上原善広(うえはら-よしひろ)
上原善広は、大阪府出身のノンフィクション作家です。自ら部落出身であることを公言し、部落に関する著作を多く残しています。上原の部落に関する著作の1作目は『被部落の食卓』。
その後、『日本の路地を旅する』(上原は部落のことを路地と呼んでいました。)や『差別と教育と私』と部落に関することだけでなく、差別のことも著作に残しました。
村崎太郎
村崎太郎は日本を代表する猿まわし師。日光さる軍団の主宰を務めており、この名を聞くだけで人物像が思い浮かぶかと思います。村崎は1988年に猿にさせた「反省」のポーズが人気となり、注目を集めました。
しかしながら、2008年の著作『太郎が恋する頃までには』とテレビ番組で自身がえたひにんがいた集落・部落出身であることを明かしました。これをきっかけに部落差別に関する講演を各地で行います。
猿まわし師自体、えた身分が行う芸能でした。そのため、猿まわし師が代々受け継がれている村崎家は、部落出身であると考えられます。
島田紳助
島田紳助は元お笑い芸人です。紳助は、公に部落出身であることを公言していません。しかし、母校での講演会の際に自身が部落出身であることを告白しています。残念ながら、講演会でのことで記録に残っていないので、真偽のほどは不明です。
加藤あい
加藤あいも部落出身であると噂されています。その理由として加藤あいの出身地にあります。加藤あいの出身地は愛知県西春日井郡新川町。その場所は1936年に刊行された『全国部落調査』で差別を受けた部落として掲載されていました。
そのため、加藤あいが部落出身ではないかと憶測がたったということです。
倖田來未
歌手の倖田來未も部落出身であると言われています。それは、倖田來未が自身の出身地を話さないことに端を発していました。後に京都府伏見区と出身地が明かされました。
しかし、伏見区竹田地区には『竹田の子守唄』という部落にまつわる伝承が生まれた土地があります。そのため、倖田來未が部落出身であることをさらに加速させました。倖田來未が部落出身であることは噂の範疇であり、竹田地区出身ということは不明です。
川原亜矢子
川原亜矢子は女優やナレーター、モデルと幅広い分野で活躍している女性です。父親が、部落解放同盟の幹部で部落出身であることを公言していました。そのため、娘の川原亜矢子も部落出身ではないかと疑われています。しかし、本人は部落出身であることを公言していないので、真偽は不明です。
橋下徹
弁護士で元大阪府知事の橋下徹も、部落出身ではないかと噂が出ています。橋下は2011年の『新潮45』にて、父親が部落出身で本人も部落育ちということが明かされました。しかし、父親が部落出身でも部落ではない場所で生まれ、移転して部落で育ったということも考えられるため、真相は不明です。
えたひにんの差別は今もあるのか?
えたひにんの差別は結論から言うと、今もなお続いています。江戸時代に制度としたえたひにんは、明治時代で撤廃されました。しかし、集落として残っていることが差別の意識を現代も高めていることが事実です。
同じ日本人が昔の身分で差別を受けていること自体、あってはならないことです。えたひにんとえたひにんがいた集落・部落に対する差別の撤廃。それが早く実現することを願うばかりです。
えたひにん苗字に関するまとめ
今回は、えたひにんの苗字の由来や見分け方、えたひにんの集落出身といわれる有名人を紹介しました。平安時代や鎌倉時代に存在し、江戸時代から身分制度として確立したえたひにん。明治時代では身分解放されますが、住んでいた集落は、部落として新たな差別を生み出しました。
この差別を無くすために、地域や政界でも差別撤廃運動が起こり、差別廃止へと歩みを進めています。しかし、それでも部落という名前や昔の風習で差別が起こっているのも事実。このような問題の早期解決を切に願うばかりです。
この記事を通してえたひにん苗字について興味関心を持っていただけたら幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ゆるれりれれりりれるりやむみみみむめみめひめはめはふひへにねにねにあい
同和問題について
同和問題は、部落民の差別に関する問題ですね。昔親友が結婚しようとした際に、両親に反対され結婚を断念しました。それまでは深くは考えたことがなかったのですが、この問題について考えるきっかけとなりました。
いくつかの県や地域には、昔は被差別部落民の地域と呼ばれるものがありました。どこそこはそうだと周辺の人々が噂をしているのを聞いたことがあります。また会社には『部落地名総艦』があり、就職に際してそれで採用を判断していました。今は、これは撤廃されています。
部落が集中しているのは、炭鉱住宅地域は特にそうですし、荷役や皮製造などの特定産業の地域に集中することもあります。また、泥棒部落と呼ばれる特定した地域があります。これは貧しさからそう呼ばれたのでしょう。部落民の差別の発祥は、歴史的には1500年以前に遡りそうですが、特に紹介されたように江戸時代に「えたやひにん」と呼ぶ差別民を生み出したこと、そして近代化の中で埋もれていった人々を生み出したことが大きいでしょう。
終戦後から15年位までの運動会では「部落対抗リレー」などがあり、住宅がまばらだった時代でしたので、日本のどこでも地域ごとに集落が固まっていましたのでそれが可能でした。私はこの環境に育ったので、「部落」という言葉に違和感はありませんが、同和問題としての「部落」という言葉に特定の差別の意味が含まれるようになったのは残念です。
現在は、これらの部落地域の多くは再開発のなかで、ほぼ消えつつあります。非常に嬉しいことですが、元の地域にいたことによる被差別民だったということを強調し、逆に詐欺的な企みを通して不当の利益を得ようとするグループが多く存在しています。にせのグループも多いと聞いています。これらは、逆に平等という点から排除すべきと感じます。
ここには部落に住んでいた可能性がある方々の氏名が載せられていますが、これは例え本人がそれを称したとしても、絶対に載せるべきではないと思います。まだこれらの方々は生きておられます。不当な差別の新たな発生の温床となります。今もネットで多くの方々の名前が紹介されていますが、直ちに削除して欲しいものです。