日露戦争が終戦した時の状況は?
何とか勝利を収めた日本でしたが、終戦するまでも紆余曲折がありました。終戦後の状況はどうだったのか?見ていきます。
ポーツマス条約により終戦
1905年に講和交渉をアメリカのポーツマスで行われました。そのため「ポーツマス条約」と呼ばれています。日本側の交渉には小村寿太郎、ロシア側にはセルゲイ・ウィッテが望みました。内容は、
- ロシアは日本が韓国を指導・監督することを認めること
- ロシアが清国から借りていた旅順や大連などの鉄道利権を日本に譲渡すること
- ロシアはサハリン(樺太)の南側を日本に譲渡すること
- ロシアは北方での日本の漁業権を認めること
です。話し合いは、相次ぐ敗戦で疲弊していたロシアですが、まだ余力が残っていたために強気な姿勢で交渉。結局日本が「賠償金を支払わなくてよい」ということで何とか話がまとまっています。
勝利により日本の安全は確保された
賠償金がもらえなかったものの、日本の当初の目的である「朝鮮半島をロシアの支配から守る」という目的は果たすことができました。もしこの時、日本が負けていれば最悪の場合、いずれは朝鮮半島をロシアに占領され、日本も占領されていたかもしれません。日本は「亡国の危機」を回避することができたのです。
日露戦争の影響は?
世界中が「ロシアが勝つ」と思っていた戦争で、極東の島国である日本が勝利したことは、世界中に衝撃が走りました。ここでは日露戦争による影響を説明します。
世界への影響
「有色人種」も白人国家に勝てると驚かせた
日露戦争の勝利により、世界中に「有色人種でも白人国家に勝てる」ということを知らしめることとなりました。世界を支配していたイギリス・フランス・ロシアなど全て「白人国家」でした。それらの国の植民地となるのは、有色人種の国であり「白人は有色人種よりも優れている」という価値観が、列強諸国を中心にあったのです。
それが日本の勝利に触発されて、白人国家に支配されていたアフリカやアジアの植民地国家が、勇気づけられ独立運動が盛んになるきっかけとなったのです。現在「親日国」として知られる国は、日露戦争の影響からといわれています。長年ロシアに苦しめられていたトルコやフィンランドは、「トーゴー」という名前がついたビールや道路が建設されました。
第一次世界大戦へと繋がっていった
日露戦争は、第一次世界大戦の遠因ともなりました。ロシアが南に南下していたのは、「凍らない港」を手に入れるためでした。そのために最初に、トルコ方面を攻めるも挫折、そして日露戦争とイギリスの反発も相まって諦めています。
その後ロシアがターゲットにしたのが、バルカン半島でした。そのためバルカン半島では民族の紛争が絶えない状況になっていきました。そのため1914年にセルビア国内でオーストリア皇位継承者が暗殺される「サラエボ事件」がおき、第一次世界大戦へと繋がっていきました。
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日本への影響
アジアへの進出が進んでいった
日本は日露戦争の勝利により、列強国の一員として認められることとなりました。日本で唯一「列強国」になった日本は、1910年には朝鮮半島を日本統治下におく「韓国併合」し、以後他の列強国と同じように領土拡大政策を取るようになっていきます。
また、満州でも鉄道経営を本格化。鉄道沿線の炭鉱の開発が盛んになっていきました。しかし日本がアジアで勢力を伸ばし始めると、アジアの門戸解放を求めていたアメリカの孤立を招く結果ともなってしまいました。それからアメリカは日本に対する友好感情が薄れて、アメリカへ移民した日本人の排斥運動が始まることとなりました。
重税による国民の不満が爆発
ロシアから賠償金をもらえなかったことに、「戦争に勝つために重税を我慢していた」国民の怒りが爆発します。そうして起こったのが「日比谷焼き討ち事件」です。
これは講和条約反対派の人が日比谷公園に集まり署名していたら、警官が日比谷公園を封鎖。すると穏やかだった集団は怒りで暴徒化、数万人の人が参加する事態となりました。この騒動で、交番・政府に好意的な新聞社・首相官邸にまで火が放たれ、仲裁に入ったアメリカも憎しみの対象となり、アメリカ人の牧師が襲われたりもしています。
日露戦争の簡単年表
1895年~1903年:ロシアがアジアへの進出を強め始める
- 1895年:三国干渉により日本は遼東半島を返還する
- 1898年:ロシアは旅順・大連を租借し、太平洋艦隊の基地を作る
- 1900年:義和団事件が起こり、ロシアは満州へ侵攻し支配下に置く
- 1902年:日本とイギリスの間で「日英同盟」を結ぶ
- 1903年:ロシアが朝鮮の龍眼浦に軍事拠点を築き始める
- 同年:日露交渉が始まる
1904年:交渉決裂し、日露戦争開戦する
- 2月6日:交渉決裂により国交拒絶をロシアに通知
- 2月10日:日本がロシア帝国に宣戦布告する
- 2~5月:旅順港閉塞作戦を行う
- 5月26日:南山の戦いが起こり翌日南山を占拠する
- 8月19日:旅順攻撃を開始
1905年:日本が勝利に終わる
- 1月1日:旅順要塞を完全に日本軍が制圧する
- 1月9日:ロシアで「血の日曜日事件」が起こりロシア国内で情勢不安に
- 2月21日:奉天会戦を行う
- 3月10日:日本軍、奉天を制圧する
- 5月27日:日本海海戦で圧勝
- 9月4日:ポーツマス条約が結ばれ終戦
日露戦争を扱った作品
【極!合本シリーズ】 日露戦争物語1巻
日露戦争の漫画で有名な作品です。明治時代初期から始まり、時代が下っていきます。「坂の上の雲」の世界観に似た、昔の気骨がある日本人像が描かれています。ただし、この作品は日清戦争までで日露戦争は描かれていません。面白い漫画なのですが、日露戦争の漫画が読みたい人はタイトルと中身が違うので驚く作品です。
日露戦争史 – 20世紀最初の大国間戦争 (中公新書)
日露戦争の本の中でも、単なる「戦記」ではなく社会情勢などの視点などからも描かれているので、とにかく「日露戦争」を歴史として知りたいという人におすすめです。中立的な視線で書かれているので、ロシア側の事情も書かれていたりする本です。
日露戦争に関するまとめ
いかがでしたでしょうか?今回筆者は日露戦争を執筆する機会を頂き、戦争の経緯や戦闘内容など幅広く紹介していきましたが、物語を読むような感覚での執筆でした。
あまり詳しく習わないし、太平洋戦争ほど見る機会の少ない日露戦争ですが、先人たちの多くの犠牲の上でも一生懸命明治を生きようとする日本人の姿が見えるようでした。この記事を読んで、昔「日露戦争」があり、どんな戦争だったのかを少しでも知って頂けたら嬉しく感じます。最後までお読みいただきありがとうございました。
分非常に分かりやすかったです!助かりました!
とても分かりやすく,勉強にとても役立ちました。
ありがとうございます。
歴史的背景など非常にピンポイントで要点が分かったので助かりました!
大変楽しく読ませていただきました。
ポイントが丁寧におさえてあり、とても分かりやすかったです。