2.自衛隊は武士道精神を保持すべきである
上記であげたように、三島は国を守るために日本も軍隊を持つべきだと考えていました。その解決案として、彼は「日本国軍」の創設を提唱しています。
というのも、三島は仮に日本防衛の際に外国の軍事力を借りるとしても、外国の軍隊は他国の伝統・文化によって成り立っている国家のありようを守ってくれるわけではないと考えていたからです。また、三島は現状では自衛隊の最高指揮権は日本の内閣総理大臣ではなく、最終的にアメリカの大統領が持っているのではないかという疑惑がありました。
そのため、三島は解決案として自衛隊二分論を唱えています。自衛隊二分論は簡単に言うと、「国際向けの軍隊」と「日本そのものを守る軍隊」とに自衛隊を分けようというものです。
「国際向けの軍隊」は外国からの侵略に備えることを目的としている軍です。この軍は安保条約の集団安全保障体制に従うものです。
対して「日本そのものを守る軍隊」とは、いかなる外国とも軍事条約を結ばない絶対自立の軍隊です。主に、内部から国の安全を崩そうとする脅威から日本を守ることを目的としている軍隊で、警察によって治安を維持できない際にも出動します。
また、この軍隊には多数の有志による民兵も含まれると三島は付け加えています。さらに三島は天皇陛下による諸々の儀式を復活させるべきであるとしています。たとえば、軍旗の直接下賜や自衛隊の儀仗の献上、自衛隊員への勲章の授与などです。
というのも、三島は自衛隊が単なる軍人や官僚化に陥らないために武士道精神を復活し保持しなければならないと考えていたからです。さらに軍人に自己犠牲の精神がかけたとき、自衛隊は軍国主義(国家の政策や組織を戦争に役立つように操作し、戦争で国力を高めようとすること)に陥ってしまうと言っています。
再び戦争を起こさないためにも、三島は自衛隊は武士道精神を持つべきだと説きました。そして、そのために天皇と軍隊を栄誉という絆でつなぐことが重要であると考えたのです。
3.日米安保は本質的に日本の問題ではない
ここまで聞くと三島は日米安保について否定的な意見を持っているように思えます。ですが、三島は日米安保については、本質的に日本の問題ではないような気がすると述べています。
というのも、日本は本質的に自主性を選べない状況にあると言っています。日米安保について賛成か反対か、という問いは言い換えればアメリカと中国共産党のどちらを選ぶのかという話になってしまうと三島は結論づけました。
4.天皇は日本文化の象徴
三島の思想で重要な要素の一つが天皇です。三島は、日本と海外を比べたとき、日本を区別する最終的な指標は天皇のみであると考えています。
天皇とは、日本の歴史を紡いできた文化や祖先崇拝の象徴であるとし、「神道の祭祀」を国事行為として行い、「神聖」と最終的に繋がっている存在であると三島は言っています。そして、天皇は自らの神聖を回復するべきであるという義務を国民に対して負っていると続けました。
要するに日本の文化にとって、天皇は重要な存在であると三島は言っているのです。
また、三島は戦後の日本社会は国際的・経済的なことを重視するあまり日本独自の伝統や文化、歴史がないがしろになっていると指摘しました。そして、日本の文化の中心であり祭祀国家の長である天皇は国と民族をつなげる象徴であるとし、「文化概念としての天皇」という理念を説いています。
ここまで聞くと天皇という存在に肯定的な三島ですが、彼の言う天皇とはいわゆる「神」としての天皇です。そのため、昭和天皇個人に対しては反感のようなものを持っていました。
というのも戦後の政策により、天皇人間化という行為が行われたからです。「国民に親しまれる天皇制」という大衆社会化を追う形で行われたイメージ作りにより、天皇の権威は堕ちてしまったと三島は嘆き、厳しい態度を取りました。
この三島の態度に作家の井上光晴は「三島さんは俺よりも天皇に過酷なんだね」と言っており、これに対して三島は「天皇に過酷な要求をすることこそが、天皇に対する一番の忠義である」と語っています。
そして、理想の天皇制は「没我の精神」であり、自分の利益だけを考えて他人のことを省みないエゴイズムに国や国民が陥らないように嗜める要因として、新嘗祭(天皇の即位後に行われる祭事)などの祭祀を続けていくべきだと説いています。
5.特攻隊への賛美
上記で紹介したように三島は「没我の精神」を重要視しました。そのため、「没我の精神」を体現した特攻隊を三島は賛美しています。
そして大東亜戦争で日本が西洋の武器を使ったことに対して、三島は「あの戦争が日本刀だけで戦ったなら威張れるけれど、みんな西洋の発明品で西洋相手に戦った。ただ一つ、真の日本的な武器は航空機を日本刀のように使って散った特攻隊だけである」と言っています。
このあと詳しく説明しますが、三島は日本の武士道精神を重んじており、1人で相手に立ち向かうという行為を重んじていました。そのため、自分の命を省みずに航空機で敵軍へ突撃して行った特攻隊は、三島にとって実に日本らしい英雄だったのでしょう。