凶悪事件における犯人・死刑囚の生い立ちまとめ!共通点も紹介

麻原彰晃 | 地下鉄サリン事件:1995年

麻原彰晃
出典:知的好奇心の扉 トカナ

日本の宗教家でテロリストです。1984年に「オウムの会」を設立し、87年には「オウム真理教」と改称した教団の教祖となりました。88年頃から信者殺害から始まり、坂本弁護士拉致・殺害、松本サリン、地下鉄サリンと一連のテロ事件を主導した人物でもあります。2018年に死刑が執行されました。

麻原は、1955年に熊本に誕生し9人兄弟の7番目として生まれました。生まれたときに先天性緑内障で左目がほとんど見えなかったといいます。父は畳職人でしたが生活は貧しかったといいます。小学校からは全寮制の盲学校に入学。7歳から20歳まで在学していました。

オウム真理教青山総本部
出典:Wikipedia

盲学校時代は完全な全盲ではないために、全盲の周りの生徒に暴言をはいたり、窃盗させたりなどしていたといいます。卒業後は大学受験を目指すも失敗。そのため長兄の畳屋の仕事を手伝うも従業員に怪我させ、結局上京しています。その後鍼灸院を開院するも、もっと儲かるビジネスとして宗教に目をつけオウム真理教の教祖になったそうです。

麻原彰晃とはどんな人物?生涯年表まとめ【事件の理由や生い立ち、妻や娘についても紹介】

酒鬼薔薇聖斗 | 神戸連続児童殺傷事件:1997年

酒鬼薔薇聖斗(少年A)
出典:HACHI8

1997年に酒鬼薔薇聖斗と名乗る14歳の少年が、小学生を殺害・暴行し、死者2名・重軽傷3名を出した事件です。その中には首から上を切断され、被害者の口の中に犯行声明文が入っていたことでも話題となりました。

酒鬼原は、3人兄弟の長男で、とても教育熱心な母の元で育ったといいます。しかし犯人は、少年時代から犬や猫などの動物虐待していたようです。中学生になると卓球部に所属しますが、面白くなくなったといい次第に登校拒否しています。登校拒否になる前は、他の生徒の私物を燃やしたり、自転車のタイヤをパンクさせたりと問題行動をとっていたそうです。

犯行現場の山は登校拒否の時に探検していたらしい
出典:Wikipedia

しかし酒鬼薔薇の家庭は、至って普通の家庭であり特に問題点は見られないといいます。虐待や育児放棄などもなかったそうですが、逮捕後面会に来た父親に酒鬼薔薇は「帰れ、豚野郎」と怒鳴ったそうです。

後藤良次・三上静男 | 上申書殺人事件:2000年

後藤と三上
出典:ランキングダイナマイト

上告殺人事件は、死刑囚である元暴力団組長・後藤良次の上申書によって発覚した殺人事件です。上申書により「先生」と呼ばれる三上静男も逮捕されました。後藤自身は、4名を監禁し覚せい剤を注射。一人が死亡し、残りの3名は刃物などで傷を負わせた後に灯油を撒いて放火、重傷を負わせています。

上申書では3つの殺人事件を申告し、先生こと三上静男が主犯だと証言しています。後藤は16歳で稲川会系暴力団に入り35歳で自分の組を構えるものの逮捕され、組は解散。後藤はカタギに戻ることを考え紹介されたのが三上だったといいます。

事件をモデルに2013年に映画「凶悪」が放映された
出典:Yahoo!映画

三上は不動産ブローカーを営んでいました。金儲けの天才といわれたそうですが、子供の頃には鳩や鶏に虐待していたといいます。後藤は三上に心酔していたといいますが、三上が平気で嘘をつくのを知ったために上申書を提出したと供述しています。3つの事件の内の一つは立件され、三上は無期懲役が言い渡されました。

宅間守 | 大阪教育大附属池田小児童殺傷事件:2001年

2001年に附属池田小学校に侵入し、生徒を切りつけ8名を殺害した事件です。拘置所に収監されてから約1年後の2004年に、死刑が執行されています。

宅間は薩摩藩の下級武士の家柄で、警察官などの職業についていた一族だったそうです。父親は「自分は薩摩武士だ」というプライドを持っていたものの家庭では家庭内暴力をし、宅間の母親も身ごもってから「産みたくない」といっており、産んだ後からも「お前なんて産まなければ良かった」とも言われたといいます。

事件が起きた大阪教育大附属池田小学校
出典:Wikipedia

結局母親は精神系の医療施設で死去しており、宅間も精神疾患を患い、兄も精神疾患を患い自殺未遂しています。幼少期はいじめられっ子でしたが動物虐待しており、大人になってからは4度の離婚・5度の結婚をしています。結局宅間の蛮行は、親と元妻への憎しみと世間への妬みが大きな原因だったと分析されているようです。

山地悠紀夫 | 大阪ミナミ姉妹連続殺人事件:2005年

山地悠紀夫
出典:すそ洗い

2005年に大阪で27歳と19歳の姉妹が強姦後に殺害、放火した犯人です。犯行は姉妹の背中をナイフで刺しながら強姦し、帰宅後の妹にも同じ手口で襲っています。その後金品を奪って放火。逮捕後は死刑が確定。2009年に死刑が執行されています。

山地の生い立ちは、父親は酒癖が悪く、山地が小学校の時に死去。小中では「悪魔」と呼ばれ虐められていたそうです。そのため中2から不登校気味で、中3は3分の2欠席しています。母親は買物依存症で、借金しており取り立てが押しかけ、家賃や水道代なども滞納していたそうです。

出所後はパチスロ不正グループに所属していた

山地は中卒で知人の新聞配達員で働いており、給料の半分を家にいれていたといいます。しかしある時母親と口論し母親を撲殺。その後少年院に入り出所後はパチスロを不正操作し儲けるグループに入るものの、稼げずに離脱し事件が起こるまでに公園などで野宿して過ごしていたそうです。そして「死刑になりたい」という理由で、残酷な事件を起こすことになりました。

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