北九州一家殺人事件をわかりやすく解説!犯人の現在も紹介

北九州一家殺人事件の経緯

ここからは、北九州一家殺人事件の経緯を時系列に沿って解説します。

  • 1992年:松永太と緒方順子が北九州に帰省
  • 1996年2月:不動産業者の男性を殺害
  • 1996年12月:婚約者と連れ子を監禁
  • 1997年4月:緒方順子の家族を監禁
  • 1997年12月〜1998年6月:緒方の両親・妹夫婦・甥姪を殺害
  • 2002年3月:監禁した少女の脱出により事件発覚
  • 2011年12月:松永太容疑者の死刑確定

それぞれが事件のキーパーソンとなる出来事です。松永容疑者たちの帰省から監禁生活、7人の殺害、事件発覚後の裁判の様子まで詳細に解説します。

1992年:松永太と緒方順子が北九州に帰省

福岡県北九州市小倉北区の旧小倉県庁舎
出典:Wikiwand

松永太容疑者が指名手配されたことをきっかけとして、共犯者の緒方容疑者とともに福岡県北九州市へ帰省しました。罪の大半は彼らが経営していた会社にあります。

松永たちは暴力団の名前を使い商品を高く販売し、巨額の資金を得ました。同時に、経営する会社内では優秀な者が他の社員に虐待を加えるなど優劣による暴力が横行していたのです。

松永たちの罪はすぐに明るみになり、松永は脅迫罪と詐欺罪で警察に指名手配されました。そこで、住み慣れてよく知っている故郷の福岡県へと戻ってきたのです。

1996年2月:不動産業者の男性を殺害

遺体は海に捨てられた

北九州市に戻った松永太容疑者は、不動産業者の知人男性を通してマンションを手に入れます。松永は知人男性が工事費用の着服をしていた過去の弱みを握り、彼の娘ともども自分の支配下においたのです。

手に入れたマンション内にて松永は知人男性を常に虐待し、緒方容疑者も虐待に加担するようになりました。さらには、知人男性の娘にも父親への虐待を強制させたのです。

その結果、度重なる虐待に耐えきれず知人男性は衰弱死しました。遺体は緒方と男性の娘によって解体されて海に捨てられたのです。

1996年12月:婚約者と連れ子を監禁

幼い子供までも容赦なく監禁

松永容疑者の残虐性はますます増していき、知人男性を殺害した同年には婚約者と連れ子を監禁します。表面上は良い人のふりで婚約者の女性に近づき、緒方容疑者とともに同居させることに成功したのです。

しかし、生活が始まると日常的な虐待は当たり前となりました。ここでも、松永は婚約者に実の娘を虐待するよう強制しています。最終的に2人は逃げることができましたが、女性はその後に精神を患い、つらい気持ちを抱えているといいます。

1997年4月:緒方順子の家族を監禁

南京錠を使いドアを厳重に閉じる徹底ぶりだった

緒方純子容疑者の度重なる逃亡がきっかけとなり、松永容疑者は緒方一家を北九州市に集めました。松永は緒方と別れるためのお金を要求し、約6000万円もの大金を緒方一家から奪い取ります。

それでも、松永は緒方一家を逃すつもりはなく、自分が犯した殺人の証拠隠滅や夫婦間の喧嘩で発生した暴力に関する文書を作成させて弱みを握りました。さらには、緒方の姪甥までを巻き込み、マンションでの恐ろしい監禁生活が始まったのです。

1997年12月〜1998年6月:緒方の両親・妹夫婦・甥姪を殺害

家族同士でお互いを殺し合わせた

1997年の12月21日に緒方の父親が通電による虐待によって死亡したのをきっかけに、家族同士での殺し合いが始まりました。松永はできる限り手は出さず、相手に普段の言動や行動を思い出させることで殺害するよう仕向けたのです。

例えば、緒方の父親が死んだ際は緒方の姪に対して「お前がおじいちゃんの死を望んだからだ」と伝えています。このとき、緒方の姪はまだ10歳でした。他にも、緒方の妹家族の殺害では犯行を実子に手伝わせています。

そして、最終的には幼い子どもまで殺害しました。最後に殺された緒方の姪は10歳でありながら幼児のオムツを履けるほど痩せていたといいます。

2002年3月:監禁した少女の脱出により事件発覚

福岡県北九州市にある小倉北警察署
出典:Wikiwand

監禁生活は6年間ほど続いたのち、監禁していた少女の脱出で世の中に知れ渡ることになりました。緒方一家は全員亡くなりましたが、最初に殺された知人男性の娘は生きていたのです。彼女は隙をみて祖父母のもとへ逃げ帰りました。

その結果、松永容疑者と緒方容疑者に対して警察の捜査が入り、残忍な監禁ならびに連続殺人事件が発覚します。しかし、遺体は解体されたうえに海などに捨てられていたため、残念ながら遺体の回収はできませんでした。

2011年12月:松永太容疑者の死刑確定

死刑を確定した最高裁判所
出典:Wikiwand

殺人と監禁、詐欺の罪で逮捕された松永太容疑者は2011年12月に死刑が確定しています。裁判の間、松永は常に無罪を主張していましたが、あまりの残虐性に彼の反論は通用しませんでした。

緒方容疑者も最初は死刑が言い渡されましたが、松永容疑者によるDVの影響も強いとして無期懲役に変更されています。

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