1回目の身代金受け渡しに失敗
冰冰さんが何とか身代金を準備するものの、マスコミに情報が漏れ引き渡し場所に記者が殺到し受け渡しに失敗しています。現金が受け取れなかった犯人グループは、暁燕さんに輪姦後、腹いせでさらなるリンチを加え惨殺。遺体の手足を角材に縛り付けたうえに重しをつけ、台北近郊のドブ川に遺棄されてしまいました。その後2回目の身代金要求がありますが、この時点で暁燕さんは殺害されていたのです。
2回目の身代金受け渡し失敗
犯人グループはまだ暁燕さんが生きているように装い、再度身代金を要求し500万ドルを受け取ろうとします。4月23日に受け渡そうとしましたが、この時も犯人たちは現れませんでした。4月25日に犯人グループのアジトを突き止め警察が突入し、7人の内の4人を逮捕しますが、主犯格の3人を取り逃がしてしまいます。
この時点でまだ暁燕さんの行方が分からなかったために、4月26日から居場所を知る目的で冰冰さんや犯人の親族がテレビに出演。人質の暁燕さんの解放や自首を促しています。そしてテレビ出演をきっかけにマスコミの活動は更に活発化し、冰冰さん宅の家の扉も破壊される事態になりました。
この方法は人質に対しての危険が伴うような気がしますが、当時はマスコミの力を借りて犯罪を抑制することが主流だったそうです。
白暁燕の遺体発見
4月28日に暁燕さんの遺体が発見されています。遺体は全裸で原型をとどめない程にぼろぼろになっていました。発見した人が最初「豚の死体かと思った」ほどだったそうです。警察は台湾全土に指名手配し、総統・李登輝は犯人たちに自首を促すのではなく「見つけ次第射殺せよ」との命令を出しています。
そして遺体発見時の写真を一部のメディアが載せており、日本の週刊誌にも転載されました。暁燕さんが殺害されたことへのマスコミの不手際が問題となり、母子が住んでいる家付近に「記者有罪」という抗議垂れ幕がかけられたそうです。暁燕さんの葬儀には、カツラと生前の顔を模した面をつけて納棺されました。
白暁燕を殺害した犯人は捕まった?その後の様子
16歳の少女に対する行為とは思えない残虐な仕打ちに台湾中が怒り、射殺命令まで出た犯人たちは捕まったのかどうか見ていきます。
犯人グループは再度誘拐事件を引き起こした
暁燕さんの遺体が見つかってから約1か月後の6月に、主犯の3人は次に台北県議員の葵明堂を誘拐し、500万ドルの身代金を強奪。そして8月に金属会社の経営者を誘拐してこちらも身代金の受け取りに成功。2人は身代金受け取り後に、無事に解放されています。
犯人の主犯格は自殺
8月19日に主犯の3人が発見され、台北市内で800人の警察官と銃撃戦となっています。この時に主犯格の1人・林春生が自殺しました。この時主犯3名は、短機関銃を使用し警察と応戦。激しい銃撃戦の末、警察官の1名が殉職、1名が重傷を負っています。この時に林春生は6発銃弾を被弾の末に、自らを撃ち抜き自殺したのです。
犯人2人は整形手術をする
銃撃戦から約2か月後の10月23日、残った主犯格の2人が台北市内の整形外科で整形手術を受けています。そして手術後に口封じのために、医師夫婦と看護師を殺害しました。
3人は後ろ手に手錠で拘束された上に頭部に発砲しており、看護師は陳進興に強姦された後に殺害されています。
銃撃戦の末逮捕
11月17日に主犯の2人は再度、警察と銃撃戦を展開。そこで主犯格の1人・高天民を追い詰めますが、逃げ切れなかった高天民は、持っていた銃で自殺してしまいました。
翌日18日に、最後の1人・陳進興が南アフリカ大使官邸に立てこもります。この時に投降後の弁護について条件を提示するなどの説得して、翌19日に裁判で弁護を受ける約束をしたことにより投降。白暁燕誘拐殺人事件から7か月後に、ようやく犯人が逮捕されることとなったのです。この事件がきっかけで、南アフリカは事件の翌年に台湾と断交し、中華人民共和国と国交を樹立しました。
白暁燕の死因は?
白暁燕さんの死因については、ネットで多くの噂が出回っています。どこまでが本当かはわかりませんが、一つ言えることは残虐な殺害であり、被害者が無残な姿になって見つかったことは間違いありません。犯人の残酷な所業に恐怖を感じてしまう死因について解説します。
死因は出血多量及び内臓破裂
暁燕さんの死因は、「頭部腹部殴打による出血多量及び内臓破裂」と判断されています。遺体解剖で腹部内に500ccの内出血で腹腔は大きく膨張し、切断された小指には細い針金で止血した痕がありました。
更にナイロンコードが首に巻かれていたといい、首を絞められた形跡がありましたが、その頃には絶命していたのではないかと推察されています。
いたいけな10代の娘さんに対するあまりな仕打ちなんの落ち度もないのにひどすぎる
心から御冥福お祈りします