尾崎豊の死因とは?覚醒剤が原因?謎の多い彼の死と経緯について徹底解説!

「尾崎豊さんの死因はなに?」
「尾崎豊さんの死の真相が知りたい!」

本記事を読んでいるあなたは、このような疑問を持っているのではないでしょうか?尾崎豊さんは、1992年4月25日に26歳という若さで亡くなりました。公式では薬物の大量摂取による肺水腫が原因とされていますが、不可解な点がいくつかあり、世間ではなんらかの事件に巻き込まれたのではないかと囁かれました。

今回は、謎の多い尾崎豊の死因について掘り下げていきます。亡くなるまでの経緯や公式での発表、不可解な点、死因に関するさまざまな説を紹介しますので、ぜひ最後までご覧ください。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

尾崎豊の死因とは

公式の発表は「肺水腫」による死

肺水腫は病気ではない

尾崎豊さんの死因は、公式の発表によると「肺水腫」となっています。肺水腫とは、肺に水が溜まった状態のことです。肺から酸素を取り込めなくなり、ひどいときには呼吸困難に陥ります。

肺水腫は心不全や重症化した肺炎・外傷、高山病、敗血症が原因でなることの多い症状です。また、薬物や肺の毛細血管の損傷も原因となります。尾崎さんの場合は発見された当時、全身が傷だらけだったため、重症外傷による心不全や肺の毛細血管の損傷、薬物が原因と考えられています。

肺水腫になったのは大量の覚醒剤服用が原因?

覚醒剤を大量に摂取していた

現在、公式では尾崎さんの死因は、覚醒剤を大量に服用したことによるメタンフェタミン中毒が肺水腫を引き起こしたとされています。内臓の状態から、覚醒剤を口から摂取したことがわかっています。

大量に服用した理由についてはわかっていませんが、尾崎さんは死の直前、妻の繁美さんに心中を迫っていたそうです。遺書も見つかっており、精神的に相当追い詰められていたのは間違いないでしょう。

とはいえ、尾崎豊さんの死には多くの謎が残されており、今でもその真相は明らかになっていません。

テレビ番組『アウトデラックス』で尾崎豊の死因を知る男性が登場?

アウトデラックスはバラエティ番組

不可解な死を遂げ、今も明らかにされていない尾崎さんの死因ですが、2019年2月21日にテレビ番組『アウトデラックス』で、彼の死の真相を知っているという男性が現れました。

その男性は、お笑い芸人はなわの弟・慶さんです。彼は子どもの頃から「勘」、いわゆる霊感のようなものが強かったそうです。保育園の先生が退職することを予言したり、無くしたものがどこにあるかなど、何かが降りてきてなんとなくわかると番組では答えていました。

尾崎豊さんについては、10年ほど前から彼の霊が降りてくるそうです。実際に尾崎さんの親友の名前や夫婦しか知らない呼び方で繁美さんを呼んだりといったエピソードもあります。

慶さんが語る尾崎豊さんの死因は、話をまとめると脳梗塞と思われます。視点を尾崎さんに置いているため医学的な死因はわかりませんが、状況的に脳梗塞の可能性が高いでしょう。とはいえ、慶さんはこの話をする前にあくまで「勘」と前置きしているため、信じるか信じないかはあなた次第です。

死に至るまでの経緯

事件当日、尾崎さんの足取りが不明の時間帯がある
出典:アメーバブログ

尾崎豊さんの死の謎について触れる前に、彼が亡くなるまでの経緯をおさらいしてみましょう。

亡くなる前日、尾崎さんは後楽園の近くで妻・繁美さんとともにパーティーに出席していました。21時30分ごろにパーティが終了。尾崎さんはホテルの喫茶店へ向かいました。喫茶店で旧友と再会した尾崎さんは、繁美さんと別れ、旧友たちと芝浦のバーへと繰り出します。

バーで大量の日本酒をあおった尾崎さんは酔っ払い、いつもの酒癖の悪さから店員に殴りかかってしまいました。その後、1992年4月25日午前1時30分ごろ、尾崎さんはバーを出て、タクシーに乗り込んでいます。

酔いは醒めておらず、尾崎さんはタクシーの運転手にも暴行を働きました。結果、午前2時40分ごろ、タクシーの運転手は千住橋の警察署へ駆け込みます。そこで尾崎さんは運転手に謝罪し、料金を支払ったのち、警察署を出ました。

ここから1時間ほどの尾崎さんの足取りは不明です。詳細な時間は不明ですが、全裸で発見されるまでの間、民家の庭先でブロック塀に頭突きをしている不審な男の目撃情報があります。おそらく、この男が尾崎さんと考えられています。

覚醒剤をいつ摂取したかは不明

同日の午前5時ごろ、尾崎さんは自宅から500mほど離れた民家の軒先で、住人に発見されます。発見当時、尾崎さんは服を着ておらず、傷だらけ。まるで人から暴行を受けたような有様で倒れていました。

同日の午前5時45分ごろに尾崎さんは最寄りの病院へ搬送されます。連絡を受けた繁美さんが病室でたどり着くと、尾崎さんは覚醒剤を摂取していた頃と同じ仕草をしていました。繁美さんは彼に、覚醒剤をやったのか尋ねると、尾崎さんはやっていないと答え、これは鎮痛剤のせいだと言いました。

病院側は「脈も体温も正常です」とだけ答えたそうです。そのため、繁美さんは尾崎さんと共に午前7時ごろ自宅へ帰りました。尾崎さんは帰ってからソファに転がり、しばらく暴れていたそうです。

3時間ほどすると眠りについたので、家族はそのまま寝かせていましたが、容体が急変。午前11時、呼吸が止まっていることに気づいた家族が慌てて救急車を呼びましたが、12時6分に死亡が確認されました。

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