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凶悪事件における犯人・死刑囚の生い立ちまとめ!共通点も紹介

これまで日本では数多くの凶悪事件が起きていますが、それらの事件を起こした犯人はどのような生い立ちだったのでしょうか?あまり知る機会は無い方もしれませんが、今後凶悪犯が現れないようにするには、犯人たちの人生を知ることも必要です。

この記事では、凶悪事件の犯人15名の生い立ちを紹介していきます。

栗田源蔵 | おせんころがし事件:1952年

粟田源蔵
出典:Cherish

1952年に犯人の粟田源蔵が、おせんころがしと呼ばれる断崖絶壁で母子3人を崖から投げ落とし石で撲殺した事件です。その他5名殺害したことも判明し、死刑が確定、1959年に刑が執行されています。

粟田の父親は川漁師であり12人兄弟の3男でした。しかし父の体が弱く、母が家計を支えており生活は貧しかったといいます。粟田は幼少期「夜尿症」に悩んでおり、小学校でも虐められて3年生で中退。その後奉公に出されるも、「小便臭い」と嫌われ奉公先を転々としたそうです。

闇市ブローカーも処罰の対象となっていた
出典:Wikipedia

1945年には徴兵されるも、「夜尿症」が原因で除隊。終戦後は北海道に渡り炭鉱夫として働き、荒くれ者となり犯罪を重ねるようになります。その頃には「はやぶさの源」とあだ名され、不良グループのリーダーになっていました。そして闇市ブローカー業に手を染め、殺人も犯すようになっていったそうです。

川俣軍司 | 深川通り魔殺人事件:1981年

川俣軍司、自殺防止に白いタオルを噛まされている
出典:NeeSee

1981年に川俣軍司が、東京都江東区の商店街で発生した無差別殺人事件を起こしました。乳児1名、幼児1名を含む4名の死者を出し、2名の負傷者を出しています。その後中華料理店に立てこもり、人質を取りました。結局人質が隙をついて逃げ出したために、警察により確保されています。

川俣は、父がしじみ採りを営むものの経営は悪く、母はお乳が出ず粉ミルクも買えないので重湯で育てたそうです。学生時代は大人しく、中学は園芸部に所属し「ニタリスト」とあだ名されていました。常にニタニタ笑っていたからだそうです。中学を卒業後は家を心配し進学せずに板前を目指し上京。寿司屋に住み込みで働くも、人間関係などで辞めています。

事件前も覚せい剤で意味が通らないことを言っていたらしい

19歳で実家に戻り自動車免許を取得。トラック運転手になりますが、長続きせず東京の土建会社に就職。この頃から数回傷害事件を起こし、刑務所を出入りしているようです。そして家業のシジミ採りを手伝うことになるも、気に入らないと暴れるために両親は逃げ出してしまいます。この頃に薬物を使用し始めました。そして弟とも喧嘩した後に、薬物に溺れていき事件を引き起こしています。

宮崎勤 | 東京・埼玉連続幼児誘拐事件:1988~1989年

宮崎勤
出典:Cherich

宮崎勤は東京・埼玉で4名の幼女を誘拐し、殺害後に遺体を乱暴した犯人で、2018年に死刑が執行されています。

宮崎は、東京の裕福な家に生まれています。宮崎は「両側先天性橈尺骨癒合症」という難病でした。この難病のために、幼少期はお遊戯が出来ずに「辛かった」と語っています。幼少時代の宮崎の面倒は、祖父とベビーシッターが見ていました。中学は陸上部と将棋部に所属。

宮崎勤の部屋、無数のビデオテープがあった
出典:業界スコープ

高校は手の障害を気にして、片道2時間かかる学校に通っていたといいます。高校・短大時代は全く目立たず、短大では川崎麻世さんが一緒だったそうですが、「さっぱり記憶に残っていない」と話しています。

短大卒業後はコネで就職するも勤務態度は悪く、1986年からは家業を手伝っています。この頃からアニメの同人誌を発行したりビデオサークルに入ると同時に、親や妹への家庭内暴力が増えていったそうです。そして1988年に長年世話してくれた祖父が他界します。祖父の他界から3か月後に事件が起こっています。

関光彦 | 市川一家4人殺人事件:1992年

関光彦
出典:ENDIA

関光彦は1992年に、市川一家4人殺人事件という強姦・殺人・強盗事件です。強姦した被害者の両親・祖母・妹の4名を殺害しています。逮捕後死刑が確定、2017年に死刑が執行されています。

関光彦は、祖父が鰻屋を営み母を支援していたため、とても裕福な家だったといわれています。関の幼少期は父・母・弟と高級マンションに住んでいました。しかし父は祖父に任された店舗の業績を悪化させてしまい、借金の返済を祖父が肩代わりしてくれたものの、母は祖父から絶縁されてしまっています。そして両親が離婚し、安いアパートに引っ越したようです。

学生時代は窃盗や暴力を繰り返していたそうだ

学校では貧しかったために虐められていました。しかし中学時代は野球部に所属し、エースで4番という活躍も見せていました。しかし不良グループとかかわるようになり、家庭でも暴力的になっていきます。高校は暴力沙汰で自主退学し、その後は職を転々としたものの長く続かず祖父の店を手伝っていました。しかし鰻屋もほぼ無断欠勤で辞めていたので、事件まで無職状態だったといいます。

麻原彰晃 | 地下鉄サリン事件:1995年

麻原彰晃
出典:知的好奇心の扉 トカナ

日本の宗教家でテロリストです。1984年に「オウムの会」を設立し、87年には「オウム真理教」と改称した教団の教祖となりました。88年頃から信者殺害から始まり、坂本弁護士拉致・殺害、松本サリン、地下鉄サリンと一連のテロ事件を主導した人物でもあります。2018年に死刑が執行されました。

麻原は、1955年に熊本に誕生し9人兄弟の7番目として生まれました。生まれたときに先天性緑内障で左目がほとんど見えなかったといいます。父は畳職人でしたが生活は貧しかったといいます。小学校からは全寮制の盲学校に入学。7歳から20歳まで在学していました。

オウム真理教青山総本部
出典:Wikipedia

盲学校時代は完全な全盲ではないために、全盲の周りの生徒に暴言をはいたり、窃盗させたりなどしていたといいます。卒業後は大学受験を目指すも失敗。そのため長兄の畳屋の仕事を手伝うも従業員に怪我させ、結局上京しています。その後鍼灸院を開院するも、もっと儲かるビジネスとして宗教に目をつけオウム真理教の教祖になったそうです。

麻原彰晃とはどんな人物?生涯年表まとめ【事件の理由や生い立ち、妻や娘についても紹介】

酒鬼薔薇聖斗 | 神戸連続児童殺傷事件:1997年

酒鬼薔薇聖斗(少年A)
出典:HACHI8

1997年に酒鬼薔薇聖斗と名乗る14歳の少年が、小学生を殺害・暴行し、死者2名・重軽傷3名を出した事件です。その中には首から上を切断され、被害者の口の中に犯行声明文が入っていたことでも話題となりました。

酒鬼原は、3人兄弟の長男で、とても教育熱心な母の元で育ったといいます。しかし犯人は、少年時代から犬や猫などの動物虐待していたようです。中学生になると卓球部に所属しますが、面白くなくなったといい次第に登校拒否しています。登校拒否になる前は、他の生徒の私物を燃やしたり、自転車のタイヤをパンクさせたりと問題行動をとっていたそうです。

犯行現場の山は登校拒否の時に探検していたらしい
出典:Wikipedia

しかし酒鬼薔薇の家庭は、至って普通の家庭であり特に問題点は見られないといいます。虐待や育児放棄などもなかったそうですが、逮捕後面会に来た父親に酒鬼薔薇は「帰れ、豚野郎」と怒鳴ったそうです。

後藤良次・三上静男 | 上申書殺人事件:2000年

後藤と三上
出典:ランキングダイナマイト

上告殺人事件は、死刑囚である元暴力団組長・後藤良次の上申書によって発覚した殺人事件です。上申書により「先生」と呼ばれる三上静男も逮捕されました。後藤自身は、4名を監禁し覚せい剤を注射。一人が死亡し、残りの3名は刃物などで傷を負わせた後に灯油を撒いて放火、重傷を負わせています。

上申書では3つの殺人事件を申告し、先生こと三上静男が主犯だと証言しています。後藤は16歳で稲川会系暴力団に入り35歳で自分の組を構えるものの逮捕され、組は解散。後藤はカタギに戻ることを考え紹介されたのが三上だったといいます。

事件をモデルに2013年に映画「凶悪」が放映された
出典:Yahoo!映画

三上は不動産ブローカーを営んでいました。金儲けの天才といわれたそうですが、子供の頃には鳩や鶏に虐待していたといいます。後藤は三上に心酔していたといいますが、三上が平気で嘘をつくのを知ったために上申書を提出したと供述しています。3つの事件の内の一つは立件され、三上は無期懲役が言い渡されました。

宅間守 | 大阪教育大附属池田小児童殺傷事件:2001年

2001年に附属池田小学校に侵入し、生徒を切りつけ8名を殺害した事件です。拘置所に収監されてから約1年後の2004年に、死刑が執行されています。

宅間は薩摩藩の下級武士の家柄で、警察官などの職業についていた一族だったそうです。父親は「自分は薩摩武士だ」というプライドを持っていたものの家庭では家庭内暴力をし、宅間の母親も身ごもってから「産みたくない」といっており、産んだ後からも「お前なんて産まなければ良かった」とも言われたといいます。

事件が起きた大阪教育大附属池田小学校
出典:Wikipedia

結局母親は精神系の医療施設で死去しており、宅間も精神疾患を患い、兄も精神疾患を患い自殺未遂しています。幼少期はいじめられっ子でしたが動物虐待しており、大人になってからは4度の離婚・5度の結婚をしています。結局宅間の蛮行は、親と元妻への憎しみと世間への妬みが大きな原因だったと分析されているようです。

山地悠紀夫 | 大阪ミナミ姉妹連続殺人事件:2005年

山地悠紀夫
出典:すそ洗い

2005年に大阪で27歳と19歳の姉妹が強姦後に殺害、放火した犯人です。犯行は姉妹の背中をナイフで刺しながら強姦し、帰宅後の妹にも同じ手口で襲っています。その後金品を奪って放火。逮捕後は死刑が確定。2009年に死刑が執行されています。

山地の生い立ちは、父親は酒癖が悪く、山地が小学校の時に死去。小中では「悪魔」と呼ばれ虐められていたそうです。そのため中2から不登校気味で、中3は3分の2欠席しています。母親は買物依存症で、借金しており取り立てが押しかけ、家賃や水道代なども滞納していたそうです。

出所後はパチスロ不正グループに所属していた

山地は中卒で知人の新聞配達員で働いており、給料の半分を家にいれていたといいます。しかしある時母親と口論し母親を撲殺。その後少年院に入り出所後はパチスロを不正操作し儲けるグループに入るものの、稼げずに離脱し事件が起こるまでに公園などで野宿して過ごしていたそうです。そして「死刑になりたい」という理由で、残酷な事件を起こすことになりました。

加藤智大 | 秋葉原通り魔事件:2008年

加藤智大
出典:アノ人の現在

加藤智大は2008年に、秋葉原で無差別殺人事件を起こした犯人です。歩行者天国にトラックで突入し、歩行者や警察官を刺し、死者7名・負傷者10名の被害者を出しました。

加藤は青森出身で、母親が地域の教育アドバイザーだったために、子供に完璧を求めすぎて虐待していたといいます。父や弟は虐待を見ても、見て見ぬふりだったそうです。習い事は1週間びっちり詰まっており、テレビは「ドラえもん」と「まんが日本昔ばなし」しか見せてもらえず漫画も禁止でした。

次第にネットの掲示板を自分の居場所だと思うようになったという

しかし母の思惑通り、高校は青森でも有名な進学校に入学。しかし高校で成績が低迷。この頃ガラスを割るなど問題行動が増えたといいます。その後岐阜県の短大に入学。卒業後は人間関係に苦しみ職を転々とするも、全く友達がいないわけではなかったそうです。またこの頃にネット掲示板にのめり込んでいきました。しかし掲示板上での人間関係が上手くいかなくなってくると、事件を起こしてしまいました。

星島貴徳 | 江東マンション神隠し事件:2008年

星島貴徳
出典:ガールズチャンネル

星島貴徳は2008年に、江東区のマンションで同じ階に住む女性を監禁・殺害した事件です。犯人は殺害後、遺体を切断し下水に流したり、3回にわけてごみ収集に出したと証言しています。

星島は岡山で生まれ父は税理士、祖父は政治家という家系でした。そのため厳しく躾けられたといいます。幼少期は理数が得意な子供で、高校は情報処理科に進みました。ただし両親と仲はあまりよくなかったそうです。高校卒業後は大手ゲームメーカーに就職し、ゲームセンターの店長となるも退職。その後コンピューター会社の派遣社員として事件まで働いていたようです。

犯人の裁判の様子
出典:JapaneseClass.jp

また星島は幼少期に熱湯で足に大火傷していますが、父親は子供のコンプレックスを無くすために躾としてわざと半ズボンを履かせ傷を見せるように強要。しかし足の怪我から周りから虐められるも、父からは「それぐらいで泣くな」といわれ、両親を憎む気持ちが強くなったと裁判で証言しています。

千葉祐太郎 | 石巻3人殺傷事件:2010年

千葉祐太郎
出典:バズニュース速報

2010年に交際相手の家族を殺害する目的で住居を侵入し、結果交際相手の姉とその友人を牛刀で襲い、2人が死亡、1人が重傷を負いました。犯人の千葉祐太郎は当時18歳で、裁判員裁判で初めて少年に死刑が下されています。

千葉は1991年生まれで5歳に両親が離婚し、母子家庭だったといいます。6歳の頃に母が再婚するも妹が生まれると離婚。この頃から母から暴力をふるわれるようになったといいます。小学生の時に祖父母宅に預けられるものの、「すっきりする」という理由で祖母と母に暴力をふるったそうです。2008年に交際女性と交際するもDVが絶えず、2009年に子供が生まれても定職についていませんでした。

交際女性はダンベルで殴られるなど暴力をふるわれていた

女性は別れを告げるもののその度に暴力をふるわれていたそうです。そのため女性は、DVを受けたと警察に相談。千葉に2回被害者に近づかないように警告しています。そして女性が被害届を出す日に事件は起こりました。

物袋勇治 | 横浜ベビーシッター殺人事件:2014年

物袋勇治
出典:フェイクメンタリー

物袋勇治は2014年に埼玉県富士見市の自宅マンションで、預かっていた2歳の子供を窒息死させた事件です。被害者男児は物袋の運営する「保育室」で発見され、体には複数のあざがあったといいます。物袋は懲役26年が確定し、現在収監されています。

事件を起こした物袋は、中学卒業後に専門学校に入学。料理関係の専門学校だったといい、保育とは関係ないところでした。学校卒業後は派遣業や配送業を転々とし、2012年からパートタイムで保育所に勤務。その後シッター仲介サイトに偽名で登録し仕事を求めていますが、経歴詐欺がバレて登録を停止されていました。

保育所で働いていたらしい

そのために物袋は自らシッターサイトを立ち上げて仕事をしていたといいます。また、物袋の少児嗜好は犯罪以前から感じ取れていたといいます。妹に性的ないたずらをずっとしていたといい、妹は実家を出て親戚の家に預けられていたそうです。

植松聖 | 相模原障碍児殺傷事件:2016年

植松聖
出典:アノ人の現在

植松聖は相模原障碍児殺傷事件を起こし、19人殺害し26人重軽傷を負わせた犯人です。戦後最悪の事件と言われ、障がい者に対する差別的な発言を裁判中も繰り返しています。

植松の生い立ちは、父は小学校教員・母はホラー漫画家の元で生まれた子供で、高校までは特に問題ない人物だったそうです。高校ではバスケ部に所属し、学校の先生を目指していたそうです。しかし高校卒業して大学進学すると、悪い人とかかわり薬物に手を染めるようになり刺青を入れています。

津久井やまゆり園
出典:津久井やまゆり園公式ホームページ

大学卒業後は教員にはなれず、飲料会社の自販機関係の仕事をするも半年で退職。2012年に「津久井やまゆり園」で働き始めました。しかし当初は「かわいい」といってやりがいを持っていた仕事も次第に不満を言うようになり、暴力をふるったりしていたそうです。そして2016年にやまゆり園を自主退職しています。退職の半年後に事件は起きました。

凶悪事件犯人の生い立ちに関するまとめ

今回15名の凶悪事件犯人の生い立ちを調べてみましたが、感想はやはり恵まれない幼少期を過ごした人物がほとんどのような印象を受けました。もし子育て中の方や、これから親になる人がいたら、愛情を込めて子供を育てていければと感じた次第です。犯人の人生を見ることで、犯罪者が生まれないような環境に少しでも役立てることができれば幸いに思います。

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