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三億円事件とは?事件の経緯や真相、犯人像、関連作品まで紹介

「三億円事件の真相が知りたい!」
「犯人は誰だったのか?」
「三億円事件は世の中にどんな影響を与えたのか?」

日本犯罪史上もっとも有名な事件のひとつ「三億円事件」。被害額が当時の貨幣価値にして約20億円にも上った現金強奪事件に世間は騒然となりました。小説や漫画、映画など様々な作品のモチーフとなり、事件発生から50年以上経った現在でもよく知られています。

さらに三億円事件は現金の運搬に大きな影響を与え、現金輸送の危険性を広めたことで銀行振り込みの普及に大きな貢献を果たしました。

この記事では三億円事件が起こった経緯と犯人像、事件が与えた影響やモチーフに使用された作品を紹介します。

三億円事件とはなんだったのか?

事件の概要

三億円事件の新聞記事

1968年12月10日に東京都府中市の路上で3億円が奪われた窃盗事件です。のちに発生した「有楽町三億円事件」「練馬三億円事件」と区別するため「府中三億円事件」とも呼ばれています。現金輸送車に積まれていた3億円は、東京芝浦電気(現・東芝)の府中工場に勤める従業員たちのボーナスでした。

犯人は白バイに乗る警察官に変装し現金輸送車を停止させると、車にダイナマイトが仕掛けられていると銀行員たちを騙しました。彼らに避難するよう指示し、その隙に現金輸送車に乗り込み走り去ってしまいます。

東芝・府中事業所

犯行時間わずか3分という鮮やかな犯行でしたが、犯行現場に残された遺留品は120点もあり犯人はすぐ捕まるだろうと思われていました。しかし、そのどれもが犯人につながる証拠とはならず、結局警察は犯人を特定することが出来ませんでした。

1975年に公訴時効、1988年に民事時効が成立し未解決事件となりました。

時代背景

1964年の東京オリンピック

三億円事件が起こった1968年は東京オリンピックから4年が経ち、日本は目覚ましい好景気に沸き立っていました。この年、日本のGNP(国民総生産)は西ドイツを抜いて、アメリカに次ぐ世界第2位に浮上しています。

1968年3月にはテレビアニメ「巨人の星」が放送を開始し、7月には集英社から「少年ジャンプ」の創刊号が発売されました。また作家の川端康成がこの年の10月に、日本人として初めてのノーベル文学賞を受賞しています。

ロバート・ケネディ

アメリカでは6月5日にケネディ大統領の弟であるロバート・ケネディ上院議員が、兄と同じく銃撃され暗殺されました。

当時の貨幣価値

当時の貨幣価値(イメージ)

1968年当時、大卒の初任給が約3万600円であり2020年の約20万9014円と比べると、貨幣価値は約6倍になっている計算になります。また1968年は宝くじの1等が初めて1000万円になった年でもありました。

現金強奪事件での被害最高額は1965年9月に青森銀行弘前支店前で起こったひったくりで3100万円の被害でしたが、三億円事件が塗り替え当時の最高金額となりました。現在の貨幣価値で換算すると約20億円にも上る被害額です。

その後、2011年東京都立川市で起こった立川6億円強奪事件がその記録を抜きましたが、貨幣価値から見た被害額では未だ三億円事件に勝る事件は起こっていません。

犯人像の推測

立川グループ

多摩地区立川市

多摩地区の不良少年グループのひとつ。当時の警察が多摩地区の不良少年たちのコミュニティをいくつかに分けて、各地区の名前で呼び表していたものです。

50~60人のグループだったと言いますが組織として確立されていたわけではなく、その都度グループのうち数人が集まっては非行を繰り返していました。

少年S

父親が白バイ隊員

立川グループのリーダー格だった少年で、事件当時は19歳でした。

警視庁は事件直後からこの少年Sを容疑者としてマークし始めます。その理由として少年Sがオートバイの高い運転技術を持ち、機械にも強かったことがあげられます。

三億円事件に使用された偽白バイの盗難方法がバイクの構造を熟知した人間の手口であり、かつ立川グループの手口と同じでした。また少年Sの父親は府中管内の第八方面交通機動隊に所属する現役の白バイ隊員だったため、警官の制服や白バイに関する情報を手に入れることも容易でした。

しかし少年の自宅の家宅捜索を行うも物証は発見出来ず、前もって送られていた脅迫状の筆跡とも一致しませんでした。そんな中、事件発生から5日後の1968年12月15日に、父親がイタチ退治のため所持していた青酸カリを飲んで自殺してしまいます。

青酸カリこと「シアン化カリウム」

結局警察は少年Sを「シロ」と断定し捜査を打ち切りました。警察官の息子が容疑者となり自殺してしまったというインパクトのためか、ドラマや小説ではこの説が多く取り上げられ「警官の息子犯人説」は未だに根強く指示されています。

少年Z

バイク2台、車5台を盗難

共犯者として事件時効直前に逮捕され事情聴取された人物です。少年Sと同じく立川グループのひとりで、事件後に車を購入するなど急に羽振りが良くなったことが疑われた原因とされています。

三億円事件の犯行にはバイク2台、車5台の少なくとも7台の盗難車が使われたとされています。いくら何でも少年Sひとりで7台もの車両を盗むのはリスクが高すぎることから、複数犯の可能性が示唆されていました。

結局、脅迫状の切手から採取された血液型と少年Zの血液型が一致しなかったこと、筆跡が一致しなかった事から釈放されています。

ゲイボーイ

ゲイボーイの自宅があった新宿

少年Sが親しくしていたゲイボーイで当時26歳。

親族以外で少年Sの事件当日のアリバイを主張した唯一の人物で、事件が起こる2、3日前から新宿にある自宅で一緒に過ごしていたと証言しています。しかしその証言には曖昧なところも多く、少年Sを庇っているのではと疑いを深めることになりました。

さらに、事件の1年後には海外に移住してゲイバーを開店し、帰国後には複数の高級マンションを購入、7年後には実家に豪邸を建てたりなどの不審なお金の動きがより一層疑いを深めました。本人は海外にパトロンが出来たと述べていますが、三億円事件の見返りがあったのではと見られています。

しかし警察は捜査を進めた結果、ゲイボーイは「シロ」だと断定しました。

府中市の運転手

疑いが張れ釈放を伝える新聞記事

事件前に銀行などに届いた脅迫状を再調査していた警察は、府中市に住む元運転手に疑いの目を向けていました。タイプライターを使用する技術があること、モンタージュ写真と酷似していたことから捜査線上に浮かびましたが、筆跡が一致せず金回りに不審な点が無いことから警察も慎重かつ極秘に捜査を進めていました。

タイプライター

そんな中1968年12月12日付けの毎日新聞朝刊に、匿名ではあるものの容疑者の存在がスクープされてしまいます。証拠隠滅を恐れた警察は元運転手を別の脅迫事件で別件逮捕し身柄を拘束しました。逮捕を受けて翌日の朝刊でマスコミは大々的に元運転手の実名と顔写真を報道をしています。

その報道を見た日本橋にある貿易会社から、元運転手は犯行時間に採用試験の面接に訪れていたとアリバイを証明する連絡が入ります。これを受け警察は元運転手を釈放、マスコミも警察の誤認逮捕を批判するような記事に変わっていきました。

しかしその後も続いた執拗なマスコミの取材と屈辱的な扱い、一度貼られた「三億円事件重要参考人」というレッテルによる世間からの冷たい視線が原因で元運転手は精神を病んでしまいます。2008年9月、沖縄県那覇市にある民宿の5階から身を投げ自らの命を絶ってしまいました。

日野市三兄弟

日野市にある金剛寺

多摩地域の南部に位置する日野市に住んでいた3兄弟で、事件当時は31歳・29歳・26歳でした。

ガレージにもなる程の大きな物置を所有していたのでバイクの改造が容易だったこと、次男がオートバイが好きな不良だったこと、事件直前に発煙筒付きの車を購入していたことなどから捜査線上に浮かびました。

しかし、事件後に借金をしていたことが判明し三億円事件の犯人とは考えにくく、事件との繋がりも証明できなかったため捜査は打ち切られました。

不動産会社社員

アリバイを証明することになった非常検問

東芝府中で勤務する姉を持ち、モンタージュ写真にも酷似していたことから捜査線上に浮かんだ人物です。事件前には金に困っていたにもかかわらず事件後に金回りがよくなったことも怪しいとされました。

しかし事件当日に車で東京から横浜に向かっている途中で非常検問に引っかかっていたことが判明し、アリバイが証明されました。さらに金回りがよくなったことについては不動産売買によるものと判明し、容疑者から外されました。

会社役員

現金輸送車と警備員

三億円事件の13年前の1955年に現金輸送車を襲撃した罪で逮捕されたことがある人物で、この時の事件を起こした際の発想や計画が三億円事件と似ていたことから疑いが強まりました。服役後、刑務所の中で知り合った友人に「もっと大きなことをやる」とも豪語していました。

三億円事件後に羽振りが良くなったなど怪しい点が見られましたが、金回りに関しては不動産会社から合法的に支援を受けていたことが判明し捜査は終了しました。

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