朝鮮戦争とは?原因や参加国、日本への影響などを分かりやすく解説

朝鮮戦争が起きるまでの背景

朝鮮半島の分断が朝鮮戦争へと続いていく
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アメリカが朝鮮半島の南北分割を提案した

1945年4月に就任したばかりの米大統領・ハリー・S・トルーマンは反共主義だった
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第2次世界大戦終結後、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4カ国が朝鮮半島を信託統治(国連の信託を受けた国が、独立していない国を治め、秩序ある状態にすること)すると決定していました。

ところが1945年8月、ソ連は日本との戦闘のために満州国に侵攻、さらには当時日本領だった朝鮮の清津市に上陸しました。この状態に、半社会主義の傾向が強かったアメリカは朝鮮半島全土がソ連に掌握されるのではないかと恐れます。

そこでアメリカはソ連に朝鮮半島の南北分割占領を提案、これをソ連が了承したために、北緯38度線から北をソ連、南をアメリカが占領することになりました。アメリカの恐れが南北を分断、そして戦争への道を進めたと言えるでしょう。

第2次世界大戦終結で政情が不安定に

日本の統治が終わっても、半島に平安は訪れなかった

1910年から1945年まで朝鮮半島は日本による統治を受けていましたが、第2次世界大戦の終結で終了しました。統治が終わると朝鮮半島は混乱に陥ります。

朝鮮半島が混乱した原因は日本の軍・政府・警察が撤退したためです。日本企業も撤退したため、経済面ではインフレが進行し、失業者が急増、半島南部では日本の後を引き継いだアメリカ軍政権に批判が集まりました。

アメリカ軍に抗議する人々は各地で暴動を起こしました。中でも1946年に起こった「大邸10月事件」には230万人が参加して大きな騒ぎとなりました。

後に韓国政府を作る韓国民主党とアメリカは武力で暴動を抑えようとしたために、半島南部ではアメリカへの不信の念が一層高まりました。

反米思想が戦争勃発へとつながった

1948年、現在の韓国麗水市でデモを鎮圧する政府に軍隊が叛乱を起こした
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アメリカ軍は混乱の責任は共産主義者にあるとし、彼らは北朝鮮に逃れて行くことになりました。対立が激化する中、北朝鮮の金日成は半島南部との決裂を覚悟します。

その現れとして、彼は南への送電を中止しますが、半島南部では共産主義を排斥した選挙が行われ、正式な国家・後の大韓民国が樹立することが決定します。

さらに共産主義者が起こしたデモに警察が発砲、一般市民の命が犠牲になる事件も起きました。朝鮮半島での北と南、社会主義と自由主義の対立は決定的となり、朝鮮戦争の勃発へとつながって行きました。

北朝鮮は戦いに有利な状態だった

韓国軍の航空機は22機、北朝鮮は211機を所有
写真は北朝鮮の戦闘機イリューシンIl-10
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朝鮮戦争の直前、軍事的に有利だったのは北朝鮮です。韓国はアメリカとの軍事協定で重装備はまったくない状態だった上、独立以来、北朝鮮からのゲリラ攻撃で訓練も不足していました。

北朝鮮は充実した軍備、豊富な人員に加えて、ソ連や中国から実戦経験のある兵士が補充されました。さらに1分間に投射できる弾の量、主力砲の射程のどちらも圧倒的に優れていました。そして当時の発電は北朝鮮に頼るところが多かったため、韓国への送電を止めることもできました。

北朝鮮がソ連の援助を受けてアメリカを半島から追放できると考えても不思議ではなかったのです。

朝鮮戦争に関わった主要人物

北朝鮮の中心人物・金日成

公式肖像画
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ソ連の支援を受けて北朝鮮の指導者になった金日成。1948年にアメリカの支援で朝鮮半島南部に大韓民国が成立したため、北部には朝鮮民主主義人民共和国が誕生し、金日成は首相に就任しました。

現在では、朝鮮戦争は彼による綿密に計画された侵略だったことが明らかになっています。金日成が朝鮮半島を統一できなかった理由は、侵攻した地域で民衆を虐殺、粛清したため、民衆の指示が得られなかったからと言われています。

朝鮮戦争で退任?ダグラス・マッカーサー

コーンパイプが印象的
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アメリカの軍人であったダグラス・マッカーサー。日本では連合軍最高司令官として有名です。朝鮮戦争のときには、国連軍総司令官を務め、仁川上陸作戦を発案しました。

朝鮮戦争では北朝鮮に有利な状況が続き、韓国軍・アメリカ軍は朝鮮半島の東南端の都市・釜山に追い詰められていました。そこでマッカーサーはソウル近郊の仁川に奇襲上陸して、北朝鮮の補給路を絶ち、同時に釜山の軍勢を前進させて、南北から北朝鮮を挟み撃ちにしようとしました。これが仁川上陸作戦です。

この作戦は成功して、国連軍はソウルを奪還しました。それまで劣勢だった国連軍が勢いに乗ったと思われましたが、マッカーサーは中国が参戦することを予測できず、この後国連軍は窮地に立たされます。当時彼は70代、これがきっかけとなり、退役することになります。

ソ連の代わりを務めた中国の毛沢東

現在も大きな影響力を持つ毛沢東
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朝鮮戦争当時、ソ連はアメリカを刺激することを恐れ、表立った支援の代わりに、中国に北朝鮮を支援させようとします。中国は長年の内戦で疲弊していましたが、指導者だった毛沢東は人民解放軍を義勇兵(義勇兵は自発的に参加する兵士のため、アメリカに責任逃れができる)として送ることを決定します。

それは100万人規模の大掛かりなもので、アメリカを大いに苦しめ、ダグラス・マッカーサーの運命を変えてしまいます。そして、この参戦により、毛沢東の威信が高まり、後の独裁政治へとつながっていきました。

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