【新着】日本で起きた凶悪事件TOP30

梶原一騎の娘・白暁燕誘拐殺害事件の犯人や真相は?家族の現在も紹介

「梶原一騎さんの娘さんの誘拐事件が残酷だったと聞いたけど…」
「日本のコンクリ事件よりも酷いと書いてあった」

「巨人の星」などのヒット作品を出した漫画家・梶原一騎さんの娘である白暁燕さんは、台湾史上最悪といわれる誘拐事件の犠牲となっています。手口はとても残酷であり、日本の人気漫画家の娘であるために、日本でもとてもニュースとなりました。

梶原一騎さんの作品はスポコンブームとなった
出典:JapaneseClass.jp

若くして犠牲になった白暁燕さんの誘拐事件は、一体どのような事件だったのか?この記事では白暁燕誘拐事件について解説していきます。

※この記事では事実を忠実にお伝えするために、残酷な表現が登場します。苦手な方は次のトピックを見るなど自衛をお願い致します。

この記事を書いた人

フリーランスライター

高田 里美

フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。

梶原一騎の娘・白暁燕誘拐事件とは?

事件は台湾で起きた
出典:Wikipedia

「白暁燕誘拐事件」とは1997年に、人気漫画家・梶原一騎さんの娘・白暁燕(パイ・シャオウェン)さんが誘拐され、残酷な手口で殺害された事件です。犯人は身代金目的で白暁燕さんを誘拐し、誘拐した証拠として母親の白冰冰(パイピンピン)さんに、写真と切断した小指を送りつけています。

この後2回身代金要求があり受け渡しに行くも、犯人は現れませんでした。事件発生から11日後に警察がアジトを突き止め急襲し、4人を逮捕するも主犯格3名を取り逃がしています。テレビでは連日犯人の親や冰冰さんが自首を促すも犯人は現れず、暁燕さんの遺体が台北県山郷(現:新北市泰山区)で発見されました。

殺害された白暁燕さん(写真右)
出典:Twitter

犯人たちはその後も強盗や誘拐を繰り返しており、総統・李登輝は「犯人を見つけ次第射殺」を指示。犯人3人と警察官は銃撃戦となり、犯人の1人は自殺。残り2人のうち1人は3か月後自殺、残る1人は逮捕され事件は終わりました。

白暁燕(パイ・シャオウェン)の人物像や家族構成

白暁燕さん
出典:HARYU

白暁燕さんは、台湾女優の白冰冰さんと日本の漫画家である梶原一騎さんとの間に生まれた一人娘です。ただし異母兄弟は5名います。白暁燕さんが生まれた頃は既に白冰冰さんは別居しており、台湾で生まれました。

生まれた後は日系人としてではなく、台湾人として育てられたといいます。そして次第に母親とテレビ出演する機会が増えていったそうです。しかし1997年に誘拐され惨殺されてしまいます。享年16歳でした。

父の梶原一騎は日本の有名漫画家

「スポ根」人気の火付け役となった梶原一騎さん
出典:BS朝日

梶原一騎さんは日本の原作漫画家で、格闘技やスポーツ漫画を中心に次々と話題作を創り出しました。代表作は、「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」などです。最初の妻・高森篤子さんとは1973年から1985年の間離婚しており、その間の1979〜1981年に台湾女優の白冰冰さんと再婚。冰冰さんとの間に娘の白暁燕さんが生まれています。

しかし梶原一騎さんのDVを理由に白冰冰とは離婚。1980年代には傷害事件などで逮捕されており、作品は打ち切り、単行本は絶版となっています。保釈後は大病を患い一時生死をさまようも生還。しかし体調は完全に持ち直すことなく、1987年に体調不良により入院後、50歳で死去しています。娘の白暁燕さんの誘拐事件の時には死去していますが、存命だったら悲しまれたことでしょう。

母の白冰冰(パイピンピン)は台湾女優で梶原梶原一騎の元妻

女優の白冰冰さん
出典:Wikipedia

白冰冰さんは台湾出身の女優・歌手で、現在も活躍している人物です。1977年に漫画家・梶原一騎主催のバンコクと台湾を舞台とした「カラテ大戦争」のヒロインとなり来日。歌って踊れる上に、カンフードラマにも出るようなマルチな活躍をしており、梶原一騎さんが好意を持ったといいます。

1979年に梶原一騎さんと結婚。日本でも女優兼歌手としてデビューし、1980年には映画「あしたのジョー」の挿入歌も歌いました。しかし梶原一騎さんの家庭内暴力により結婚生活は長く続かず、別居後1983年に離婚しています。別居中に娘の白暁燕さんが生まれました。そして現在も日本語カバー曲を歌ったり、台湾を代表する歌手の1人です。

白暁燕誘拐殺人事件の経緯

16歳の少女が残酷な事件の被害にあっている

ここから白暁燕誘拐殺人事件を詳しく経緯を解説します。高校生の少女は非常に残酷な目にあい殺害されてしまいました。残虐さから「台湾史上最悪」といわれた事件の概要を紹介していきます。

白暁燕が帰宅途中に誘拐される

学校帰りに待ち伏せされ誘拐された

1997年4月14日、私立醍吾高級中学2年生だった白暁燕さんは、学校帰りに実行犯の陳進興と林春生に拉致され高天民が運転する車で連れ去られてしまいます。犯人グループは白暁燕さんの頭部にゴムバンドを巻き付け、鼻以外顔を覆ってしまいました。

鼻を塞がなかったのは、身代金を取るまでに窒息死させないためです。学校帰りの時間を狙って起こしているので、用意周到に準備していたと考えられます。犯人たちは白暁燕さんをあらかじめ借りてあった五股西雲路のアジトに連れて行きました。

誘拐した証拠に指を切り落とすという残虐な行為をしている

そして犯人たちは白暁燕さんの身体を縄で縛った状態で左胸を露出させた姿で写真に撮り、林春生が小指を切断しています。そして痛みで泣き叫ぶ白暁燕さんを静かにさせるために、殴る蹴るの暴行を加えているのです。

白冰冰に身代金を要求

アメリカ合衆国500万ドルの身代金要求している

犯人たちは白冰冰さんに電話し、娘を誘拐したことを伝え、亀山郷の霊園管理室に行くことを要求。指示通りに行くと、冰冰さんは娘・暁燕さんの半裸の3枚の写真と小指、身代金の要求が書かれていました。

この時点で冰冰さんは警察に通報しています。犯人たちは白さんにアメリカ合衆国500万ドルを要求し、冰冰さんはなんとか500万ドル用意したそうです。

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