凶悪な犯罪を犯した犯人は、最後に死をもって自らの罪を償います。そんな死刑囚たちは最後の晩餐としてどのような食事を選ぶのでしょうかこの記事では死刑囚21名が最後の日に取った食事を調査してみました。
また、死刑囚の最後の食事に関する事情や歴史についても日本・海外の場合に分けて解説します。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
死刑囚の「最後の食事」は日本にはない?
死刑囚最後の食事ですが、日本の場合は当日の朝に死刑執行が告知されるため、最後の食事はありません。当日の朝に告知され、1時間後には刑が執行されるそうです。
しかし以前は前日に告知し、担当刑務官や囚人たちと「お別れ会」することもあったといいます。その時にできるだけ死刑囚の希望を聞いて、本人が希望する食事を準備させたそうです。しかし1975年に死刑告知を受けた囚人が、剃刀で手を切り自殺してしまう事件が起きています。そのため近年は死刑囚の精神衛生も考慮し、前日に刑の執行を知らせることは無くなったそうです。
それに対して海外では「最後の晩餐」と呼ばれる、死刑執行の前日または二日前に希望の食事を聞くシステムが採用されているといいます。「スペシャル・ミール」「ラスト・ミール」と呼ばれる最後の食事は、豪華な食事や好物の食事を頼めるのです。死刑囚によっては、全く食事が喉を通らないという人もいれば、とても豪華な食事をとって刑を受ける人もいます。
アメリカの死刑囚21名が取った最後の食事
死刑囚最後の食事ですが、アメリカが「ラスト・ミール」を採用している国です。ここではアメリカの死刑囚が最後に取った食事を紹介します。
ビクター・フィガー
1960年に強盗殺人を犯した殺人犯です。モルヒネ欲しさに医師を殺害し、トウモロコシ畑に遺棄しています。その他に、子供を誘拐・殺害しました。ちなみにフィガーが殺害した被害者は、電話帳のアルファベット順で電話をかけて、初めて繋がった人物が被害者だったそうです。
フィガーは逮捕され、1963年に死刑執行されました。処刑前夜の食事の希望は、「オリーブの実一粒」だったといいます。埋葬された後に自分の肉体から、芽が出てやがて木となり実を結ぶことを想像したのかと考えられますが、死刑執行後にポケットの中から最後の食事のオリーブの実が出てきたそうです。そのために、結局何のために最後に犯人が頼んだのかわかっていません。
ティシモ・マクベイ
1995年に起きた、オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の主犯だった人物です。連邦ビルは80パーセントが崩れ落ち、167名が死亡、850名以上負傷しました。爆破は託児所の近くで起きたために、多数の子供たちの死者も出しています。
死刑の前日に、マクベイは2パイント(約900ml)のミントアイスを希望したといわれています。また指揮者のデビッド・ウッダードを呼び、死刑執行の前にレクイエムミサを開いてもらっています。刑は薬物で、被害者遺族800名以上にモニターで見守られながらの執行となりました。
ジョン・ゲイシー
パーティーでピエロの格好をすることが多かったので、「殺人ピエロ」という異名を持つシリアルキラーです。1972~78年の間に分かっているだけで、33名の少年を殺害しています。ゲイシーは薬物注射による死刑が執行されました。薬物処刑は平均7分で絶命しますが、ゲイシーの時は何らかの手違いで薬物にムラがあり、20分近く苦しんで絶命したと伝わっています。
死刑前の最後の食事は、ケンタッキーフライドチキン・フライドシュリンプ12尾・フライドポテト・イチゴ450g・ダイエットコークだったといいます。選ばれた食事は、かつてゲイシーが成功を収めた事業を象徴するようなものばかりでした。ゲイシーは、3店舗のKFCレストランのマネージャーだったそうです。
リッキー・レイ・レクター
1981年に2件の殺人で死刑となった人物です。逮捕直前に自殺未遂もしており、脳を損傷する重傷を負い、知的障害となるほどの怪我を負っています。死刑が宣告され、薬物処刑されました。刑の時は静脈が見つけにくく、50分以上執行に時間がかかったそうです。
レクターの最後の食事は、ステーキ・フライドチキン・チェリークールエンド・ピーカンパイでした。ピーカンパイは看守に「後で食べるよ」と言い残していったそうです。ピーカンパイはレクターの死刑が完了するまで、処分されなかったといいます。
マリオン・アルバート・プレット
6名を殺害した無差別殺人犯です。内縁関係だった妻の殺害を筆頭に、快楽殺人に目覚めて残り5名を殺害しました。最後の一人は、同じ刑務所の同房者だったといいます。金銭目的でも強姦目的でもなく、純粋に殺人を楽しんでの行動だったそうです。死刑を宣告され、薬物処刑されました。
最後の食事は、ローストダック(丸ごと)・ピザハットのスタッフクラストピザ1枚・バーガーキング特大バーガー4つ・フライドポテト・ペプシコーラ2リットル3本・揚げナス・揚げカボチャ・揚げオクラ・ピーカンパイ1枚という大量のものだったといいます。これは同じ日に処刑されるもう1人とわけるつもりだったといいますが、実現しなかったそうです。
テッド・バンディ
1974~78年にかけて、アメリカの7つの州で少なくとも30名の強姦・殺害した犯人です。女性たちに性的暴行を加えた上に、遺体を切断し屍姦しています。連続殺人犯を表す「シリアルキラー」という言葉は、バンディを表したのが最初と言われています。
死刑の前にバンディは、最後の食事の希望を断ったそうです。そのために刑務所が用意した料理は、ミディアムレアステーキ・ハッシュブラウン・卵料理・バターとゼリーのトースト・ミルク・ジュースという一般的な料理が出されたといいますが、一口も食べなかったそうです。最後バンディは電気椅子で処刑され、2万ボルトの電圧が2分間流されて執行されたと伝わっています。
テッドバンディってどんな人?映画のあらすじや連続殺人鬼の犯行、生い立ちについても解説
ロリー・ニー・ガードナー
強盗・窃盗・殺人2名の罪で捕まり、死刑となった人物です。武装強盗して店に押し入り、店主を殺害。そして逮捕後の殺人罪裁判の法廷中に、法廷から逃亡しようとして弁護士を1人殺害しました。その後現行犯逮捕され、死刑が確定しています。
最後の食事は、ロブスターテイル・アップルパイ・バニラアイスだったそうです。そして食事中に「ロード・オブ・ザ・リングを見たい」と希望しています。ガードナーが罪を犯したユタ州は現在銃殺刑を禁止していますが、ガードナーの死刑時は銃殺刑か薬物刑を選択できました。ガードナーは銃殺刑を希望し、5人の銃殺隊により心臓を撃ち抜かれて刑が執行されています。
アレン・リー・デイビス
1982年に3名を殺害した罪で、死刑判決を受けた人物です。被害者は妊娠3か月の妊婦と2人の娘で、お腹の子を入れると4名を殺害したことになります。被害者女性は、25発も殴られており顔の識別も出来ないほどだったといわれています。
デイビスの最後の食事は、ロブスターテイル・フライドシュリンプ460g・フライドポテト・フライドクラム・ガーリックトースト・A&Wのルートビアを食べたそうです。その後電気椅子の刑に処されていますが、一度刑が終わってもまだ生存していたといいます。このことは倫理的な論争にまで発展し、デイビスを最後に、フロリダ州では薬物処刑に切り替わりました。しかし希望すれば、電気椅子も使用できるそうです。
テレサ・ルイス
2002年にバージニア州で夫と義理の息子を保険金目当てに殺害し、死刑判決を受けた人物です。犯人は知能指数が72であり、死刑適用のボーダーライン70を僅かに超えただけであったために物議を醸し出しています。事件は2人の男と共謀して、銃撃し夫たちを殺害しました。ルイスと共犯者は近くのスーパーで知り合い、関係を持ったといいます。保険金は3人で山分けする予定だったそうです。
最後の食事はフライドチキン・豆・バター・ドクターペッパー・アップルパイだったといいます。そして物議はあったものの、薬物刑が執行されました。女性の死刑執行はバージニア州で1912年以来だったといいます。アメリカでは5年ぶりの女性の死刑だったそうです。