当初より犯人像を単独犯であると主張していました。警察内部では複数犯説との意見が分かれ、結果として捜査を混乱させる要因となったのです。
さらに、1969年12月に運転手Kが容疑者として別件逮捕された際、平塚八兵衛はこの情報をマスコミにリークしています。容疑をかけた理由は、Kが事件現場周辺の土地勘に強く筆跡の特徴が似ていたこと、オートバイの運転にも慣れていたという点でした。
マスコミは、Kの顔写真やプロフィールを大々的にスクープとして公表しますが、後に彼はアリバイが証明されて釈放。誤報や冤罪などとして警察は大きなバッシングを受け、捜査を混乱させる結果となったのです。
平塚八兵衛がなぜマスコミへ情報をリークしたのか不明ですが、一時的にも犯罪者として注目を浴びたKは仕事を失い、晩年の2008年に自殺しています。三億円事件は死者を出さなかったものの、影で命を落とした人は複数名いたのです。
警察の息子犯人説
三億円事件の犯人像について語られるとき、最も有名なのは「警察の息子犯人説」です。警察の息子犯人説は、度々メディアで取り上げられ現在でも広く知られています。
しかし、前述した人物は事件からほどなくして自殺しています。そして、彼の自宅から現金が見つからなかったことや、アリバイがあったことなどから、最終的に「シロ」だと判断されているのです。
また有名なモンタージュ写真は、目撃証言を元に作成されたものではなく、ある人物の写真にヘルメットを合成しただけの代物でした。ある人物とは、事件の1年半前に亡くなった工員なのですが、彼は「警察の息子」によく似ているのです。しかし、モンタージュ写真が公開されたのは事件の11日後で、警察の息子が自殺したのは5日後。
なぜ警察はもう亡くなっている2人の写真を公開したかったのか?別の犯人も酷似していたのか?また、警察の息子の自殺自体にも疑問点が多く、現在でも謎が残されています。
真犯人白田の告白
真犯人白田とは、2018年に「自分が犯人である」という告白をした人物です。小説投稿サイトで発表されたのは、「自分が三億円事件の犯人である」「少年Sとの出会いからすべてが始まった」という驚きの内容でした。
投稿は、犯人の息子がしたとされています。「罪を告白したほうがよい」と促され、作成した文書を息子が添削し、投稿したと。
同年に書籍化や漫画化もされており、多くの関心を集めました。事件が起こった府中の警察でも、世間と同様盛り上がりを見せたといいます。しかし、白田が真犯人なのか?本書の内容は真実なのか?本当のことは現在でも不明なままです。
犯人として有力視されていた警察の息子とは?
前述した通り、三億円事件で有名な「警察の息子犯人説」は、後に警察が「シロ」であると確定しています。しかし、現在でもこの説は広く知られ、度々メディアでも取り上げられているのです。
ここまで注目を浴びるのはなぜなのでしょうか?それは、彼が所属していた立川グループが大きく関係しています。警察の息子が容疑者に上がった理由や、その不可解な死について解説しましょう。
窃盗の常習犯
立川グループとは、当時バイクなどの窃盗常習犯として有名だった非行少年たちのグループです。警察の息子(少年S)は、立川グループのリーダー格として君臨していました。
そして、警察は当時19歳だった少年Sに対して事件当初から疑いの目を向け、彼の行動をマークしていたのです。彼が容疑者として疑われたのには、いくつかの状況証拠が理由でした。
まず、少年Sの父親は現役の白バイ隊員であり、白バイに対する知識があったこと。そして、立川グループの仲間が発煙筒を爆発物に見立ててレジを襲う窃盗事件を起こしており、三億円事件との類似点があったことが挙げられました。さらに、少年Sは事件直前に別の現金輸送車を襲う計画を周囲に話しており、警察は彼をマークするに至ったのです。
警察の息子は自殺
警察から容疑者としてマークされていた少年Sですが、彼は事件の5日後に自殺を図り亡くなっています。父親が所有していた青酸カリを煽り、命を断ったのです。
しかし自殺の件について、少年Sの友人たちは否定しています。「彼は自殺を図るような人間ではない」と主張したのです。そして、青酸カリが包まれていた紙には父親の指紋しか残っておらず、不自然な点も指摘されました。
そして彼の死後、警察が彼の自室を家宅捜索した際に強奪された現金は発見されていません。他にも、筆跡や切手から判明した血液型が違うことから、警察は少年Sを「犯人ではない」と結論付けたのです。背後で怪しい行動をとっていた少年Sの知人、ゲイボーイも同時にシロであると判断されました。
真犯人を名乗り出た白田とは?
三億円事件の発生から50年が経った2018年、世間を驚かせる「真犯人白田の告白」が発表されます。ネット上に投稿した白田と名乗る男は、自らが三億円事件の犯人であると告白したのです。
真犯人白田がネットに投稿した告白、それは真実なのか?解説していきます。
ネットに投稿された告白
2018年夏、ネット上の無料小説投稿サイト「小説家になろう」にて、次のような告白文が公表されました。
「私が現金輸送車を奪ったあの日」から、もう五十年が経とうとしているのです。
「府中三億円事件の幕開け――少年Sとの出会い」とタイトル付けされた短編小説には、自身が三億円事件の犯人であるという衝撃の内容が記されています。投稿時の白田の年齢は70歳、事件当時は20歳の若者だったと記しているのです。
そして、同告白には「少年S」との出会いについても触れられています。バイクの運転が得意だったという白田に対し、自分の仲間になってくれと声をかけてきたのが「少年S」だというのです。真犯人の告白として大きな衝撃と注目を集めたこの投稿は、同年12月10日ポプラ社から書籍が、集英社からは漫画が刊行されるまでになりました。
白田の告白は、世間に加えて警察にも大きな驚きを与えています。府中の警察署では盛り上がりを見せ、反応はさまざま。面白がるものや厳しい意見を発する者もいたといいます。
小説か、真実か
ポプラ社からは、「府中三億円事件を計画・実行したのは私です。」というタイトルで書籍が刊行されました。事件が起きた背景に加え、計画や当日の行動についても触れられています。若い男女4人の青春小説の要素も含まれていることから、賛否が分かれる作品です。
信憑性については、現在も議論が続いています。真犯人しか知らないような内容もあれば、辻褄が合わない点も存在し、真偽は不明とされているのです。小説か、真実か、事件から半世紀以上たった今、事件の鍵を握る人物も数少なくなっています。
三億円事件は未解決のまま時効成立
三億円事件は、大規模の捜査も虚しく時効が成立しています。事件当初、犯人の逮捕が楽観視された三億円事件ですが、1975年12月10日に公訴時効を迎えたのです。
さらに、1988年12月10日には民事時効も成立しており、もし現在犯人が判明しても罪に問うことはできません。昭和史を代表する三億円事件は、奪われたお金とともに闇に葬り去られてしまったのです。
三億円事件犯人に関するまとめ
三億円事件は、令和の世でも語り継がれる歴史的な事件です。多くの容疑者が浮上したものの、結局逮捕には至りませんでした。白田についても、告白の真偽は定かではありません。
三億円事件によって、多額の現金を輸送する行為が危険視され、現在の口座振込制度の普及に影響を与えています。さらに、警備会社や防犯カメラが重要視されたのも、三億円事件が大きなきっかけとなっているのです。
三億円事件の犯人は謎のままですが、事件に関わり命を落とした人も複数名います。マスコミや捜査の強引さが招いた結果でもあり、SNSが普及した現在でも、情報の真偽を確かめ行動する必要性が問われています。
今回の記事をきっかけに、三億円事件の犯人像を知り、裏に隠された悲しい事実についても理解して欲しいと願っています。本当の犯人は、今もどこかで生きているのかも知れません。