尾崎豊の死の謎
ここまで、公に発表されている内容をお伝えしました。ここからは、尾崎豊さんの死に関する謎とさまざまな説を合わせて次の5つを紹介します。
- 公式の発表と死体検案書の食い違い
- 全身のすり傷と打撲傷
- 持ち上がった妻の謀殺説
- 創価学会のメンバーによる殺害説
- 自殺説
公式の発表と死体検案書の食い違い
公式の発表では、尾崎豊さんの死因は覚醒剤の大量摂取による肺水腫とお伝えしました。ですが、当初の報道では覚醒剤中毒という事実は伏せられていたのです。
全身が傷だらけで、右目の上にひどい外傷があったことから司法解剖が行われた結果、死因は肺水腫と発表されました。当初は前日に飲酒をしていたことから、アルコールによるものと考えられていましたがその2年後、死体検案書のコピーがマスコミに流出。
肺水腫の原因が覚醒剤中毒であったことが明らかになりました。さらに内臓に覚醒剤を経口摂取したとみられるあとがあり、尾崎さんの死因について他殺説を中心にさまざまな憶測が囁かれました。
全身のすり傷と打撲傷
発見当初、尾崎さんの全身には多くの傷がありました。そのため、亡くなった直後は暴行された可能性も上がりました。警察の捜査や司法解剖の結果から事件性はないとのことでしたが、この事実は他殺説を後押ししています。
とはいえ、警察や検死をした医師など各所から事件性は否定されています。警察の調査によれば、尾崎さんは亡くなった当日、転倒したり暴れたりしていました。さらに検死を行った支倉さんの著書によると、全身の傷は外部から加えられたものではないと結論づけられています。
持ち上がった妻の謀殺説
1994年、テレビ朝日は流出した「死体検案書」のコピーと取材した内容を元に、妻と知人が覚醒剤を飲ませて尾崎さんを殺したとする説を主張しました。ですが、妻の繁美さんがテレビ朝日を相手に訴訟を起こし、裁判で勝訴。
尾崎さんの死に繁美さんは関わっていないと判断されました。とはいえ、繁美さんの謀殺説はたびたび上がっています。その理由として以下の2つがあげられます。
- 暴力団関係者である匿名男性の証言
- 斉藤由貴との不倫
暴力団関係者である匿名男性の証言
一度は否定された繁美さんによる謀殺説。ですが、尾崎さんの死から15年後、暴力団関係者である匿名男性から新しい証言が飛び出しました。
匿名男性の証言によると尾崎さんが死亡した4月25日、彼は素面の尾崎さんに覚醒剤入りの酒を飲ませ、前後不覚の状態にして複数人で暴行を加えたそうです。この証言は覚醒剤を経口摂取していたという事実と重なり、一定の説得力がありました。
では暴行した理由はというと、男性は「それについては言えない」と口を閉じてしまいました。これがきっかけとなり、繁美さんによる謀殺説が浮上。しかし、証言が真実であるとは言えず、彼女の謀殺説を主張した記者は繁美さんに訴えられ敗訴しました。
斉藤由貴との不倫
繁美さんの謀殺説が上がった理由として、尾崎さんと斉藤由貴さんが不倫関係だったこともあります。1990年、尾崎さんは当時アイドルだった斉藤由貴さんと不倫旅行をしていたことがフライデーで報道されました。
これがきっかけとなり、夫婦仲はあまりよくなかったようです。さらにその後、尾崎さんの父の方から、繁美さんに離婚を願っていたという話も。結局、尾崎さんと斉藤さんは別れるのですが、その後も夫婦関係は冷え込んでおり、尾崎さんが死ぬ間際は別居しています。
また、尾崎さんの死後、繁美さんと尾崎さんの父は彼の財産を巡り裁判で闘ったという話もあります。そのため、遺産目当てで繁美さんは尾崎さんを謀殺したのではないかと噂されました。
以上の理由から、繁美さんの謀殺説が持ち上がりました。匿名男性による尾崎さん集団リンチ告白がされ、ネットでは騒ぎになりました。
巨大掲示板「2ちゃんねる」では、実行犯を名乗る人物が出現し、繁美さんが遺産を手に入れるため、警察の調査を妨害したという書き込みもされました。公には繁美さんの謀殺説は否定されていますが、いまだにファンの間で信じる人もいます。
そのため、尾崎さんの死後、繁美さんはいわれのない誹謗中傷から身を守るため子どもと共にアメリカへ移住しました。
創価学会のメンバーによる殺害説
尾崎さんと繁美さんは創価学会の会員でした。創価学会とは、日本の宗教法人です。会員でしたが、亡くなる5ヶ月ほど前の1991年11月に尾崎さんは脱会しています。
創価学会は脱会した信者に対し、ひどい嫌がらせをするという噂がありました。そのため、世間では創価学会のメンバーにより殺害されたのではないかという説が持ち上がりました。
雑誌の記事にも依頼されたと思われる暴力団関係者の言葉が掲載されましたが、真偽が怪しく、今ではほとんど話題に上がらない説です。