「海賊って現実にいたの?」
「今も海賊はいるのかな?」
海賊とは海上の船舶を襲撃して、暴行や略奪する海上の盗賊です。ピーターパンの「フック船長」や人気漫画「ONE PIECE」に登場したりと、創作作品にも登場してある程度のイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。
イメージ的には三角帽子に眼帯・義手・義足といった海賊ですが、実在した海賊はどのような人物だったのか?世界と日本の有名な海賊を紹介します。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
実在した世界の有名な海賊10選
15世紀頃に航海技術が発達した頃に、世界で未開拓の地を発見する「大航海時代」が到来し、多くの船舶が新たな土地を目指す時代となりました。その結果、海上での略奪行為などの犯罪も横行し、様々な海賊が現れる結果となったのです。
また16世紀には、ヨーロッパやカリブ海で略奪行為をしてもよいと国家が認める「私掠免許」が横行し、合法で海賊行為が行われていました。そのため公然と海賊がいるという状態が続き、結局「私掠免許」が発行されなくなったのは19世紀に入ってからだったといいます。
そんな4世紀も続いた海賊の中には、伝説的な海賊も出現しています。そこでここでは世界の有名な海賊を10名紹介しました。
バルバロス兄弟
15世紀から16世紀にかけて北アフリカを支配した、オスマン帝国出身の海賊です。兄の「バルバロス・オルチ」と弟の「バルバロス・ハイレッディン」は兄弟で「バルバロス兄弟」と呼ばれ、二人とも後にオスマン帝国の提督になっています。イタリア語で赤ひげの意味の「バルバロス」と呼ばれ、ヨーロッパ人から恐れられた海賊でした。
2人はアルジェリア北岸を支配するスペイン人などを襲い、ガレー船や弾薬を集め一大勢力となっていきました。そして1516年にはアルジェ(現アルジェリアの都市)をスペイン人から奪い、オスマン帝国に献上したために、地位と兵力を更に得ています。
しかし兄・オルチは1517年にスペイン人との戦いで命を落としてしまい、弟のハイレッディンが「バルバロス」のあだ名と地位を受け継ぎました。そして1538年にはスペインとローマ教皇の連合艦隊との「プレヴェザの海戦」に勝利し、33年間の「レパノンの海戦」までのオスマン帝国の地中海支配に貢献しています。
フランシス・ドレーク
エリザベス朝イングランドの海賊で、海軍提督でもあった人物です。イングランド人にして初めて世界一周をしたことからイングランドでは英雄視されるものの、海賊行為に苦しめられたスペイン人からは悪魔の化身として「ドラコ」と呼ばれました。
1570年頃からスペイン船を襲う海賊行為を開始。西インド諸島で金銀を運ぶ船を襲撃して、巨額の富を手に入れています。そして太平洋ではスペイン植民地を襲撃し、スペイン王の財宝も強奪しました。1589年にはエリザベス女王を含む出資者に4700%もの配当金を支払ったといいます。この資金が元でイングランドは国策会社に融資し、東インド会社設立の基礎を築きました。
ドレークはこの功績により勲章を得ています。またアルマダの海戦でイギリス艦隊副司令官となって指揮をとり、スペイン艦隊を破ることに成功しました。55歳で死去し、遺体は鉛の棺に入れて水葬されたといい、現在もダイバーが探しています。
フランソワ・ロロネー
フランス出身のカリブ海の海賊で、本名はジャン=ダービット・ノーですが、「ロロネー」と通り名で呼ばれていました。貧しい家に生まれたロロネーは海賊団に入り、カットラス(片手刀)を得意とし武芸で首領にまで登り詰めました。
ある町を人質にとってスペインに身代金を要求したり、スペインが統治している町を襲い略奪の限りをつくしたといいます。残虐な性格からスペイン人からは、「ロロネーに出くわすくらいなら死んだ方がマシ」と言われていました。実際に捕虜にした敵は1人も生かさず全員殺し、住民には拷問・略奪・強姦など残虐行為を繰り返したといいます。
しかし1668年にロロネーの船は、ニカラグア沿岸の町で守備隊に撃退されました。そしてロロネーたちは食料を探し内陸に入っていくと、人食いの習慣がある原住民に捕まってしまい、生きたまま手足を切られ火あぶりになり死亡したといいます。
アロマ・パルゴ(アマロ・ロドリゲス・フィリペ)
スペインの私掠船の船長で、海賊の黄金期に活躍した有名な海賊の1人です。スペインのカナリア諸島出身だったために、海賊文化が身近な場所で育ったといいます。奴隷貿易で活躍し、非人道的な方法で奴隷を船で運んでいたそうです。
奴隷貿易で財をなしましたが、マリア・デ・レオンという奇跡を起こす神秘家との親交により、慈善活動に目覚めたといいます。パルゴは敵対勢力であるイングランドの海賊とも戦ったために、祖国のために闘い続ける英雄として国民的な人気を得ていました。そして彼は貴族の資格を得てカナリア諸島で死去し、サンテ・ドミンゴ・デ・グスマン教会に埋葬されています。
ヘンリー・モーガン
17世紀にカリブ海で活躍したイングランド出身の海賊です。当時敵対していたスペイン帝国への活躍から西インド諸島における英国植民地で人気があり、チャールズ2世からナイトを賜り、ジャマイカ島代理総督に就任しています。
ウェールズで生まれ、21歳でジャマイカ島の海賊船の募集に応募し、海賊となったそうです。その後はメキシコ湾沖で海賊行為を続けており、スペイン人などから強奪したお金で富を得ました。そして「パナマ遠征」を行い、2時間で町を落とし財宝を手に入れています。
モーガンはパナマ遠征によりスペイン側から激しい抗議を受け拘留されるも、すぐに釈放されて「治安判事」「海事裁判所長」といった役職に就いています。そして1680年にはジャマイカ島代理総督にまでなりました。