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花魁の現在をわかりやすく解説!現代でいう職業や立場も紹介

「花魁は現代にも存在するの?」
「現代で例えると花魁はどんな職業なの?」
「現代でも花魁の子孫はいるの?」

花魁は、吉原遊郭における遊女の中でも最高位の女性を指す言葉です。

彼女たちは、容姿が美しいだけでなく教養・品格・芸能など全てにおいて優れた人物。江戸時代では遊女のみならず、一般市民からも憧れられる存在でした。ただ、現代に花魁は存在していません。

周囲から憧れの的だった花魁がなぜいなくなってしまったのか、気になる人も多いのではないでしょうか。

そこで、今回は花魁がいなくなった背景から、現代における花魁の職業や子孫について紹介します。この記事を読めば、花魁への理解を一層深められますよ。

花魁とは何をする人?仕事内容や避妊方法、実在した人物を簡単に紹介

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

なぜ現在「花魁」はいなくなったのか

花魁姿の女性
出典:Wikipedia

江戸時代中期に吉原で誕生した花魁。時代が進むにつれて、彼女たちの在り方も次第と変わっていくようになります。

時が移ろう中でも、花魁と呼ばれた方は昭和時代まで存在していました。ですが、最後の花魁がどんな人だったのかは明確に分かっていません。

では、遊女の中でも一際華やかで羨望されていた花魁はなぜいなくなったのでしょうか。ここでは、

  • 明治時代に起きた遊郭の変化
  • 売春防止法による売春行為の禁止

以上2つの観点から、花魁がいなくなってしまった経緯と理由について解説します。

娼妓解放令による遊郭の変化

明治時代の花魁
出典:日本の古写真 – Japaaan

明治時代、花魁は売春婦として単純化され、社会的地位が下落しました。その理由は次の2つです。

  • 西洋の文化が日本に入り、女性に対して純潔を求めるようになったから
  • 遊郭の形態が変化し、遊女の立場が変わったから

明治期の日本は、キリスト教の影響を受け「女性は配偶者以外の男性と性行為をするべきではない」と重んじられるようになっていました。

1872年(明治5年)になると、明治政府より芸娼妓解放令が発布されます。これまで当然のように行われていた人身売買や年季奉公が禁止・制限され、遊女の開放が求められたのです。

それ以降、遊女屋は、遊女が営業するための座敷を貸す貸座敷と改称。借金により遊郭に縛られていた遊女たちも、あくまで本人の自由意志での営業という形式に整えられたのです。

結果として、江戸時代では多くの人から羨望された花魁であっても、自分の意志で売春する淫乱な女性として見られるようになりました。しかし、芸娼妓解放令は売春行為を禁止する法令ではないため、大きく変化したのは遊郭で働く女性達の立場のみ。

生活に関しては、発布前とさほど変わらなかったと言われています。

売春防止法による遊郭の廃止

売春防止法施行当時の遊郭(赤線地帯)
出典:デイリー新潮

昭和時代になると、これまで認められていた売春行為が禁止され、全国の遊廓が廃業しました。明治時代に出された芸娼妓解放令の発令以降、日本では遊郭制度を廃止するための廃娼運動が活発化していくようになります。

この運動は、キリスト教の団体である矯風会や救世軍が中心となり、大阪難波における遊廓の廃止・吉原花魁道中の反対など様々な動きが展開されるようになりました。

こうした廃娼運動の影響もあり、1956年(昭和31年)に売春防止法が可決。この法令により、売春行為が禁止され、翌年4月には全国各地の遊郭が廃業することとなりました。

それに伴い、遊郭で働く遊女・花魁達も解放されることとなり、職業としての花魁が消失することになったのです。売春防止法の制定により廃業した多くの遊郭はその後、飲食店や旅館として業態を変えました。

それまで働いていた女性達もそのまま従業員として働き、陰で売春行為を続けた方もいたと言われています。

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