この記事では、日本で起きすでに解決した失踪事件・神隠し事件を13選をランキング形式でまとめました。事件の詳細や真相、残された謎についても解説していきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
13位:大田正一失踪事件-1945年
1945年に日本の海軍軍人で、特攻兵器「桜花」を発案した太田正一が失踪した事件です。後に1994年に死亡していたことが判明しました。大田は終戦後の8月18日に、茨城県の神ノ池基地から零戦に突然乗って行方不明となっています。基地の机の上に、「東方洋上に去る」と遺書が残っていました。
桜花搭乗員の人命を軽視する発言を繰り返していたことから、報復を恐れていたともいわれています。その後戸籍上は死亡したことになっていましたが、結局基地から離れた金華山沖の海上で漁船に助けられた後、無戸籍で名前を変え生きていました。「横山道雄」と名乗り家庭も持っていましたが、1994年に京都市の病院で死去。最後に入院した看護婦に、自分の「本名」を名乗っています。
12位:鹿地事件-1951年
小説家の鹿地亘が1951〜1952年までGHQを構成する一角であったアメリカのキャノン機関に拉致監禁されていた事件です。鹿地は自宅付近を散歩中、突然軍用車から降りてきたアメリカ兵に殴られて拉致されてしまいます。監禁場所は所沢や沖縄など場所を転々とされ、ソ連のスパイではないかと執拗に尋問され、更にアメリカの二重スパイになることを強要されたそうです。
鹿地は監禁中2回自殺を図るものの、失敗しています。1952年に監視役だった日本人青年が不憫に思い、鹿地の家族に手紙で連絡。同年家族は鹿地の捜索願を出し、左派社会党の議員が解放に向けて尽力した甲斐あって解放されました。この事件はアメリカの駐日アメリカ大使ですら何の報告も受けていなかったといい、秘密機関の暴走が露見した事件となりました。
11位:茂原市重機オペレーター殺害事件-2000年
茂原市重機オペレーター殺害事件とは、2000年3月に重機オペレーターの男性(当時49歳)が失踪し、殺害された事件です。この事件は、被疑者が逮捕されて事件の詳細が発覚するまでは失踪事件として扱われていました。
犯人の特定に繋がった大きなきっかけは、2004年に放送されたテレビ朝日系の生放送番組「奇跡の扉 TVのチカラ」の存在でした。この番組で情報提供を呼び掛けた結果、失踪した男性が別の男性2人によって暴行を受けていたことがわかり、被疑者は殺人容疑で逮捕されました。
この事件は、テレビの力によって事件の真相に辿りつくことができた一例として知られています。
10位:足立区女子教師殺人事件-1978年
1978年に小学校教員であった石川千佳子さんが失踪し未解決となっていた事件です。しかし時効成立後の2004年に当時学校の警備をしていた男が、石川さんの殺害を自供し殺人が発覚しました。
石川さんは8月15日の当直当番に現れず、石川さんの実家に電話するも帰っていなかったために捜索願が出されました。しかし足取りは掴めず北朝鮮に拉致された可能性も示唆されましたが、結局殺人であることがわかっています。
犯人は石川さんと口論になり殺害し、犯人の自宅下に遺体を隠していました。自首した理由は良心の叱責ではなく、区画整理で立ち退きを迫られ、家を壊されると事件が発覚するからという驚くべき理由だったといいます。
9位:坪野鉱泉失踪事件-1996年
坪野鉱泉失踪事件とは、1996年に起こった2人の少女が失踪した事件です。当時19歳だった2人は「肝試しに行く」と家族に伝えて出発した後、「今魚津市にいる」というメッセージのみを残して行方不明となってしまいました。
捜査を開始した富山県警が辿りついたのが、廃墟となっていた坪野鉱泉旅館跡でした。この建物は心霊スポットや暴走族の集会場として知られており、様々な噂や治安上の懸念がされている場所だったようです。
しかし、失踪から24年経った2020年、目撃者の証言により坪野鉱泉から40㎞も離れた伏木富山港付近の海底において2人の遺体が乗った軽自動車が発見されました。事件の目撃者は24年間も通報せずに沈黙していたことになりますが、もっと早くに通報していれば事態は変わっていたかもしれません。