「日航機墜落事故の機長のご遺体が顎の部分しか見つかっていないって本当?」
「日航機の事故は謎が多いと聞いたけど…」
日本航空123便墜落事故とは、1985年8月12日に起きた航空機の墜落事故です。機体は群馬県多野郡上野村の山中に墜落し、乗客・乗員520名が犠牲となる大事故となりました。単独の航空機墜落事故の中でも最悪の被害者を出したといわれる日航機墜落事故は、多くの謎が残っていることでも有名な事件です。
その中の1つに、日本航空123便を操縦していた機長の遺体が不自然だということも挙げられてます。そこでこの記事では、日航機墜落事故で犠牲になった機長の遺体の謎や、その他の事故に関する噂などを紹介しました。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
日本航空123便墜落事故の概要
日本航空123便墜落事故は1985年の8月12日の午後6時25分頃、「ドーン」という爆発音の後に操縦不能となり、同56分に群馬県多野郡上野村の山中に墜落した事故です。墜落は離陸してからわずか44分後の出来事であり、航空機事故史上最悪の被害を出しています。機内には509名の乗客と乗組員24名が搭乗しており、その中の乳児12名を含む520名が犠牲となり、生存者はわずか4名でした。
JAL123便は東京から大阪間のフライト中に後部圧力隔壁が損壊し、油圧ポンプも全壊してしまい、制御不能に陥ってしまいました。そして異常発生から25分後に、高天原山の尾根(通称:御巣鷹の尾根)に墜落したのです。
犠牲者の中には歌手の坂本九さんや、阪神タイガース球団社長の中埜肇さん、元宝塚歌劇団の娘役である北原遥子さん、ハウス食品社長の浦上郁夫さんなどの著名人もいました。
航空機事故に至った原因は、1978年に起きた「しりもち事故」の修理においての、ボーイング社による圧力隔壁の不適切な修理だったといわれています。
機長の高濱雅己さんのご遺体が不自然だった?顎しか見つかっていない?
日航機123便墜落事故には謎とされている点が多くありますが、その中の1つが機長である高濱雅己さんの遺体の噂です。ここでは機長の高濱さんの遺体にまつわる噂を紹介していきます。
機長は顎の一部が発見された
123便の機長であった高濱さんの遺体は、上顎の部分と歯が5本見つかっています。顎の部分は歯牙のうちの下右と下前の部分が残されており、炭化はしていなかったそうです。上顎の一部が歯科の治療痕と一致したために、高濱機長とわかったといいます。
しかし制服や他の体の部分は見つかっていません。高濱さんの妻は、歯が5本だけ返されても納得できないとコメントしています。
他の乗客員よりも遺体損傷が酷かった
高濱さんの遺体の状態は、とても不自然だと噂されています。JAL123便を操縦していた副操縦士の佐々木祐さんは、右手が無くなっていたもののその他の部位は比較的揃っており、全体的に炭化していました。そして航空機関士の福田博さんは、頭部と両手・足が一部欠損し、遺体は炭化していたそうです。佐々木さんと福田さんの制服はそのままであり、着衣で身元確認が取れたといいます。
ここで高濱さんの遺体に関する謎ですが、佐々木さんと福田さんの遺体は惨い状態であったものの、制服を着用していたために身元確認が取れています。しかし機長の高濱さんの遺体は制服がなく、顎の部分しか見つかっていないのが不自然だと噂されているのです。
確かに同じコクピット内にいた佐々木さんと福田さんの遺体は残っているのに対し、高濱さんの遺体だけ見つかっていないのは不自然に感じてしまいます。高濱さんたちがいたコクピットが墜落の時に非常な衝撃を受けたことは想像に難くありません。しかし他の方の遺体は見つかっているのに、高濱機長の遺体だけ顎しか見つかっていないのは奇妙に感じてしまいます。
高濱機長のご遺体は隠ぺいされた?
高濱機長の遺体ですが、実は「事故の真相に気が付いていた」ために、事故を隠ぺいするため自衛隊に処分されたという噂があるのです。中には救出直前まで生きていたという噂まで流れているようですが、こちらの噂に関しては具体的なソースはわかっていませんし、現実的に厳しいのではと感じてしまいます。恐らく高濱機長の遺体が不自然であったために、いつしかそういった噂が広まっていったのではないでしょうか。
制服から遺書が抜き取られたという噂も
噂の1つに、「高濱機長の遺書が制服から抜き取られて隠ぺいされた」といったものもあります。これは恐らく他のパイロットの方は制服が見つかっているのに、高濱機長だけ見つかっていないのが不自然なことから起因していると考えられます。
こちらは事故の状況で遺書が残せるのかどうか疑問に感じるものの、何か紙に走り書きをしていたなどで事故の真相に迫るものが書かれていたとしたら、隠ぺいされた可能性もあるのでは?と言われているようです。