タトゥーの方が除去しやすい
どちらの方が除去しやすいのかといえば、タトゥーの方がまだ除去しやすいようです。タトゥーを除去するには2通り方法があり、「一時的に消すこと」と「体から除去する方法」があげられます。例えば温水プールなどに入りたいために一時的に消す場合は、タトゥーを消すためのスプレーやファンデーションを使用するのです。
そして本格的に体から除去したい場合は、タトゥー部分の皮膚を切り取り周囲の皮膚を縫合します。ただしこの方法は周囲の皮膚を伸ばして縫合するために、大きなタトゥーの除去は不可です。大きい場合はタトゥーがある部分の皮膚を医療用の剃刀で削り除去します。この方法であれば広範囲が可能ですが、一度の手術で除去する場合、深い傷跡が残る可能性が高く注意が必要です。
刺青は消すのが困難
刺青はタトゥー以上に除去が困難です。レーザー治療や皮膚の切除をしても、色素沈着してしまっており跡が残ってしまうことも多いといいます。一般的には皮膚を削る「削皮手術」や、刺青がある皮膚を切り取ってそこに皮膚を移植する「植皮手術」が主です。
植皮手術は除去した刺青の部分だけでなく、移植用の皮膚を採取した場所にも傷が残ります。体に残る傷跡が大きいのが嫌な人にはお勧めできない方法であり、どちらにしても消すのがかなり困難であるといえるのです。
入れ墨と刺青の違いは?
「いれずみ」は「刺青」「入れ墨」と両方書くけれども違いは何なのかですが、二つは同義語といえます。元々は文字通り墨を入れることから「入れ墨」と呼ばれていました。
しかし谷崎潤一郎の「刺青(しせい)」という作品が発表されると、「刺青」と書いていれずみと呼ばれるようになっていったのです。「刺青」という言葉は明治43年に発表された作品の言葉で、いれずみをする人のことを「刺青師(ほりものし)」と表現しています。
「刺青」は人気の作品となり、何度も映画上映されました。そのためいつしか「入れ墨」のことを「刺青」と書くようになったのです。
タトゥー・刺青の語源と歴史は?
タトゥーや刺青の歴史は古く、紀元前から人類はいわゆる「いれずみ」をしていたことが分かっています。そんなタトゥーや刺青の語源や歴史を紹介していきます。
タトゥーの語源と歴史
語源はタヒチ語説が有力
タトゥー(Tattoo)は、ポリネシアのタヒチ語の「tatau(叩くの意)」から来ている説が有力です。タヒチ語のタタウは「タタウ」という叩く時の音が、そのまま叩くという意味として英語で使われるようになりました。
この言葉が入れ墨を表すようになったのは、ノミに似た器具で肌を叩いて彫っていたからだといいます。フランスでは「tatouage」でイタリアでは「tatuaggio」といい、同じくタヒチ語の「tatau」が語源と考えられているのです。
紀元前3000年頃にはあった
タトゥーの歴史はとても古く、アルプスの氷河から発見された紀元前3300年頃のアイスマンが有名で、体には61か所入れ墨が施されていたといいます。発見されたのはアイスマンが最古ですが、紀元前1万年以上前の遺跡から、タトゥーに使用したと考られる天然色素が入ったお皿が見つかっているそうです。
エジプトやリビア・ロシアなど世界各地で発見されており、当時の価値観では、身分の高い人がタトゥーを入れていたと考えられています。
しかし時代は移り変わりローマ時代になると変わっていきました。ギリシャでは犯罪者に対してタトゥーを入れて追放をしたり、ローマではキリスト教徒の顔や腕に十字のタトゥーを入れて異教徒の習慣とされるようになったのです。